【行殺20】決定!2005年度田吾作of the イヤー【キノコ】
運命のY字路に立っていた。
右に進むか左に進むか、どちらを選ぼうともそこにはウンコの山が立ち塞がっていた。
このウンコはとてつもなく臭く、ああ、もう一つの道を選べばよかった。ひきかえそうか?とも思うんだけど、あtっちにもウンコの山があることはここからも見える。
同じことなのだ。
ここで私の場合は、このウンコがこれだけ臭いのだから、むこうはもっと想像を絶するくらい信じがたい悪臭を放ているのだろうなと考える
だが、どうやら世間一般の普通の人はそうは考えられないらしい。
こちらがウンコであるということは、むこうにあるのはウンコじゃなくて、とっても美味しいカレーであるに違いない!
こっちがウンコなら、あっちは必ずカレー。ウンコじゃないなら、それはカレー以外の何者でもない。
皆、そのように教育されて育ってきたのだ。
繰り返すが、私の場合は、このウンコがこれだけ臭いのだから、むこうはもっと想像を絶するくらい信じがたい悪臭を放ているのだろうなと考える。
カレーかもしれないなんて、これっぽっちも頭に思い浮かばない。
よしんば、こっちのウンコほどは臭くないとしてもだ。
イイもの食ってる健康な人のウンコは色もそれほど汚くなく、ニオイもきつくない。ヘタすっとあんま臭くないウンコと激辛の超こゆいカレーでは、カレーの方がある意味ニオイはキツイ。
しかし、ウンコはあくまでウンコであり、食えるわけがない。
それでも、彼らは、食う。
うめぇうめぇと、食い散らかす。
このウンコのたとえバナシは読者にとっては聞き飽きたと言われるかもしれない。
しかし、「行殺思想」の根幹なので、こうして年初にあたってもういちど確認しなければならない。
ウンコである。
ウンコ味のカレーとカレー味のウンコなどというひねくれたギミックは必要としない。
ただ、ストレートにウンコである。
ウンコをうまそ〜に食うなんてキチガイ、よっぽどのスカトロマニア以外にありえないと普通は思うだろう。
だが、俺に言わせれば世間の連中はみんなウンコを食って生活しているのだ。
ウンコを食えと教育されたからである。
私は、たびたび、親にも愛されず、学校の授業はフケて、ロクな子供時代を過ごせなかったことを恨み節で語るが、
そういった余計な「教育」をすりこまれなかったことは、今になってみると逆に良かったと思えるときもある。
目覚めたのだ、いちはやく。
ごく一握りの目覚めた者・・・・・「我々がいままで食ってきたのは実はウンコだった!だが、もう、これからは、ウンコなんか食う必要はないのだ!」
そう目覚めた新世代として、いまだウンコを食い続ける哀れな民を啓蒙しなければならない!
そして、彼らを解放してあげなければ!
それでもなおウンコを食い続けることに固執しつづけるというなら、そんなキモい連中は粛清しなければなりません。
それが、「目覚めた者」の崇高なる使命!!!
ウンコを・・・このウンコの山を乗り越えなければ、先に進むことはできない。右を選ぼうと左を選ぼうと!
鼻をつまんで、慎重に、踏まないように越えていけ!
きっと、その先では、けっきょく一本の道に合流しているはずだ。
ウンコを乗り越えた者だけがひとつの真実に辿り着ける。
間違いなどない、すべてのものに意味があって、いらないものなどない。
この、目の前のウンコを除いては!
だが、ベストなのはやはり後続の者のためにウンコをどっか片付けて、きれいに掃除してあげることだろう。
ウンコの上にさらにウンコしていくアホは追放しよう。
だが、よそでウンコされても迷惑だろうし、念のため死刑にしといたほうがいいだろう。それが「掃除」だ。
そこに留まっていては、、何もできない、何も見えない、答えは永遠にみつからない。
ウンコをカレーだと思い込んで、うめぇうめぇって食ってるようじゃダメなんだ!
俺にカレーを食わせろ!俺はいつでも辛さにこだわるぜ!
ハヤシもあるでよ!!
ウンコはあくまでウンコでしかなく、カレーじゃないから食べられない。
だが、あまりにも多くの人々が、ウンコのあまりの臭さに理性を失い、もう一つのウンコの山をカレーだと思い込んでムシャムシャと食べている。
本物のカレーを知らず、最初からウンコをカレーだと思い込んできたのだから、
それただのウンコだよ。こっちを食べな。
とカレーをさしだしてもそれがカレーであるとは認識できず、逆に「ウンコなんか食わせようとするんじゃねー!」とキレだす始末。
これじゃもう、なんとか今の状況から救い出してあげようという気持ちも消えうせる。
テメエらなんざ一生ウンコだけ食って死ね!
すっかりそういう心境になってしまった。
本当に美味しいものの味を知ってるごく少数の我々だけで、ウンコなんか食べずにハッピーに生きてゆこう。
そのためには、邪魔になるウンコ野郎どもの粛清が欠かせない。
連中だけでウンコ食ってるなら、好きにさせとけばいい。
だが、きっと連中の側はこちらを「好きにさせときゃいい」とは考えない。
みんながウンコ(彼らにとっては主食)を食ってるときに、少数派がウンコ以外のものを食ってることが許せない。
無理矢理我々にもウンコを食わせようとしてくる。
いや、絶対にする!!!!!
ウンコを食いたくなければ、逃げるか。
それとも、「やる」しかないのか。
本当は彼らも目覚めてくれれば、ウンコ以外の味を覚えて、そうなるともう二度とウンコなんか食いたくない。と気づいてくれればいちばんいいのだけど、
前述のとおり、それは望めそうにもない。
バカどもが、行殺kinokoはネットでしかデカい事言えない凡人のくせに、まるで自分だけが特別の人間だと思い込んでる、キチガイだ!
とか言うけど、それがいいことかどうか別として、本当に自分だけが違うんだから仕方ない。
彼らの言うとおり、「違う」ことによってメリットなんかなにもない。
いっそ目覚めてないほうがラクに生きられたのかもしれない。
しかし、もう、目覚めてしまったのだ。
ウンコがただのウンコであることを知ってしまったからには、もうウンコなんか食うことはできないのだ。
私の場合は、ウンコが二つあれば、どっちもウンコであると認識する。
他の大勢の人々は、片方がウンコであるならもう一方はカレーであると認識する。
Aじゃなければ、それは例外なく必ずBであると思い込み、どんな小さな疑いすら差し挟む余地はない。
AでもBでもなく、CDEFGHIJKLMNOPQRSTU・・・・・のいずれかであるとか、あるいはA’B’であるとか、A+B+αとか、もっと複雑なものかもしれないとか、いっさい考えない。
この世はすべてAかBかのいずれかしかないという前提で、他の無限の可能性には思いも至らない。
栗山千明だけが目的でテレ東の地味なエジプト番組を見ていた。
なんで必ずスタジオには吉村教授とビートたけしなんだ。とか、再現VTRのガイジンなんかよりよっぽど栗山のほうがクレオパトラ役が似合うんじゃないかとか、
そういうところが本題なんだけど(違うけど)もう一個どうしてもひっかかってしまったのだ
クレオパトラっていう人はエジプトはエジプトなんだけど生涯のほとんどがローマ帝国にかかわっていたのだ
吉村教授はエジプト学の権威なわけだが、エジプトについて研究するなら同時代のローマに関しても知識がなきゃいけない
これが仮に2ちゃんねるだとしたらどうなる?
「エジプト板」があったとして、そこでローマのロの字でも出そうものなら、たちまち「ローマの話題は板違い」「ローマ帝国ネタはローマ板で。」「エジプト板でローマネタふる奴は荒しと認定します。」
とやられて、歴史が捻じ曲げられてしまう。
クレオパトラはカエサルともアントニウスとも結婚しなかった。ローマは板違いだから。
それが無理なら、クレオパトラという人物そのものが、なかったことにされてしまう。
文字通り、歴史から抹殺されるのだ。
エジプト板でもローマ板でも板違いなのだから。
「クレオパトラの鼻がもうちょっと低かったら・・・」とか、そんなの問題じゃなくなっちゃう
アホな自治厨のせいで世界の歴史が改竄されてしまうのだ!!