記者の眼 メインフレーム
[2003/10/10]
「メインフレームはなくなる」か?
日経コンピュータは今年これまでに,「メインフレーム」をタイトルに据えた特集を2本掲載し
た。1本目は3月24日号の『5年後,メインフレームはなくなる』,2本目は9月22日号に掲載
した『メインフレーム大解剖』である。
いささかお恥ずかしい内輪話だが,筆者は3月の『メインフレームはなくなる』の編集部内で
の合評で,執筆を担当した記者に「このタイトルを付けるには,肝心の大前提に説得力が足りな
い」とかみついた。問題視したのは“なくなる”前提とした五つの要因のうち,「オープンシステ
ムが性能・信頼性ともにメインフレームに追いついた」というくだりである。
『メインフレームはなくなる』では「ユーザー企業やメインフレーマ各社に聞いた結果,大ざ
っぱにまとめると」,メインフレームを100としてオープンシステム(UNIXサーバー)が「性能:
100,信頼性:80〜95,コスト:70〜100」まで追いついた,と書いた。だが,これ以上に突っ込
んで“追いついた”論拠は示さなかった。
そんな経緯もあって,「オープンシステムはどれだけメインフレームに追いついたか」を掘り下
げてみたのが,9月の『メインフレーム大解剖』特集である。技術的な側面に絞って「オープンシ
ステムとメインフレームの違い」を浮き彫りにすることができたと,一応自負している。
「リンゴとミカン」が「リンゴと姫リンゴ」に近づいた
『大解剖』の記事をまとめてみて感じたのは,メインフレームを追い落とそうとしているオー
プンシステムが,全社規模の業務インフラとしてここ数年で長足の進歩を遂げたことである。メ
インフレームが約40年がかりで培った,停止しないための「信頼性」技術,CPU/メモリー/入出
力資源を仮想サーバーとして切り分け,負荷に対して最適に配分する「広義の可用性」技術を,
オープンシステムがどんどん導入したためだ。
日経コンピュータのミッションからすれば,今回のようなレベルで「オープンシステムはどれ
だけメインフレームに追いついたか」を掘り下げる記事は,5年ぐらい前に掲載しているべきだっ
ただろう。しかし(言い訳にしかならないが),その当時のオープンシステムとメインフレームを
比較する試みは,「リンゴとミカン」「バスと自家用車」を比べるようなもので,とても共通のモ
ノサシで議論できるとは思えなかった。MIPS値や記憶容量や外部バス速度といった“定量的な”
モノサシで比べても,それらの数字にどれほどの意味があるのか,書き手として納得できなかっ
た。
今回『大解剖』してみて,両者が“比べられる”距離に近づいていたことをはっきり感じ取っ
た。まっとうな意味で「違い」を書ける,ということは,両者の基盤に共通の問題認識がある,
ということである。現在のオープンシステムとメインフレームには,確かに共通の問題認識があ
る。「リンゴと姫リンゴ」の比較ぐらいに近づいたと言える。
「なくなる」と考えるのが当然だ
3月の特集記事『メインフレームはなくなる』で日経コンピュータが“なくなる”と明言したの
は,「シングル・ベンダー独自の技術だけで作り上げた世界というメインフレームの“概念”」で
あり,「独自OSと独自ミドルウエア,COBOLプログラムという3点セットで構築された既存の
ソフトウエア資産」である。IBMのzSeries,富士通のGSシリーズ,日立のAPシリーズ,NEC
のパラレルACOSシリーズ,ユニシスのClearPath Plus Serverシリーズという,現在の「メイ
ンフレーム製品」の各シリーズが5年後には壊滅している,という意味で“なくなる”と書いた
わけではない。
「オープンシステムとメインフレームの混在運用は負担が大きすぎる」「メインフレーム技術者
が不足する」「メインフレーマ自身が基幹系まですべてオープンシステムで構築しようとしてい
る」。「UNIXベンダーによるメインフレーム撤廃サービスの登場」は別として,3月の特集で挙げ
た“なくなる”要因のうち三つは,否定することも転換することもできない事実である。
そして,企業が今後も絶えざる競争にさらされる(政府・自治体も,市民からの厳しい評価と
正当な要望に即応しなければ信任されなくなる)とすれば,情報システムは機動的な戦略変更に
即応して,より短期・低コスト・反復的改善が可能な形で構築されなければならない。これはま
さに「オープンシステムの文化圏」である。新規システムの基盤としてメインフレーム(の文化
圏)が選ばれる可能性は,絶望的に小さい。
まっとうに考えれば,メインフレームは「オフコン」と同じ道を歩むと考えるしかない。オフ
コンは,現在でもIBMのiSeries,富士通のPRIMERGY 6000,NECのExpress5800/600シリ
ーズによって,その“レガシーな”ソフトウエア資産が継承されている。だが,もはやこれら各
社の製品シリーズを,横断的に「オフコン」と称することはない(日経コンピュータの記事にこ
れらの製品が登場する時に限って,「オフコンの後継機」などと書かれる程度だろう)。個々の製
品シリーズは生き残っていても,オフコンという市場セグメントは“なくなった”のである。
すでにメインフレームは「なくなった」
そうして見ると,「シングル・ベンダー独自の技術だけで作り上げた世界」「独自OSと独自ミ
ドルウエア,COBOLプログラムのソフトウエア資産」としてのメインフレームは,市場セグメ
ントとして“すでに存在しない”と言うべきかもしれない。
確かに,「オフコンの後継機」が独自のプロセサ,独自OSを放棄した(IBMのiSeriesと富士
通のPRIMERGY 6000は独自OSを積んでいるが)のに対して,メインフレーム製品の主力は,
まだ独自のプロセサ,独自OSに立脚している。だが小型メインフレームはすでに,
NECのi-PX7300やPX7300やユニシスのCS7201(ともにインテル製プロセサを採用),日立の
AP7000(IBMのUNIXサーバーと同じPower4+プロセサを採用)が,独自のプロセサを放棄し
ている。
何よりも,IBMのzSeries以外のメインフレームは,“レガシーな”ソフト資産の継承以外の役
割が,ベンダー自身からほとんど与えられていないという点で,「オフコンの後継機」とほとんど
同じ状況である。『大解剖』のメインフレーム特集で,結局zSeries以外のメインフレーム製品を
取り上げなかったのは,このためである。しかも残念なことに,これら取り上げなかったメイン
フレーマからは,筆者のもとに「なぜ当社のメインフレームを無視した!」という抗議すら来な
かった。
メインフレームが,“レガシーな”ソフト資産の継承だけで生き残れる可能性も低い。メーカー
団体の電子情報技術産業協会(JEITA)が2003年6月に発表した「メインフレームの利用に関す
る調査報告書」によると,メインフレーム・ユーザー476社中,既存のメインフレーム・アプリ
ケーションを今後も(一部はオープンシステムで再構築しても)主にメインフレームで利用し続
ける,という回答は55%。今後メインフレームを増設ないし新機種に更新し使い続ける,という
回答は47%しかなかった。大型機や複数台のメインフレーム・ユーザーは増設・更新を予定する
比率がやや高いが,それでも60%には満たない。
JEITAによれば,2001年度のメインフレームの国内出荷実績は約4800億円,2002年度は約
3700億円しかない。米IBMはzSeriesの開発にあたって,z900にもz990にもそれぞれ約1000
億円を投資したという。海外市場からほとんど撤退してしまった国産メインフレーマが,この小
さくかつ縮小しつつある市場だけのために,どれほどの開発投資をできるだろうか。
そのzSeriesはといえば,これは『大解剖』でも書いた通り,オープンシステムの文化圏への
侵略に照準を定めて,他のメインフレーマとは全く別の方向に走り始めている。z/OS上のUNIX
互換環境の実現(これは先代のOS/390からだが),Linuxの搭載に始まり,「ギガヘルツ・クロ
ックのプロセサ」,「64ビット・アドレッシング」,「高速化のためのスーパースカラー技術の採用」
など,オープンシステムの文化圏での競争を強く意識した技術を次々と導入している。
オープンシステムの世界のソフト資産は,極論すれば「安価な主記憶を湯水のごとく使い,高
クロックかつクロックあたり実行命令数の大きいプロセサをブン回す」「ファイルは主記憶のバッ
ファに書けば出力完了。空き時間にディスク装置に書いておけ」という論理で組まれている。「高
価な主記憶やプロセサ資源を浪費せず精密に割り当てる」「きっちりディスク装置に書き込み終わ
るまでの全体で“性能”を考える」メインフレームから見れば,“こんな乱暴なプログラムと相性
がいいはずがない”シロモノだ。IBM以外のメインフレーマが,これをメインフレームの世界に
取り込もうとしなかったのもうなずける。
ともかく,もはや2003年現在においてメインフレームという市場セグメントは存在せず,「巨
大なオープンシステム」と化したIBM zSeriesと,残り各社の「メインフレーム後継の大型サー
バー」製品があるだけ,という見方も可能なのだ。
メインフレームは「不滅」
だがしかし,である。へそ曲がりかつ保守的な筆者としては,こんな誰にでもわかる結論で終
わるのは,口惜しくて許せない。牽強付会は承知の上で,「メインフレームが不滅」になるストー
リを考えてみた。すべてのメインフレーマが残らぬまでも,少なくとも数社が「シングル・ベン
ダー独自の技術だけで作り上げた」「独自OSと独自ミドルウエア,COBOLプログラム」の世界
を維持していける仮説である。
第一のカギは「コスト」である。メインフレームは高い,という前提が崩れれば,状況は大き
く変わる。メインフレームは「そもそも大きい」「定価が明確でない」ために,オープンシステム
より高価だと信じられていた。悲しいかな,これは現在も変わっていない。だがここ数年で,「姫
リンゴ」レベルに追いついてきたオープンシステムも,「大きくて定価が明確でない」ものになり
果てた。良貨が悪貨に駆逐されようとしている。
結局は,インテグレータがどちらのプラットフォームを使って,ユーザーにより低コストなソ
リューションを提供できるか。それだけのことだ。
大規模・複雑な企業の基幹システムをオープンシステムで構築するとなれば,ハード/OS/DBMS
をはじめ,技術要素の組み合わせは爆発的に増える。その検証にかかるコストは,これまで“戦
略的に”ベンダーやインテグレータによって吸収され,ユーザーに転嫁されずにきたが,永遠に
これが続くわけがない。
次々と新製品・新バージョンが投入され,常に最新版を使わないとセキュリティ・ホールの危
険性が高まるオープンシステムの世界で,「過去に検証された組み合わせ」の流用が通用する期間
は,たかが知れている。そして「膨大な組み合わせの検証」は,決して低価格化することのない
“高いスキルの技術者”による,人手の作業に大きく依存する。
むろん,特定のベンダーの“オープンシステム”製品に統一することで,膨大な組み合わせの
検証は回避される。だがそれは「シングル・ベンダー独自の技術だけで作り上げた“準メインフ
レーム”の世界」である。メインフレームが高くつくというのが本当なら,同じように準メイン
フレームも高くつくのが当然。「オープンシステムが安価」なのは,小規模・単純なシステムに適
用した場合だけの話。それにユーザーが気づけば,議論の前提が大きく変わる。
もう一つのカギは「短期・反復開発への対応」である。これは,現在の短期・反復開発を取り
巻く環境を見る限り,メインフレームにとって致命的な難問だ。まさにJava/UNIX(Linux),な
いしは.NET/Windowsの文化圏なのである。
最も単純な解決策は「オープンシステムで開発し,メインフレームで実行する」ことだ。だが
オープンシステムで開発される成果物が“乱暴なプログラム”である限り,それをメインフレー
ムで実行しても使い物にはなるまい。IBMがzSeriesで採用したように,メインフレームに「オ
ープンシステムの文化圏の技術を取り込む」しかないが,それには大きな開発投資が必要になる。
この問題をひっくり返す仮説としては,「短期・反復開発は,高いスキル・高い給与の限られた
技術者集団以外では不可能」となってニッチに追いやられ,逆に「ウォータフォール型/COBOL
プログラム開発なら,(若い開発者は減少しても)これからますます供給が増える熟年(リタイア
した)開発者によって,相対的に低コスト・安定的に開発できる」ようになることぐらいしか,
筆者には思い浮かばない。牽強付会にもほどがあるし,ユーザー企業にとっては決して歓迎でき
ない仮説だが。
(千田 淳=日経コンピュータ副編集長兼編集委員)
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IT Pro 記者の眼 : 「メインフレームはなくなる」か?
http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/OPINION/20031009/1/