★イラク人拷問の米上院秘密報告書をエジプト紙が暴露 米将兵の反乱、大量拉致で激化★
そこで、多くがラムズフェルド国防総省長官とペンタゴン の指令層に対して、最近
反旗を翻した米軍将兵に尋問した。その情報は、現場 の命令に反抗する約46人の
米軍将校(うち23人は高級将校)が、ペンタゴ ンと上院軍事委員会に意見書や書簡を
送付していたことを示している。これら の書簡で彼らは、1ヶ月以内にイラク国外に
移動が認められない限り、司令部 の指令に反抗し、軍事命令に従わず、軍事裁判に
かけられる用意があると恫喝 した。
それ以前にも、米軍将兵の間で広がり始めた反抗の動きに関する複数の報告 があり、
マーシェル・トラズという米将校が、米中央軍司令官、ジョン・アビゼイド将軍に書簡を
送ったという情報が漏れたこともある。書簡でトラズは、 「自分の部下は、除隊される
まで、自分の軍令を拒絶し、武器の携行拒否を決 めている」と強調した。
>>142 まあ、週刊現代出まくりの連中もおる訳だが。
週刊現代でもいいよ。この件。腹かかえて笑ってあげるよ。
★拷問の承認★
事実、この集団の司令官を含む40人が拘束された。ブッシュ自身が、同集
団の活動に関する諸報告書に目を通した。ブッシュは拘束者たちに対して12
種類の精神的、肉体的拷問手段の実行を承認した。これらの拷問方法は、ペン
タゴンが提案したもので、原因不明で姿を消した32名の米軍将兵の居所を拘
束者から吐かせるために、電気を使用する方法も含まれていた。彼らは生存し
ており、イラク人の妻たちと暮らしている可能性が最も高いと見られている。
第2の方法が採られた。すなわち、アメリカ人と結婚したイラク人妻家庭の
住居の襲撃である。彼女らの兄弟や両親、時には叔父たちや彼女らとなんらか
の関係があるものすら引っ張られた。一連の襲撃で400人の女性と、600
人の子供、700人の男が捕らえら れた。アメリカ人と彼らの妻たちの居所を
吐かせるために、拘束者たちにあら ゆる種類の精神的、肉体的拷問が加えられた。
★将軍の拉致★
この米国の将軍は、自ら秘密裏に、150名の将兵で編成された高レベルの
米軍部隊を率いて重要な作戦の実行を決意した。この部隊はバグダードのマン
スール通り近くで重要作戦を実行した。その結果、イラク人多数が殺害され た。
米軍は成功したと考えた作戦は完了したが、レジスタンスは戦士たちを新た
に終結させ、引き上げる米軍を待ち伏せた。この待ち伏せ作戦で、米軍に約1
06人の使者が出た。激しい交戦が続き、米軍の戦列は崩れ、この大物米人司
令官の護衛をしていた44人のうち25名が倒され、特に、この作戦は約35
分間続いたにも拘らず、戦車や航空機の援軍は戦場に来なかった状況で、彼は
降伏を余儀なくされた。結局レジスタンス側はこの将軍と残っていた19名の
将兵を生け捕りにした。
援軍は戦闘終了僅か10分後に到着した。この司令官と部下の兵士たちを求
めて、イラク全土で虱潰しの捜索が行われた。アビゼイド将軍がラムズフェル
ドにこの件を報告したところ、ラムズフェルドは厳命した。「イラク全土を地
獄にか変えよ。この将軍が戻るまでイラク人を根絶せよ」
米上院の軍事委員会の報告書は、「ペンタゴンの諸報告書は幻の勝利を書き
連ねているおり、虚偽と捏造に満ちている」と非難した。「アメリカの軍事行
動は、正規軍、傭兵と、アルカイダ分子、幾つかのイラクの民兵組織との間で
行われているように描いている。ところが戦場での現況は極めて厳しく、多数
の拘束者は民間人で米軍に対する軍事行動には参加していないようだ」
軍事委員会報告書は、「アメリカ人犠牲者は数週間で数百人に達している
が、公式発表では数十人にしか過ぎない。現状は、ベトナム戦争やアルジェリ
アの対仏戦争よりも遥かに困難な状況であるようだ。またイラクの抵抗勢力
は、旧政権時代には見られなかったほど組織化、計画化されている」と記述する。
それは ファルージャ近郊で月16日に起きた。イラク駐留の米軍司令部は、その場所
を米軍の作戦を指揮する重要な戦略地点の一つとして選んでいた。この場所は 戦略
計画立案者と米軍師団の司令官たち以外には秘密にされた。
そこでは毎月曜の夜7時から会合が開かれていた。米軍の14人の司令官が
参加し、航空機や戦車と200人からなる師団が会合の警備を担当した。
以前から偵察を続けていたレジスタンスは、3月13日に開かれたこの週例
会議が進行中の夜7時半に、米軍に大規模な作戦を開始、大量の砲弾で猛攻し
た。米軍は混乱して、米軍側に約90人の死者と多数の負傷者が出て残りのも
のは逃走した。
同報告書によると、戦略上の誤りは、司令官たちが建物外に逃げ出し、航空
機(ヘリコプター)が離陸し、抵抗分子を追跡するまで、飛行大隊による居場
所から動かないようにとの指示を守らなかったことである。彼ら司令官たちは
建物の周囲で爆発が起きると同時に遁走した。
司令官たちが逃げたので、抵抗勢力は残った者たちを次々に捕らえた。その
ため、飛行大隊の司令官は、かれらの司令官を命を守るために、発砲をしない
よう命令した。
レジスタンスは。会合に出席した14人の司令官のうち、8人を捕虜とし
て、3人を殺害した。無事に逃げ延びた司令官は、アビゼイドと3人のみで
あった。米軍ヘリコプターの追跡により、レジスタンス戦士たちは米軍司令官
たちを連れてファルージャ市内に入り込み、防御を固めたことが判明した。こ
れがファルージャでの米軍の猛攻の最大の理由である。