鬼畜米英日軍の損害を祝うスレ【102個大隊壊滅】

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61国連な成しさん
ところが全員が学校から処罰された中で、美貴ともう一人のN君のみが首謀者と
見なされ、無期停学となり、これからやってくる大学進学へのチャンスを
奪われてしまったのである。二人は、市内出身の生徒が多いこの学校では、
例外的な他市からの通学生であった。
この差別的な取り扱いに、さる高名な(学校から紹介された)少年問題の
専門家からのアドバイスがあり、母が訴訟も辞さずと起案した訴状の原稿が
母の日記にはさんであったのである。
当時遠距離通勤をしていた私は、朝は4時起き、夜は早寝という状況で
うかつにもこうした事件の細部を知ることがなかった。
やがてデビューを目前に美貴は自主退学するのであるが、母の日記によればその当時
美貴と母はともに焦燥と不安のため心身ともにダウン寸前だったと記されている。
この無期停学が、美貴に大人社会の仕組まれた「自由」の実態を悟らせ、
やがて彼女はそれをテーマにした作詞と作曲を多く残すこととなったのである。
デビューの前夜、学校のまわりに友人たちと共に沢山のデビュー広告を貼って回った。
「愛(利他)」と「自由(利己)」。
この二つの相反する概念が、美貴の心中で葛藤することになる。
ただでさえ第2反抗期の只中で、精神の嵐のさなかである。
美貴は、その解釈を哲学に求めるしかなかったのだ。相反するものがぶつかりあい
そしてそのエネルギーが人間をさらに向上させる力ともなる。
美貴は、デビュー前、アウフヘーベン(止揚)という正反合を意味するこの哲学の
用語を好み、多用した。

父  藤本健一