【戻れない旅路】
・・・・自分の記憶を遡る・・・・一番古い記憶。一歳の時の記憶だ・・・。
部屋に座って、アルファベットのブロックパズルで遊んでいた。
そのころ、親の影響のせいだろうか。
アルファベットの歌を意味も分からずに断片的に歌っていたのを覚えている。
外が暗かったので、恐らく夜だったのだろう。
事件は突然起こった。
父親がダンヒルのライターにガスを入れていた時のことだ。
突然、ゴウッ!という大きな音が俺の耳に入ってきた。
反射的に視線をブロックから音のする方へ動かした俺が見たのは・・・。
ガスが引火して燃え上がる空間。
驚きもせずに怪訝な顔をする父親と、驚いて駆け込んでくる母親の姿だった。
俺はその一瞬の炎を見て、
「ああ、キレイだなぁ」とうっとり眺めていたような気がする。
どうやらあの後、俺は父親にせがんで何度も炎を出して貰っていたらしい(笑)
【戻れない旅路】
俺は生まれつき身体が弱かった。
直ぐ風邪を引いていたし、何より小児喘息にかかっていた為、
冬場や季節の変わり目はいつも呼吸気管をおかしくしていた。
正直、俺は大人になるまで生きられるのかが一番気になっていた。
何度となく救急車を呼ばなくてはならなくなるほどの呼吸困難をおこし、
その度に母親は気が動転してヒステリックになり、さめざめと泣いていた。
その顔を見る度に、何度も心の中で呟いていた。
(ごめんなさい、ごめんなさい・・・・・。)
いつも気がついた時には病室の穴だらけの
(学校の教室とかによく見られる防音効果のある)天井を見つめていた。
苦しくて、つらくて、涙が止まらない。
呼吸を一つする度に、「ひゅぅ」という異音が聞こえてくる。
耳障りな音を一つ出す度に自分は死に近づいているのだと自覚していた。
明日には死ぬのだろうかと思い、単純に死について興味があった。
(死ぬ事ってどんなことなのだろう?)
思えば、暗い考え方をした幼年時代だったような気がする。
【戻れない旅路】
3歳の時、ピアノ教室に通っていた。
ウチのアパートの向かいの家で、近所付き合いの延長線だった。
ピアノは5歳まで続けていたが、引っ越しのために止めざる得なくなった。
その教室に行くにはアパートの階段と、家の階段を沢山登る必要があった。
アパートと教室のある家の高低差が5メーター近くあった為だ。
山の中にあったので、もし地崩れとかが起きたら、
低地に住む俺の家族は恐らく全員即死は免れなかっただろう(笑)
その階段を一度踏み外して、親の目の前で文字通り転げ落ちたことがある。
それはさながら、蒲田行進曲の階段落ちよりも爽快だったみたいで、
途中でバウンドして弾みがついてしまい。視界が360度回転した。
最後には尻餅をついて着地したのだが、
俺は一瞬何が起きたのか判らずにきょとんとしていた。
やがて襲ってくる痛み。
体中あちこちに擦り傷を負っていたからだ。
立ち上がろうとして、再び尻餅をついた。
目が回っていたのだ。気持ちが悪くなった・・・・・・。
母親が、おかしそうに笑っていた。
だから、にっこりと笑い返した。
【戻れない旅路】
3歳の時、初めての自転車を買って貰った。
もちろん補助輪付きだ。
三輪車には何故か乗せてくれず、いきなり自転車から始まった。
理由は聞かなかった。
ウチのアパートは山の中にあったので、周りは坂や階段だらけだった。
上り坂で必死にペダルを踏むつらさはあったが、下り坂では爽快に降りられる。
よく近所の友達と一緒に坂を上っていき、山の上から、スキーさながら一気に滑り降りた。
風がとても気持ちよかった。
ある日、いつものように爽快に坂を滑り降りていた時、
誰かが後ろから自分の名前を叫んだ気がした。
つい振り返った。その拍子に自転車から手を離してしまい、俺は転んだ。
自転車はどんどん坂を下りていく・・・・・・。
慌てて俺は追いかけた。
自転車が交差点にさしかかったその時、
トラックがやってきて俺の自転車を跳ね飛ばした。
俺と後を追いかけてきた友達は目を丸くして、その光景を見ていた。
所詮は三歳児である。車に跳ねられる危険があるなんて考えてなかったらしい。
トラックのオジサンは慌てて車を降りてきた。
自転車は壊れてはいなかったが、凹んでしまった。
オジサンはウチまでやってきて、親に謝って新しい自転車を買ってくれた。
友達に、あの時自分を呼んだか尋ねてみた。
「勝手に振り向いて転んだ」と言っていた。
(誰が俺を呼んだのだろう?)
でもよくよく考えてみると、声は大人の声だったのだ。
考えても良く判らなかったので、気にしないことにした。
【戻れない旅路】
4歳の時、夕方の時間。2歳になる妹と遊んでいた。
直ぐ下の妹は、ぷくぷくとした体型で、俺とぜんぜん似ていなかった。
しょっちゅう俺の玩具を欲しがっては、喧嘩していた。
でもおやつの時間では喧嘩しなかった。
俺は甘い物を殆ど嫌っていて、妹がいつも食べてくれていたからだ。
おかげでいつも二人分おやつにありついていた彼女は、
将来多大なる後悔をすることになるのだが・・・・。
母が夕食の準備をしていた時に、とつぜん激しい揺れを感じた。
周りからガタガタ!!と音が聞こえ、
戸棚にしまってあるグラスが次々と落ちて割れていった。
母は全力で走ってきて俺と妹を両脇に抱えると、
超人的なスピードで隣の寝室まで移動して、
フトンを被って地震をやり過ごそうとした。
揺れは一分近く続いたような。すぐに収まったような。
時間の感覚はなかったが、血相を変えた母の表情から、
これはただごとではないんだな。と理解した。
妹はただケラケラ笑っていた。何が面白いのか判らなかったが・・・。
やがて揺れは収まった。
母親と共に外へ出てみた。
家の近くのブロック塀が崩れていたり、あちこちにひびが入っていた。
これが地震なんだという事を初めて知った。
父親が一時間もしない内に家に帰ってきた。
電気はつかず、停電してしまったために暗い夜を過ごすことになった。
両親と俺と妹は4人で寄り添いながら、ロウソクの灯を頼りに食事をした。
何だかとても変わった夕食だったが、
家族がこうして一緒に入れる事は素直に嬉しかったのだと思う。
部屋ではラジオをかけ、母親が妹を寝かしつける。
父親は俺と話しながらも、割れたグラスを片づけたり、
ヒビはないか見て回ったりしていた。
俺はお手伝いをしながら、探検隊さながらに懐中電灯を掲げ、
父親の指すあちこちを照らし回っていた。
その後、寝て起きたら。いつもの朝だった。
もう停電にはなっていないみたいだった。
少し残念だなぁ。などと俺は思っていた。
>>戻れない旅路について
これは適当に記憶を呼び戻して、つらつら書いてるだけの記録。
別に誰かに見られても仕方がないので、前スレにsage進行で書いている。
見ていても構わないが、何か書き込むときは必ずsageてくれ。
別にageてもいいんだけどね、ぶっちゃけ。
「なんで2つスレ書いてるんですか?」とかいちいち言われるのがウザいだけなのだ。