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3国連な成しさん
「頑張ったな、ノーサイドや」…奧大使の友人が弔辞

東京の青山葬儀所で6日に行われた外務省の奥克彦大使(45)(参事官から昇進)と、井ノ上正盛1等書記官(30)(3等書記官から昇進)の合同葬。
奥大使のラグビー仲間は「聞こえるか。もうノーサイドだ。よく頑張った」と涙し、井ノ上書記官の同僚は「アラブの人たちは君を真の友人として語り継ぐ」と、その仕事ぶりをたたえた。

 イラクでの惨事から1週間。曇り空の下、献花の列は葬儀所からあふれ、数百メートルも続いた。

 東京・南青山の青山葬儀所。カーネーションやバラなど8種類の白い花で飾られた式場正面の祭壇には、向かって右に笑顔の奥大使、左に穏やかな表情を浮かべた井ノ上書記官の遺影が掲げられ、それぞれの棺が安置された。

 奥大使の棺の上には、かつてプレーした早大ラグビー部の選手らが名前を書いたラグビーボール2個、スパイク1足、ラグビージャージー、井ノ上書記官の棺の上には、アルバムや故郷の焼酎が置かれた。

 奥大使の小中高を通じての先輩にあたる阪本真一さんは弔辞で、遺影を前にこう切り出すと、声を震わせ泣きじゃくった。
高校時代のラグビー部の思い出に触れ、「おまえはほんまのリーダーやったな。いつも強い倫理感を持って最前線に立ち、自ら立派な見本を見せとったな」。

 最後に「おまえはこの仕事をするために選ばれて生まれてきたんやな、それに違いない」「もうノーサイドやな。十分よう頑張ったな」と棺に向かって声を詰まらせた。

 葬儀には、家族を持つ働き盛りだった2人と同世代の姿も目立った。

 葬儀所の入り口に続く列に並んでいた医師の男性(43)は「家族を思うと、2人のように危険に身をさらせるかどうか……」と、事件を自分の身に重ね合わせた。「命をかけ、危険を顧みずがんばっていた方々。本当に痛ましい」としみじみと語った。

(2003/12/6/14:29 読売新聞 無断転載禁止)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20031206ic11.htm
4首相哀悼の意全文:03/12/07 17:42 ID:???
 6日の奥克彦大使、井ノ上正盛1等書記官の合同葬における小泉首相の「哀悼の意」の全文は次の通り。

 故・奥大使、井ノ上1等書記官の非業の死を悼み、衷心より弔意をささげます。イラクの復興支援のため懸命の努力をしてこられた、極めて優秀な2人の外交官を失い、私は深い悲しみと残虐非道な犯行への強い憤りを感じます。
ご家族の胸中を察するに言うべき言葉もありません。心からお悔やみ申し上げます。

 奥克彦さんの「イラク便り」を拝見し、改めて奥氏のイラク復興にかける強い使命感と情熱に心うたれます。
あなたは連合国暫定当局(CPA)や米国、イギリス関係者と信頼関係を築き、イラクの復興支援に欠かすことのできない役割を担ってきました。
余人をもって代えがたい活躍をされてきました。惜しんでも余りあります。

 井ノ上正盛さん、あなたは堪能なアラビア語を生かし、多くのイラク人との友情を大切にし、イラク国民の視線から地道な活動を続けてこられました。
小学5年生の時に書いた作文を拝見すると、「飢えに苦しむアフリカの人々に僕たちも何かをしていかなくてはならない」と、小学生とは思えない立派な考えと、他者への思いやりを持つ人間性豊かな人物だったとよく分かります。
その高い志を持ち続け、成人されて外交官として活躍され、これからという時を思うと、誠に痛惜に堪えません。

 (しばし絶句)'

 お二人とも、ご家族の誇りであると同時に、日本国、日本国民の誇りでもあります。私たちは、あなた方の熱い思いと功績を決して忘れません。
これからの日本政府はあなた方の遺志を受け継ぎ、国際社会と協力してイラクの復興に取り組んで参ります。

 奥克彦さん、井ノ上正盛さんのご冥福(めいふく)を心よりお祈り申し上げます。安らかにお眠り下さい。
(2003/12/6/14:18 読売新聞 無断転載禁止)
5本日の産経抄:03/12/07 17:44 ID:???
 イラクで殉職した二人の外交官が無言で帰国する光景をテレビで見た。そして何ともいえない寂しさを感じた。初冬の日は早くも暮れて、北風が成田空港を吹き過ぎていた。
悲しい長旅に付き添ったご遺族はさぞや疲れたことだろう。

 ▼小欄が感じた何ともいえぬ寂しさとは、違和感と書き直してもいい。何か変なのである。まず、小泉首相の姿が見えなかったが、これはどうしたことだろう。
二人は国から派遣され、国のために尊い命を散らした。その二人の帰国なのだから、何をおいても総理大臣に出迎えていただきたかった。

 ▼四日の「小泉日誌」をみると、その時間、首相はモンゴル大統領と会談をしている。確かにそれも大切な外交儀礼だが、しかし場合が場合、事情が事情なのだ。
曲げて了承を求めれば、会談の時間をずらすことは可能だったはずである。

 ▼降ろされた棺に日の丸が掛けられたのはよかったが、旗は小さ過ぎた。棺の木肌がむき出しなのも痛々しく、異様だった。二人は二階級特進だという。
外務省葬も予定されているという。しかしそれより何より、二人の帰還第一歩をどう出迎えるかが大切だったのではないか。

 ▼違和感はまだある。襲ったのは「一定の訓練を受け、武器の扱いに慣れた集団」とされる。
だがこうしたイラクでのテロ行為を、「レジスタンス」などと表現する識者がいた。知る限りでは大学教授や民主党議員である。

 ▼レジスタンスとは、第二次大戦でナチスに対するフランスなどの抵抗運動を指す。
ならば日本の外交官もイラク民衆の果敢な抵抗や蜂起によって殺されたとでもいうのか。一体どんな情報や分析に基づいてイラクのテロをそのように評価するのか、違和感というより強い憤りを感じる。
http://www.sankei.co.jp/news/column.htm