http://l.moapi.net/http://obakanohitorigoto.blog11.fc2.com/blog-entry-4.html 「会長が、まだ運送会社を始める前に日雇い人夫を集めて佐川組をやっていた時代、
昭和二十年代の終わりの頃だ。会長は、路上でごろごろしている女乞食に目をつけて歩いた。
なかでも、ちょっと色っぽい、男好きのする女を選んだ。その女たちを、まず銭湯に連れて行き
入念に体を洗わせた。風呂からでると、頬紅を引き、口紅を塗らせ、香水を振り掛けた。
どんな女でも、見事に色街の女って言う寸法さ。会長は、彼女たちを引きつれ、飯場に連れて行く。
女に飢えた男たちは、女たちにむしゃぶりついた。むろん、ただでは抱かせない。会長は、
しっかり売春させた。その上がりから、ピンハネした。そのようにして、のし上がる元金を溜め込んだ。」
- 1993年、大下英司「小説 佐川疑獄」から引用
●違法行為で罰せられるのは店長たち。清和商事は無傷という不思議さ
なんとか佐川急便を大きくしたいという一心で働いてきた店長達が、労働基準法違反や運輸業務の
無認可などで書類送検をされたり、刑務所に入れられたりと言うペナルティを課せられてきた。
グループで違反が相次ぎ、様々な形でペナルティを課せられても、トップである清和商事だけは
全くの無傷という不思議な事実がある。なぜなら、運輸業務をしていない清和商事は運輸省の管轄外にあり
何の影響も受けないのである。
1989年 濱田洋祐 「佐川急便を内部告発する」から引用
この春三月、東京・永田町の私の事務所に多くの書籍、雑誌に混じって一通の手紙が来た。中に、ワープロで
印字した手紙一枚が入っていた。脅し文句は、「佐川急便ウォッチャーなどと言って、佐川急便問題について
あちこちでしゃべり、雑誌にコメントしているがいい気になるな。今後佐川急便については一切しゃべるな」というものだった。
脅迫第二弾は一ヶ月後の四月中旬、「連載中の東スポのコラムで謝罪、以後は佐川問題について書く事も
しゃべることもしない、と誓え。もし、今後もしゃべり書くならどんなことになるかわかっているだろうな」
第三弾は自宅の「菊池久夫人様」宛だった。今度は脅しの矛先を私から妻あてに変えた搦め手作戦に転じてきたのだ。
1992年 菊池久 「巨悪を逃がすな!」佐川のカネ食った悪徳政治家 より引用
佐川清は、うそぶいた。「かまどの灰までワシのもんや。どんどんクビにしたほうが、退職金が少なくなる」
ブロック会社の五十万円以上の支出は、本社、すなわち佐川会長の決裁をあおぐ。三ヶ月に一回、本社の特別審査がある。
命令を聞かない支店長を、脅した。「わしは、やくざの百人や二百人は、いつでも動かせる」
暴力団は、佐川急便にとって、切っても切り離せない関係にあった。創成期の佐川急便は、強引に地方業者を
乗っ取って拡大していったため、乗っ取られる業者が、暴力団に助けを求めた。暴力団は佐川急便の弱みにつけこみ、
佐川急便に難癖をつけた。わざと接触事故をおこしたり、最初から壊れた壺を運ばせたりする。運送業者は、事故を起こすと
届出の義務があり、行政処分の対象になる。佐川は、そんな悪条件を防ぐため、さらに暴力団とつながっていった。
1993年、大下英治「小説 佐川疑獄」から引用
トラックで道路を往来する飛脚稼業では、凄みのひとつもきかせられるようでなければ、思ったとおりに事が運ばない。
佐川は、たびたび幹部連中にやくざとの付き合いを自慢していたと言う。その中に「稲川会の石井進会長は、若い頃、
わしの舎弟分やった。」というのがあった。幹部の中には、「日本で二番目に大きい大運送会社のオーナーがやくざとの
付き合いを自慢するとは・・・」と嘆く者もあったが、本人はいっこうに気にかける様子はなかった。
佐川清は、カネのちからをひたすら盲信した。というよりも佐川は、カネ以外には何も信じないのである。
佐川がえらんだ生き方は、何でも買えるカネで"権力"を買うことだった。彼らが買おうとした権力は、「政治権力」と
「暴力的権力」だった。彼らは、そのために政界やヤクザ社会に多額のカネをばら撒いた。
1992年 山本峯章 「佐川急便の犯罪」から引用
政界での佐川急便の評判は上々だった。北陸佐川本社の落成式には、自民党の閣僚級大物が
ぞくぞくとつめかけ、佐川会長をもちあげる祝辞が延々と続いた。
「佐川会長は、表に出るのが嫌いで控えめな方だが、その心は慈愛に満ちている」(森喜郎議員)
と言った調子なのである。
1992年 山本峯章 「佐川急便の犯罪」
森先生、あなたは最高ですねw
たとえば北海道佐川急便というのは、佐川清が武島政勝という人に頼み込んで作った会社なんだけど、
ある時、佐川清が120人の社員中106人に対して金の力で動かして退職届を書かせた。
106人は北海道佐川急便の荷主名簿と代表者印を持ち出し、その上パンフレットを用意して
「2月1日から、北海道佐川急便は佐川急便札幌店に移転しました」と書かせて顧客に配り、売上も札幌店の
口座に振り込まれたそうな。
武島という人は「生涯佐川清を許さん」と言って延々と裁判したらしいよ。
現在武島氏は裁判に勝利し、その賠償金で新たに京都に運送会社を作ったらしい。
このように、日本各地で提携を持ちかける>その後従業員を引き抜いて会社を乗っ取っていく>
ということを繰り返して拡大していった会社が佐川急便なのである。
このSGシステムは、佐川清存命時代は「汗をかかずして金を得ようとする輩など認めない」
とする社主の考えもあって、以前は中央からほとんど注目されないいい会社であったが、
今の会長が跡をついでからは佐川本体から息がかかるクソ会社に成り果ててしまった…