鬼畜米英日軍の損害を祝うスレ【101個大隊壊滅】

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80国連な成しさん
『世救李帝(せきゅりてぃ)』

 いまから1400年ほど前、唐は李世民(太宗)という皇帝が治めていた。その
政治は後に「貞観の治」と称されるほど優れており、国民からの信望も厚かっ
た。また彼は世界に先駆けてエコロジーの考え方を導入した指導者でもあり、
自らの財産をもって自然を買収し、その保護に努めた。そのため、彼をねたむ
貴族や豪族は、彼のことを「野有富無(のうとむ:資産は野原ばかりで、皇帝
の象徴になるような金銭や宝物が全く無い)」とささやきあったという。

 一方、唐には古来からの悩みがあった。北方遊牧騎馬民族、回糸乞(ウイグル
)の侵入である。猛将威琉主(いるす)率いるウイグル族はこのとき最盛期
を迎えており、北部地方は既に彼らの攻撃で壊滅していた。破竹の勢いで進撃
する蛮族に長安の民は、「回糸乞族の威琉主」、「回琉主(ういるす)」と言っ
て恐れおののいたという。

 西暦643年9月3日、太宗と威琉主の決戦の火蓋は切って落とされた。
機動力で圧倒するウイグル族に、太宗は奇策を講じる。長安の城壁に油を撒き
、火をつけたのである。はしごをかけて登らんとしていたウイグル族は、滑り
落ち、焼かれ、逃げ惑った。形勢は一気に逆転し、威琉主は唐軍に捕らえられ
処刑されてしまった。
こうして、太宗は蛮族の手から長安を守り抜いたのである。世の人々は彼をた
たえ、「世救帝」と呼んだ。
また、彼がこのとき取った戦法は「火壁」と呼ばれ現在に語り継がれている。


なお、ネット社会の現代において、
ウイルスに対抗する手段としてNorton Securityが支持を得ているが、
これがこの故事によることは賢明な読者ならお分かりだろう。

(民明書房刊『民主化するためには』より)