【うなる!】産経の賛戦報道をチェキすれ10【大向こう】
「サダム・フセインを拘束」という衝撃的報道の到来は十二月十四日だった。多くの日本
人は思わず「忠臣蔵」を連想したのではないか。その夜、吉良上野介が自邸の炭小屋に潜ん
でいたように、サダム・フセインも故郷の小さな穴に隠れていた。
▼吉良は間重治郎が見つけ、武林唯七とともに引きずり出された。サダムは「撃たないで
くれ」と米兵に命乞(ご)いし、自分で穴からはい出てきた。逃亡八カ月、ひげも蓬髪(ほ
うはつ)もぼうぼう伸び放題で見る影もない。拘束された日はイラク国民にとっても歴史的
な日となっただろう。
▼英国に亡命した反体制指導者でイラク王族の一人アリ・ビン・アルフセイン氏が、イラ
ク戦争直前、インタビューに答えていた。「死か逃亡かならば彼は逃亡を選ぶ。いかに生き
延びるかだけを考えている臆病者なのだ」(文藝春秋四月号)と。
▼また「フセインの側近は、サダムは明日バグダッドで死ぬより、オランダの監獄で百年
過ごす方を選ぶといっていた。彼はこの生き方を決してやめないだろう。彼は国家元首でも
政党の党首でもない。ただのギャングなのだ」とも。
▼その証言はほとんど正しかった。サダム・フセインは、だれに、どこで、どのように裁
かれるのか。戦後統治について「イラク人の、イラク人による、イラク人のための政治」が
目標といわれている。その「政治」を「裁き」と言い換えればほぼそのあるべき姿が示され
る。
▼元大統領は地下に逃亡しつつ、「最後まで徹底的に抵抗して戦え」と国民に命令してい
た。その指導者が自裁もできず、ドルを抱えたまま命乞いして投降した。これが独裁者の末
路だったとは。その映像に一番衝撃を受けたのは、たぶん朝鮮半島のもう一人の独裁者であ
る。