インターネット百科事典ウィキペディア(WIKIPEDIA)2
書き上げたタイミングでいろいろあったので、出すか出さぬか悩み続
けたが、出す。結局、書いたものは書いた人の手を離れて旅に出た
がるものなのだ。たとえそれが根拠薄弱、無責任な人物評であっても。
ヰ記列伝十 Safkan伝
'''Safkan'''(さふかん)は、ウィキペディアの利用者で、歴史系の執筆
者である。群を抜く実力と謙虚さで好感を得る。みんなの先生。Safkan
はトルコ語で「純」。
==頭角を表す==
2003年度まで大学院修士課程に在籍。20代半ば。専攻はトルコあ
たりの歴史らしいが、はっきりしない。IPとしてしばらく活動し
てから、2003年8月6日、英語版から持ち込まれた[[チンギス・ハ
ーン]]の訳文を直し、登録ユーザーとしてデビューした。このとき
Safkanに長居する気はなかったが、Tomosと訳について相談し、共
同での記事作りを体験したことが、ウィキペディアにはまり込む
きっかけになった。また、アラビア語ちゃんねるが書いた優れた
記事に触発されたともいう。
登場時点での活動は、不正確な箇所の訂正やスタブ作りであった
が、細かな訂正の端々に深い知識がうかがえた。まとまった記事
の投下は、11日の[[ワッハーブ派]]をもって嚆矢とする。
この頃、ウィキペディア日本語版の歴史記事は、あちこち裂けたベ
ールのような希薄さで存在していた。日本をはじめどの地域も、過
去から現在までをつなぐ線が引けず、個々の記事がぽつぽつと存
在するだけだった。Safkanもまずは点を作る人として現れた。
が、Safkantが投下する内容は点どころではなく、字数が多く内容
深く、多くが初版から模範記事になった。日本、中国、イスラム、中
央アジア、イギリスまでと幅が広く、歴史の他に地理や政治にも力
を割いた。新規項目執筆は1日に1から5個くらい。その他に記事を
翻訳し、あちこち覗いて修正を施し、整理や案内もした。
活動は多面的だが、とりわけイスラム、トルコ、中央アジア、ロシア
の歴史において、並ぶものがない。他地域の歴史や地理において
も、専門的に張りつく執筆者を凌ぐものがあった。人々はSafkanの
仕事に感嘆した。
==控えていたはずなんだ==
Safkanは縦横無尽に動き回ってから、2か月余りで姿を消した。書き
置きにはこうあった。
11月1日をもってウィキペディアへの参加を休養します。さす
がに、そろそろ本腰を入れないと本業(論文)が危ない。
Tomosに見送られて論文書きに旅立ったSafkanは、しかし、半月で戻
ってきた。11月16日に現れて大量編集、26日にまた復活。以後この
調子で一、二週間おきに現れてはウィキペディアに浸った。禁断症状
との闘いは12月半ばに崩れかけ、そのまま立ち直れなかった。曰く、
2003年11月から本業多忙のため参加を控えています。…いや控
えていたはずなんだ。
**** 233 2003年8月
******** 438 9月
****** 620 10月(11月1日を含む)
* 73 11月
***** 251 12月
****** 343 2004年1月
******* 352 2月
***** 278 3月
***** 266 4月
******* 378 5月
*** 194 6月
**** 220 7月
*** 196 8月
****** 315 9月
****** 320 10月
Safkanの月別編集数は上の通り。論文の完成はたぶん1月のこと。
12月の早すぎる復活が見て取れる。
==回避・退却・消耗感==
Safkanには、議論で勝って自分の意見を通そうとする気がないよう
だ。ノートで違う意見の人と議論したときに、Safkanの主張が通った
かどうかを調べると、その勝率は半々くらい。意見対立が長引き、
相手をするのが面倒だと見ると、譲って済ませる。自説の不利を自
分で調べだして取り下げることもある。
生ぬるいSafkanには、時折り援軍が現れる。2003年10月のメッカ
マッカ論争は、Safkanとアラビア語ちゃんねるの間で始まり、Ojigiri
がSafkanにくみして論争の主役になった。どちらが良いかについて
Safkanにはもともと迷いがあり、早々に退却した。2004年5月にロリ
を相手にした言語方言論争にはKinoriが途中参戦したが、やはり押
し切られた。
Safkanはギスギスした議論への耐性が低い。2004年11月に、アラフ
ァトとアラファートで記事名論争が再燃したとき、Safkanは胃が痛む
のはメッカマッカ論争以来だと漏らした。意を決してアラビア語表記ル
ール策定に取り組んだが、途中で一週間休み、苦手だ苦手だとこぼ
しながら現在続行中である。
説明が下手なわけではないのに、勝率が悪いのはなぜか。傍からは
落ち着いて応対しているように見えるのに、Safkan本人は自分がすぐ
苛立ちを文面に表してしまうと思っている。Safkanが論敵を余裕で追い
詰めていると周囲が観測しているとき、本人は孤立して手詰まりに陥
っていると感じる。押しの弱さの原因は、そんな認識ギャップにあるの
かもしれない。
==管理者適性==
Safkanは、ウィキペディアの管理運営にも関心を払う。記事名問題
はSafkanにとって最大の課題である。記事の内容改善のためにノー
ト書き込みを積極的に利用する。2004年6月に歴史系のカテゴリを
整備し、9月からは歴史ポータルのメンテナンスに加わった。
元祖困ったちゃんと言うべき鉄道の219.111.193.249や、ニュースサ
イト論争、百楽天の日本史記事、さらに[[ハレム]]関連で性科学問
題にも関与した。しかしこれら大問題の解決の主役ではなく、議論
の整理と個々の記事レベルでの手伝いが、Safkanの役回りである。
2004年5月16日に、管理者にならないかとKIZUに打診された。KIZU
は、このときまとめて20人に声をかけ、そのうちSat.K、Ciro、Tietew、
Kahusiの4人が受けて6月に就任した。Safkanは返答を保留し、逡巡
してから、最終的に断った。後、8月には[[異端]]での失敗をあげて、
やはり自分には向いていなかったと述懐した。
[[異端]]の事情はこうである。もっぱらキリスト教の記事だった[[異端]]
に、新人の Maris Stella がイスラム教の内容を加筆した。Safkanは
ノートで説が古いとその内容を批判した。Maris Stella は自分の編集
箇所を削除し、「正確な最新知識に基づく、正しい説明の文書を起草
してください。」と書いてウィキペディアを去った。
その一か月後には、Safkan自身が同じことをした。9月6日にChinaが
書いた[[章帝 (漢)]]のスタブを、7日にSafkanが大加筆した。Chinaが
その文章にいまいちセンスが良くない見出しをつけたので、Safkanは
コメントと要約欄で文句をつけた。Safkanは途中で論争から撤退し、
その際に自分の加筆箇所をすべて削除した。後には抜け殻のような
スタブが残った。
Aphaiaはその様子を見て、Safkanがウィキペディアから去るのではな
いかと心配した。すばやく慰留に乗り出したAphaiaに、Safkanは中国史
から退くだけだと説明した。執筆者が増えた中国史から退くことは、前
から考え、徐々に進めていたことでもあった。
[[異端]]も[[章帝 (漢)]]も誰が悪いという話ではない。Maris Stellaも
Chinaも、Safkanも、責められるところはない。ただ、三人とも後味良く
まとめることはできず、ただAphaiaの介入が光った。
==実力・好感度No.1==
おそらくSafkanは、数多のウィキペディアンの中でもっとも敬愛され
ている人物である。煽り、叩きが横行する2ちゃんねるの参加者でさ
え、Safkanに向ける目は限りなく優しい。それどころかとりわけ2ちゃ
んねるのスレで、Safkan人気は絶大である。
2004年には、Safkanの利用者ノートに度々人が訪れて、記事につい
ての相談を持ちかけるようになった。中には質問の必要性に乏しいも
の、Safkan指名の意味がないものもあった。Safkanは自分の仕事を
増やさないように気をつけながら、丁寧に答えた。Safkanの利用者ノ
ートには、Aphaia、FeZn、らりた、Aboshi、Oxhopらが記帳した。変わ
ったところでは、英語版に出没するNanshuが賛辞を述べ、マイナー分
野のsiyajkakがメソアメリカ史の動向についてひとしきり語っていった。
皆、Safkanの知識を慕って訪れたのである。
人気の理由はいくつも挙げることができよう。文に現れる人柄が良い。
活動分野が右翼・左翼の政治的情熱の外にあるので、その方面から
の嫌悪と無縁でいられる。議論における敗北主義のおかげで敵がで
きず、叩かれる要素がない。
そして、Safkanの執筆者としてのレベルの高さが人気のすべての基
礎にある。ヰ記思えらく、2003年のウィキペディアには化け物クラス
の執筆者が二人いた。SafkanとNnhである。ともに第一級の数量と第
一級の正確さを兼ね備え、Nnhが手数の多さにおいて、Safkanが記
事の充実度において勝った。Nnhが黒子役として影に溶け込んでい
った2004年には、Safkanが一人君臨するに至った。
2004年11月現在、日本語版が軌道にのって一年半が過ぎた。今、個
々の記事を抜き出して比べれば、Safkanの仕事に比肩できるレベル
のものも少なくない。しかし総合力でみるならば、二位以下は大きく引
き離される。Safkanは、ウィキペディア日本語版の至宝である。
(Safkan伝 完)