【うなる!】産経の賛戦報道をチェキすれ10【大向こう】

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379国連な成しさん
きのうの新聞に大きな五段広告がのり、まんなかに縦で小さく「暮しの手帖 保存
版III」、横に大活字で「花森安治」と。ただそれだけの広告だった。それを見
てハナモリアンジってだれだ?と聞いた若者がいたという。
 ▼「暮しの手帖」初代編集長の花森安治に会ったことはない。しかし辛辣(しん
らつ)な文明批評家であり、ホットな社会評論家だった。卓抜な文章家でもあり、
原稿だけでなく表紙も自分で描くデザイナーだった。一文字一文字緻密(ちみつ)
に書いた手書き字や独特なタッチの広告で、一目であ、ハナモリだとわかった。
 ▼明治四十四年神戸生まれ、活動写真に熱中する少年で、旧制松江高校時代はバ
ンカラだった。東大文学部美学美術史学科で大学新聞をやり、一兵卒として戦争に
行き、結核で内地へ復員。昭和十六年に大政翼賛会宣伝部に入り、国策宣伝にたず
さわった。
 ▼「あの旗を撃て!」という標語とポスターの作り主だったという。「ほしがり
ません、勝つまでは」という名コピーの作者という伝説は誤りで、その標語選考の
事務局員だった。「贅沢(ぜいたく)は敵だ」をもじって「贅沢は素敵だ」とパロ
ディーにした人に擬せられたこともある。
 ▼戦後、銀座に衣裳研究所をつくり、スタイルブックを売り出したところ、若い
女性の行列ができたそうだ。「暮しの手帖」創刊は昭和二十三年だが、はじめは
「美しい暮しの手帖」だった。“美しいもの”に飢えていた時代だったのだろう。
 ▼花森安治は昭和五十三年一月に死んだが、そのデザインやイラストの新鮮さに
驚く若い人が増えているという。ローアングルのカメラを構えた小津安二郎映画
とどこか似ている。花森も日本人の生活思想や日常感覚に何かのメッセージを送
り続けているらしい。