GHQの洗脳工作は周到であった。GHQ民間情報・教育局(CIE)は、
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(日本の戦争犯罪宣伝作戦)を策定、
アメリカ国務省の編纂文書『平和と戦争』(1943年)などに基づいてスミス企画課長が書いた「太平洋戦争史」を各新聞に掲載させた。
そして、極東国際軍事裁判(東京裁判)は、こうした「日本=悪、連合国=善」という歴史観をさらに強めるために行われた裁判だったといってよかろう。
GHQの言論統制の目的は、この一方的な歴史観の浸透にあった。検閲指針で禁じられた言論は以下の通りである。
・検閲制度に対する批判
・戦争擁護、神国日本、軍国主義、ナショナリズム、大東亜共栄圏等の解説
・東京裁判批判
・GHQが憲法を起草したことに対する批判
・GHQや連合国に対する批判
1945年9月10日、GHQは「新聞報道取締方針」を出した。ところが、米兵による暴行事件や米陸海軍部隊の動静を報道し続けた同盟通信社が業務停止を命じられ、
10月30日で解散させられている。さらに、GHQは1945年9月19日、プレス・コード(新聞規約)」を発令、10項目の禁止事項を明示して言論統制を強化しようとした。
プレス・コードは1946年1月24日付で、一般の出版物だけでなく、国会を含む官庁の出版物にも準用されている。
朝日新聞東京本社の「社外秘」の文書「連合軍司令部の新聞検閲について」(1946年1月)によると、次のような記事が不許可になった。
・連合国の対日方針不一致を暴露するもの
・日本の過去の戦争を正当なりとする言説
・わが国を神の国なりとするが如き記事
・米兵の暴行事件(事実の有無を問わず不可)(『朝日新聞』1995年3月11日付朝刊)。