>>261-263 ていうか最近、国単位で好きか嫌いか言ったり聞いたりするのって実は難しいような気がしてきた。
昔は僕もあまり深く考えずに「日本が好き、中国は嫌い、韓国は好き」みたいに割と適当なこと言ってきたけど、
よく考えるとそもそも「国」ってなんだろうって。
で考えた結果、「国」の定義について一番しっくりきたのは、
「国民の集合体」って概念だった。
他の定義、例えば「元首」だとか「土地・領土」だとか「現行政権」みたいなのは、
それ単独では「国」を構成できないから。
つまり、日本で言えば「1億2700万人の日本国民」=「日本国」ってこと。
だとすると、僕は「日本国」の1億2700万分の1ってことになる。
で、「国」をそのように定義すると、
はたしてある人間がある国を好きか嫌いかって判断するのは極めて難しいように思うんだ。
例えば僕は、ある日本人のAさん(家族だったり友人だったりアイドルだったり作家だったりする)のことを好きだとしよう。
その一方で別の日本人のBさん(自分に対して敵対的な態度を取る近所の人だったり職場の人だったりする)を嫌いだとする。
この場合、僕は日本人だけど、日本が果たして好きだと言えるだろうか?
まず僕は自分のことが取り合えず好きだ。この時点で僕は日本の一部が好きだと言える。
そしてまた僕は、日本人のAさんが好きだ。よって僕は、日本のまた別の一部が好きだと言える。
さらに僕は、日本人のBさんが嫌いだ。よって僕は、日本のある一部分を嫌いだと言える。
ちなみに僕は、同じ日本人でも大多数の人とは会ったことが無いし、今後も会うことはない。
つまり好きか嫌いか判断しようがない。
よって僕は、
日本のほんの一部分が好きで、また同時にほんの一部分が嫌いだ、大部分については好きか嫌いか分からない、
つまり判断保留という結論に至った。
同じように外国に関しても、「C国を好きか嫌いか」という質問に対しては、
「一部が好きで一部が嫌いで大部分はどちらでもない」と答えることにしようと思う。
「○○人を好きですか、嫌いですか?」って質問にも同じようなことが言えるね。
非FANさんに言われるまでもなく、そんなことは承知ですよ。
>>263 ほとりさんが、日本を嫌いになる理由については想像に難くありません。
まぁ、それが被害妄想かどうかについては敢えてここでは触れませんが。、
ただ、好きになるのに、「恩」や「理屈」は関係はないわけで。郷土、国への愛着は、
家族のそれと似ていて、時にはケンカをしたり、鼻につく欠点があったりはするものの、
帰属している安心感、曖昧に溶け合う居心地の良さははあると思いますよ。たいそうな理由で
この国が好きだといえる人間は一部の極右ぐらいなものでしょう。
私には、足元をすっ飛ばして、地球市民という枠でしか語れない貴方に寂しさを感じます。
まぁでも「○○国が好きですか?」って問いの中には、
「○○国の政府・○○国の体制が好きですか?」って言うような
極めて政治的な意味で使ってる人もいるだろうね。
総論レベルの話で。
でも実際には、総論の中には各論が幾つも含まれるから、
それを無視してしまうと意見が正確に伝わらない危険性があると思う。
例えば僕が総論レベルで好きな体制ってのは、
スイス・オランダ・イスラエルみたいな体制だけど、各論レベルでみると必ずしも賛同するわけでもない。
例えばスイスは税が安そうでいい。武装中立ってのもいい。一方でEU市場にもっと積極的にコミットメントすればいいのにと思う。
オランダは政府が個人のライフスタイルについてあれこれ干渉しないところがいい。一方で福祉がやや過剰のような気がする。
イスラエルは科学研究に規制が少ないところがいい。あと、あの国がないとユダヤ人が差別された時に逃げ場所がなくなるから、
やっぱり必要な国だと思う。でも一方で首相暗殺みたいなのはやり過ぎでしょう。みたいにね。
もっとわかりやすく日本の話をすれば、例えば僕は総合的に見れば小泉政権を支持するけど、
その理由は法人税を42%から30%にしたことや、最高所得税を60%から37%に切り下げたことだったりする。
シンガポール・メキシコと自由貿易協定を結んだのも評価できるし、年金の一元化に言及したこと、幾つかの公的部門の民営化、
あるいはイラクへの自衛隊出兵とかも、原油の安定供給や日系企業のイラク復興事業参入の為になるだろうから、
肯定的に評価してる。
一方で「国債30兆円以上発行しない」と言ってたのに、実際は30兆円を超えて発行したことはまずいと思う。
政治家は公約守らないと民主主義が死んじゃうじゃん?って感じ。