ほとりAnReal

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389ほとり@f136232.ap.plala.or.jp
>>191
 関係ない話ですが、まず始めにひとつ。
 ひょっとしてアナタは「おんぷたんハァハァ」スレッドで暴れてらっしゃるしるふぃーさん
ですか?、違いましたら失礼なんですが、あまりにタイムリーなハンドル名だったもので。
>何か目標を決めて(後略)
 同人屋をやっているころは、イベントに向けて本を作ったり、会員制サークルの締め切りに
合わせてイラストを描いたりして、自分なりには毎日が充実しているように感じていたのですが、
目の前の仕事を片付けるたびに、なんとなくむなしく感じるのです。今の行動によって残って
いくものはあるのだろうか?、と。
 後に残っていくものなんて何もないということに気づいたとき、同時に疑問が浮かびます。
 ならば本当に価値のあることはなんなのか?
 それを考えたとき、少なくともこの瞬間に感じる喜びや楽しさは本物である、ならばただ
毎日を刹那的に楽しく生きよう、と考えたんです。
 しかし、ただ夢中で目の前の面白いことだけを貪って生きるには、人に与えられた時間は
長すぎます。
 そうして最終的に我々が目指すべきものは「無限へと繋がっていく事」であると考えました。
 我々はまだ当分は生きているでしょう。その残された時間をただ諦めて待っているには
あまりにも長すぎます。
 可能、不可能はわかりませんが、もし我々の行動に唯一価値のあることがあるとすれば、
それはそのこと以外にあり得ないと自分は考えます。
 過去にあったことや、未来に起こること、全てが紛れもなくそこに「有る」ことには
変わりはないのでしょう。ただ、我々はまだ、それらに触れる方法を知りません。
 いつか我々がその方法を手に入れる日は来るのでしょうか?
 多くの刹那的に生きる人々は、これからたった何億年、何兆年後の未来にさえ、自分の意識や
その断片すらも残らないという恐怖を、どのような理屈で解決させているのでしょうか?