反米の方々に質問

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447国連な成しさん
522 名前:信濃国民[age] 投稿日:05/01/01 07:15 ID:???
http://www.tadi.jp/hagoita/rekishiar.html
中国の14世紀ころに硬貨をつけ錘とした羽根を蹴る遊びがあり、室町時代に
これが日本へ伝来、これが羽根つきの起源とされています。室町時代には、
宮中のことを記録した「看聞御日記」に羽根つきの記録があります。この記録
には公卿や女官が羽根つきをし、負けた組が酒を振舞ったとの記録があります。

http://www.johokan.co.jp/hagoita/link1.html

 羽子板は昔、胡鬼板(コキイタ)とも言われていました、羽子、胡鬼とはトンボの事
を指します。
 羽子の名称は、見ためどうり、羽の大きさからきていますが、胡鬼と言う呼び名は
中国から来ています、その由来は秋の収穫期に、中国の北方から、万里の長城を
越えて収穫物を奪いに来る、騎馬民族、胡族(チンギスハーンに代表される蒙古族、
現在のモンゴル民族ではないかと思われる)を、「胡の国の鬼」と恐れ、同じ時期大量
に発生してくるトンボの事を、胡の国の鬼と一緒に来る虫「胡鬼の子虫」と呼ぶように
なりました。
 昔から言われている、「天高く馬肥える秋」の意味は、「天、高く済みて、馬(万里の
長城を)越え来る秋」の意味とも言われ、秋の胡族襲来を警戒、注意する標語の
ようなものではないかと言われています。


中国の風習が、日本に伝わったんだねー。
「伝統の尊重」だの、なんだの言っても、どこの国の伝統だか、分かったもんでは
ないわな、日本の場合は。
448国連な成しさん:05/01/03 00:43 ID:???
http://www.johokan.co.jp/hagoita/link1.html
  羽子板は宮中行事である左義長(三毬打▽サギチョウ)節句の左義長板の縁起
に因み、装飾品、羽根突きの遊戯道具としてだけでなく、縁起物としても広まりました。
 左義長節句とは年末の、空中大掃除の時使った、煤払いの笹竹や、その時に出た
煤と麈の一部、神棚の古い御札、書き初め、左長義板(羽子板の形をした板に、宮中の
様子や人形を描き、厄払いの形式としたもの)、毬打遊戯(ギッチョウユウギ▽現在の、
ホッケー、ゲートボウル、を合わせた様な、儀式的な遊び)に使った道具(ゲートボウル
のクラブの様な形をした杖)、正月の飾り物等を、年末年始に神の依代(ヨリシロ
▽門松と同じ)として使った笹竹を、三本の毬杖で支えた物と共に、年頭の厄払いとして、
正月一五日に、燃やす儀式です。(俗称▽どんと焼き)

ともあるが、

左義長祭の由来
http://www5d.biglobe.ne.jp/~him8man/S-history.html
1.左義長の由来
 左義長は元来新年に行われる火祭行事を指し、三毬杖・三木張・三毬打・爆竹とも
書き、地域によってはサギチョウ、トンド、サエノカミと呼ばれています。旧正月を中心に
14日夜か15日朝、正月の飾り物などを広域に集めて焼く行事であり、1年の無病息災を
祈って現在でも全国各地で行われています。
 もともとは中国から来たもので、漢の時代から正月行事として行われていた爆竹が元と
言われています。わが国では正月馬に乗り、紅白の毬を先がヘラになった杖で掬って
遊んだという「打毬の楽」が由来しています。打毬の楽で破損した毬杖を集めて焼いた
のが三毬杖・三木張・三毬打の語源とされているからです。
 その後、仁明天皇承和元年、鎮護国家・五穀豊穣を祈る祭として、青竹の束に扇子・
短冊などを吊るし、陰陽師がこれを焼く行事が執り行われるようになりました。この際
毬杖を3つ結んで立てたとも言われています。

というわけで、これも中国から伝来の風習のようだ。
449国連な成しさん:05/01/03 00:43 ID:???
524 名前:信濃国民[age] 投稿日:05/01/01 07:31 ID:???
http://www.hana300.com/mukuro.html
無患子 (むくろじ)
(すごーい♪ 泡だらけ♪)

http://www.fsinet.or.jp/~sin/hirama.htm
ムクロジ(無患子)
(学名 Sapindus mukorossi Gaertn)ムクロジ科の落葉高木。高さ約10メートルに
達する。葉は互生し、大形の奇数羽状複葉小葉は7〜9枚で広披針(ひしん)形、
全縁で先はとがり基部は左右非相称。夏,枝先に大形の円錐(えんすい)花序を
つくり、緑白色を帯びた小花を多数開く。雌・雄花ともに同一花序につき、萼片
(がくへん),花弁各4、5枚。雄花は雄しべが8〜10本、雌花は雌しべが1本ある。
果実は球形で径約2センチ、熟すと黄褐色になり、中に球形で堅い、黒色の種子が
1個ある。林中に生え、中部地方以西の本州から沖縄、および中国、インド、
インドシナ半島に分布する。名は、モクゲンジ(ムクロジ科の別植物)の中国名である
木欒子を誤ってムクロジにあてたため、木欒子の日本語読みモクロシからムクロジ
になったという。庭園神社に広く植栽される。〈古澤潔夫〉                               
【文化史】中国では紀元前から知られ、無患子の古名の桓(かん)は『山海経(せん
がいきよう)』にみえ、郭璞(かくはく)は果実を酒に漬けて飲むと、邪気を防ぐと注を
施した。『嘉祐本草(かゆうほんぞう)』は、果皮は垢(あか)を洗い面 (めんかん)
(そばかす)をとると述べている。


> 名は、モクゲンジ(ムクロジ科の別植物)の中国名である木欒子を誤って
> ムクロジにあてたため、木欒子の日本語読みモクロシからムクロジ
> になったという。

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