>>297 能力という点では、意識に変革が起これば、それは可能でしょう。
しかし、意識に変革が起こる可能性は、見るところ、非常に低いと思います。
「プロレタリアートの革命」が起こるのは、プロレタリアートが労働過程の
ノウハウを完全掌握しているからで、生産過程を私有しているブルジョアが邪魔
になるからですが、「ヒキオタ」「チンコメ」的フリーターは、労働過程の
ノウハウの完全掌握を、資本家によってすでに阻まれるような契約形態に
なっています。とうぜん、労働組合も結成できないような契約関係です。
なお、私が、「ヒキオタ」「チンコメ」と言っているのは、フリーター層のなかの
特殊な部分についてで、フリーター層のすべてが「類的意識が朦朧としつつある」
と思っているわけではありません。女性はわりとまともだと思います。
(ただし、人材派遣業の管理部門の女性は、ろくでもない。)
私も、フリーターといえばいえるし。(自営業ともいえるが。)
マルクスの想定していないと考えるのは、「類的意識」が取り返しのつかない
ほど朦朧としつつある、「ヒキオタ」「チンコメ」についてです。
フリーター層全般に関しては、たしかに「資本論」にあるカテゴリーで説明が
つきますが、問題は、その量です。質的変化を起こすほどの量の増加だと思います。
たぶん、マルクスが生きていたら、5〜6章を、フリーターの分析にあらたに
費やすでしょう。