☆日本人3人拘束事件の本スレ part148☆

このエントリーをはてなブックマークに追加
>>481続き

ここで、これには例外がある。
 ・目的に公益・公共性がある。
 ・緊急・急迫性があり、その行動がなければ多大な被害のおそれがある。
 ・個人に目的を達するための専門的技術、知識、語学力、経験、力量がある。
  あるいはそのような人の組織する指揮下に入っている。
 ・危険、危機管理の方法論と装備を持ち、その行使と正しい判断が出来る。
 ・その他、個人に斟酌すべき特段と認められるような事情がある。
このような要件を満たすとすれば、危険地帯に入ることも一律に非常識とは言えないだろう。
(2)の後段違反とも言えず、社会としては保護するべきとなる。

さて、今回の人質(3+2)は上記要件を満たしているだろうか。
ジャーナリズム、ボランティアという部分では、公益・公共性を認める事が出来る。
(目的についても、売名、政治的利用、自己満足などの見方があるがここでは割愛)
しかし残念ながらその他の要件は全く満たさない。
危険地帯では、カメラを下げた物見遊山の旅行者の無謀な行為とほとんど同じである。
(2)の適用はなく、彼らの行為による結果は全て彼らの責に任ずるわけだ。

これが、政府や世論のいう「自己責任論」に近いモノだと思う。
>484続き

【人質(その背後にいるサヨ弁護士)の主張】

これに対し人質、特に郡山君のの主張する自己責任論は、こう。
 (1a) 「個人は自由である」
 (2a) 「社会は個人の自由を保護する」
(1a)だから個人の信念で自由に行動するのが自己責任。
(2a)だから個人の行動の結果の不利益部分は国家責任。
記者会見、その他メディアでの彼の発言を総合すると、上記のように解釈するしかない。
これはもう「自己無責任論」と言った方がいい。呆れる。

今回、人質(その背後にいるサヨ弁護士)は、彼らはジャーナリスト、ボランティアであり、
その行為を批判することは、ジャーナリズム、ボランティア全体の否定であると印象付けようとしている。
戦地で情報発信するもの、人道支援するものがいなくなるだろう、と。

しかし、それは詭弁である。

危険地帯に適応できる専門性の高いボランティア、経験豊かなプロのジャーナリストの活動、
それまでも批判するものではない。むしろ、国家はそれを保護するだろう。国民はそれを賞賛するだろう。
もちろん自衛隊もだ。この市民・兵士は国と国民が負うべきリスクを自らが負い、目的ために活動しているからだ。
批判しているのは、危険地帯ではジャーナリスト、ボランティアとしての機能はほとんど期待出来ない、
客観的に見ればただの旅行者、その無謀行為に対してである。

サヨクはよく今回の件でパウエル発言を引用する。そう、そのとおり。無謀な旅行者を国民は誇らない。