【うなる!】産経の賛戦報道をチェキすれ10【大向こう】
天皇陛下、七十歳のお誕生日おめでとうございます。「心の離れない喜びや悲し
み」について、しみじみとご会見で語られていたが、なにしろ激動の昭和である。
ご本心は“苦しきことのみ多かりき”だったのではないか。
▼盛唐の詩人・杜甫が「人生七十古来稀なり」と詠んだのは四十七歳の時だが、
むしろ思うにまかせぬ投げやりな気分でうたったらしい。粛宗の側近としてようや
く仕事を得たが、謹直すぎる性格のせいか不興を買い、官職を追われて地方に左遷
された。
▼「人生七十古来稀なり」の前に「酒債尋常行く処にあり」という詩句がついて
いる。飲み屋の借金はいつものことで、どこへ行ってもついてくるとこぼしていた。
杜甫はそのあと生涯ふたたび都・長安へ帰る日はなかった。
▼人生七十は長いのか、短いのか。日本人男性の平均寿命が五十歳を超えたのは
戦後である。戦争で多くが死んだ。女性の平均寿命が七十歳を超えたのは昭和三十
五(一九六〇)年だが、男はやっと同四十六(一九七一)年になってからである。
つい三十年前のことだった。
▼昭和八年、天皇陛下のお生まれになった朝六時三十九分、東京の街では丸ビル、
愛宕山、上野動物園など十八カ所でサイレンが鳴らされた。四人の内親王(女のお
子さま)のあとのご出産である。約束事があり、最初一分間のサイレンが鳴ってや
めば内親王。十秒後にもう一度鳴れば皇位継承者たる親王…。
▼日の出とともに東京の街に鳴らされたサイレンは、いったん途絶え、もう一度
高らかに鳴りひびいた。ラジオは慶報を伝え、花電車が走り、各戸には日の丸が掲
げられた。二重橋前広場は歓呼の人びとで埋まったそうだ。その橋の下を七十年と
いう歳月が流れ去った。