【うなる!】産経の賛戦報道をチェキすれ10【大向こう】

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992国連な成しさん
 年をとればどうして一年がたつのが早いのだろう。そんな疑問に一昨日の
本紙『朝の詩』で、堺市の吐田二美さんが答えていた。自分が体験した全時
間に対し一年が一歳の子は一分の一、三十歳の人は三十分の一と、どんどん
小さくなるのだからと。
 ▼あと三日。吐田さんの直感は間違いなさそうである。となると貞享元年
(一六八四)、数え年四十一歳の暮れを迎えた松尾芭蕉もそろそろ「光陰矢
のごとし」と感じ始めていたに違いない。こんな句を詠んでいる。「年暮
(くれ)ぬ笠きて草鞋(わらじ)はきながら」。
 ▼笠と草鞋、つまり旅先であわただしく年の瀬を迎えた情景である。しか
し藤田真一氏の『蕪村』(岩波新書)によれば、芭蕉を敬慕していた与謝蕪
村はこの句を、俗塵を去り風雅に生きる者の根本教典と受けとめた。そのう
えで蕪村はこう詠んだ。「芭蕉去(さり)てそののちいまだ年くれず」。
 ▼大方の日本人にとって、暮れは大掃除をし借金を払い、身も心も清めて
新年を迎えるときだ。だからこそ気ぜわしく忙しい。その一方で、芭蕉のよ
うに、暮れといえども、旅先で何もせず普段通りに過ごす生き方こそ風雅だ。
蕪村はそう言いたかったのだろう。
 ▼現代では仕事がら、否も応もなく日常通りに働く人たちも多い。交通機
関は言うまでもなく、重症者を抱えた病院、初詣でなどの雑踏に備える警察
−と数えれば切りがない。発生後丸三年を迎える世田谷の一家四人殺害事件
の捜査陣にも暮れや正月はなさそうである。
 ▼今年は、イラク派遣準備のためクウェートに入った航空自衛隊の先遣隊
や、イラン大地震の緊急援助隊も加わった。援助隊は地震発生二日後には現
地に入るあわただしさだ。その尊い使命に思いを寄せながら、この暮れを過
ごしたい。