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天路里襲党(てろりすと)
古代中国では、西方の山脈には天へ通ずる道があると信じられており、
そこは天路里(てんろり)と呼ばれ、神聖な場所とされていたという。
故に、そこに無闇に近づこうとする者には恐ろしい呪いがかかるという言い伝えがあった。
それは天路里周辺には霧がかかっており、その中に入ると獣のように暴れ狂い
やがて死に至るというものであり、「天路里獣霧(てんろりじゅうむ)」と呼ばれていたのである。
人々はそれを恐れ、誰一人として山に近づこうとしなかったが、
隋時代に自称敏雷電(びんらいでん)率いる阿竜魁陀(ありゅうかいだ)なる数十名の武闘集団が
周囲の反対を押し切り「天路里へ赴き、無事に帰ってみせる。」と宣言し山を登り始めたのだった。
数日後に彼らは戻ってきたが、呪いによって全てを破壊する魔物と化していたという。
人々は彼らを天路里襲党(てんろりしゅとう)と呼び、恐れおののいた。
しかし、朝廷より派遣された兵によって阿竜魁陀の多くは倒され、
生き延びた敏雷電を始めとする数名は遥か西方へ逃亡したというが、その後の行方は謎に包まれている。
なお、後に「天路里獣霧」および「天路里襲党」が元となって
「テロリズム」や「テロリスト」という言葉が生まれたことは想像に難くない。
また、国際テロ組織アルカイダのオサマ・ビン・ラディン氏は、
敏雷電の子孫であるとする説が浮上しているが、真相は不明である。
民明書房刊「王様、敏雷電」より
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治幕帝賂(じばくてろ)
古代中国において、帝の権力は絶対のものであった。
秦の始皇帝の例を見る限りでもそれは明らかであろう。
それ故、帝へ如何に取り入るかというのが当時の官職についていた者達の最大の関心事であった。
隋の時代、宮内の二大派閥であった至阿派(しあは)と寸爾派(すんには)の間では、権力闘争が激化していた。
互いに帝に取り入るために金銀、調度品、時には女性を帝にあてがう事で帝の威光を得ようとしていたが、
煬帝(604年-618年在位)が即位して間もなく、寸爾派の高官であり、強硬派であった瓶羅傳(びんらでん)は
「帝賂即治幕(帝に献上するものは政治を治めるものでなくてはならない)」
とし、王朝に仇なす者を葬り去ることが煬帝への至上の献上品であるとした。
当時隋朝を脅かす一団に、雄獲枢家(ゆうえすえ)なる武力集団がおり、瓶羅傳はその討伐に努めていた。
しかし、奇術「烈火有嵐(れっかうらん)」を用いた戦術に手をこまねいていた瓶羅傳は、とある決断をする。
それは間者を放ち、当時最新兵器であった火薬を用い、雄獲枢家を内部から崩壊させようとするものであった。
だが、この戦略には危険が伴い、命を落とす間者も少なくなかった。
しかし、この戦略で命を落とした間者は、「英雄」として奉られたという。
この故事から転じ、自らの国、信条のために命を落とすことも厭わないことを「治幕帝賂(じばくてろ)」と呼ぶようになった。
なお、「自爆テロ」がこの「治幕帝賂(じばくてろ)」に由来している事は賢明な読者にはもうお分かりだろうが、
一転して無差別に罪の無い一般の方まで犠牲になっているということには怒りを禁じえない。
民明書房刊 『歪められた美徳』より
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