サダム・フセインはアルカイダを同盟できる相手というより、脅威と見ていた。上院の報告書は言う。
ブッシュ大統領がイラク戦争の支持を築くために使った主張と矛盾する。
その報告書はまた新たに、2003年の侵略に向かう中で集められた情報の欠点を指摘する。
金曜日に発表されたその報告書は、初めて2005年10月のCIAの評価を明らかにする。戦争以前サダムの
政権は、アルカイダ工作員アブ・ムサブ・アルザルカウィ、またはその仲間と「関係は持っていなかった
。匿ったり見て見ぬ振りをしていたこともない」
つい最近8月21日の記者会見で、ブッシュ大統領は、人々は大量破壊兵器製造能力を持ち、「ザルカウィと
関係を持つサダム・フセインがいる世界を想像すべきだ」と述べた。
民主党は政権が戦争を正当化するために、サダムの政府と、最近殺されたザルカウィの間に関係があった
とする主張を含む、誤った情報を使い続けていると非難した。
彼等はまた金曜日の上院情報委員会の文書に添付した意見書で、ジョージ・テネット元CIA長官が、政権の
政策決定者の求めに応じて、テロリンクに関して立場を修正したと述べた。
共和党はその文書は、戦争前と後の、イラクの兵器とテログループに関する情報を較べているが、ほとんど
目新しい発見はないと述べた。そして彼等は、民主党は政治目的でそれを歪めていると述べた。
前回2004年の報告書は、諜報機関の「大失敗」を明らかにしたと、委員会のメンバー、モンタナ州選出
共和党キット・ボンド上院議員は言った。「しかしブッシュ政権が意図的に国民を欺き、情報を操作した
というのは、全く確証のない論理の大飛躍だ」
ホワイトハウスのトニー・スノー報道官は、報告書は「何の新味もない」と述べた。
報告書の第2部は、当時亡命中だったアフメド・チャラビ氏率いる反サダムグループ、イラク国民会議からの
誤った情報が、アメリカのイラクに対する鍵となる情報評価に使われたと結論付けた。
アメリカの諜報機関はINCの情報源の信頼性について、何度も危険警報を出したが、諜報機関は「深刻な
間違い」を犯し、イラクが移動式生物兵器製造装置を作っているという話をでっち上げた、一人の情報源を
使った。
また報告書によれば、2002年、国家安全保障会議はCIAとDIAの両方から、INCにはイランを含む敵の諜報部員が
侵入していると警告されたにもかかわらず、INCへの資金提供を続けるべきと指示した。CIAは1996年にINCとの
関係を絶っていた。
報告書によると、戦争前の調査結果によれば、サダムは「アルカイダに不信感を持ち、イスラム過激派を
自分の体制に対する脅威と見ていた」という。
ザルカウィは2002年5月から11月までバグダッドに滞在していたが、「戦後の情報によれば、サダム・
フセインはザルカウィの居場所を突き止め、捕獲しようと試みたが失敗した。政権はザルカウィと関係はなく、
匿ったことも、見て見ぬ振りをしたこともない」
2004年6月、ブッシュ大統領は、サダムがアルカイダと「長きに渡って確立された関係」を持っていたとする
ディック・チェイニー副大統領の主張を擁護した。「ザルカウィはアルカイダとの繋がりを示す、最高の
証拠だ」とブッシュ大統領は述べた。
報告書は戦後の発見は、イラクが核プログラムを再構築し、生物兵器を所持している、または移動式生物
兵器製造装置を開発したとした2002年の諜報報告書を確認しないと結論付けた。
「報告書はブッシュ/チェイニー政権による、サダム・フセインがアルカイダと繋がりを持っていると
アメリカ国民を納得させるための、仮借のない、誤解させ、欺こうとした試みに対する痛烈な告発状だ」
委員会のメンバー、ミシガン州選出民主党カール・レビン上院議員は述べた。
レビン議員と委員会の民主党幹部、ウェストバージニア州選出ジェイ・ロックフェラー上院議員は、昨年
7月テネット元長官が委員会に対し、2002年、サダム−テロリストリンクについて「大統領が言ったことと
矛盾しない何かを言うように」との政権からの要求に従った」と述べたと明らかにした。
2002年10月7日、ブッシュ大統領がそのようなリンクについてスピーチとをしたその当日、CIAは委員会に
機密解除した書簡を送った。それはサダムがイスラムテロリストがアメリカを攻撃することを支援する
「過激な手段」だとされた。
テネット元長官は委員会に対し、その後大統領の発言とCIAの見解の間に矛盾はないとする声明を出したのは、
「間違いだった」と言ったという。
委員会のカンザス州選出共和党パット・ロバーツ委員長は、戦前の情報に間違いがあったことはずっと
以前から分かっていたことであり、「委員会の民主党員の追加的な意見は、彼らがこの3年間使ってきたのと
同じ、根拠のない申し立ての焼き直しと大差ない」と述べた。
委員会の報告書は、イラクに関する戦前情報分析の第2段階だ。2004年7月に出された第1段階は、CIAによる
イラクの兵器プログラムの評価に関する失敗に焦点を置いていた。
第2段階は機密解除すべき情報と、政策決定者が戦争の理由作りのために情報操作をしたかどうかの問題に、
委員会がどこまで踏み込むべきかについて、共和党と民主党の間に争いがあったために遅れた。
委員会のメンバー、オレゴン州選出民主党ロン・ワイデン議員は、まだ機密指定されている情報の量について
調査を求めると述べた。「特に懸念しているのは、個人の説明責任を免れさせるために、その情報が秘密に
されているらしいことだ」
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/09/08/AR2006090800777.html
委員会はチェイニー副大統領が繰り返し挙げた、いくらの諜報部員が911のハイジャック犯、
モハメド・アタ容疑者と2001年4月にプラハで会ったという主張も否定した。その主張はイラクが
911の攻撃に関係があるという、国民の認識を強めた。
しかし戦後の証拠で、そのような会合はなかったと委員会は結論を出した。FBIが入手したアタの
旅行と携帯の記録、またその会合に参加したとされるイラク人エージェントからの情報を挙げている。
報告書はイラクがアルカイダに生物化学兵器の訓練を提供した、またはバグダッド南部の施設で、
テロ組織が航空機を攻撃する訓練をするのを許したという主張にも、同様の疑問を投げかけている。
イラクとアルカイダの間に繰り返し接触があったとされる報告にも関わらず、アメリカ諜報部が確認
できた会合は一回だけだった。1995年にビンラディンと、イラクの諜報部員ファルーズ・ヒジャジが
スーダンで会っていた。
戦後の尋問でヒジャジは、サダム・フセインは「話を聞くだけ」で、ビンラディンと交渉したり支援を
提供しないように指示したと明らかにした。ビンラディンは「イラクでのオフィス開設、支持者に対
する軍事訓練、中国製の機雷、反サウジ聖職者の演説の放送を求めた」という。
ヒジャジは実質的に全ての要求を「即座に拒絶した」と言った。ただ反サウジ演説の放送は考慮
することにした。
フセイン達は、アメリカが彼がアルカイダと繋がっていると非難していることに、警戒感を持っていた。
ある時サダムはイラク諜報部の部長から、「アメリカの諜報部が侵略を正当化するために、イラク
諜報部とアルカイダの繋がりを捏造しようとしている」と警告されたという。
上院の報告書はなぜサダム体制が、もう違法な武器の備蓄を持っていないと、国連査察団を納得
させられなかったかについて、新しい理論を提供している。
最近のCIAの分析は、サダムは1991年の湾岸戦争後の武器査察団の攻撃性に恐れを無し、
申告していない武器や文書を秘密裏に廃棄することを命じたと結論付けた。その過程で、サダムは
10年後に違法な兵器を説明するように、イラクに圧力がかかったときに、国連査察団が探した
記録まで、廃棄してしまった。
結果としてイラクは要求に従っていると証明しようとしても、証拠を提供することが出来なかった。
http://www.latimes.com/news/nationworld/nation/la-na-intel9sep09,0,3511735.story?page=2&coll=la-home-headlines