図書館情報学

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661 ◆HOpszfMBB2
FoLIS生活、第15日目。

第2節D項から。図書館学校について。

1900年までに主要な図書館学校は四つあった。
デューイが館長を務めたオールバニーのニューヨーク州立図書館の図書館学校、
プラット研究所、ドレクセル大学、アーマー研究所それぞれの図書館学校である。

それぞれの図書館学校では女性が重要な地位を占め
その後の図書館教育の発展に大きく寄与した。

また1920年代までオールバニーを除いて図書館学校は学士号までで
その教育課程の内容も様々だった。

E項。ALAと図書館学校の関係について。
図書館学校の増加に対してALAは図書館教育基準を作り対応した。
しかし、その基準は様々な教育課程に独立した基準で対応したため、
図書館学校は独自の組織を作ることで自身のアイデンティティーを確立させようとした。

F項。ウィリアムソンレポートについて。
結局、図書館教育の方向性に決定的な影響を与えたのは
ALAでも図書館学校でもなくカーネギー財団であった。

カーネギー財団は図書館職員の質に疑問を抱き
ウィリアムソンに調査を依頼した。
その結果、提出されたのはウィリアムソンレポートである。
ウィリアムソンレポートは財団にその支援を図書館の建築から
図書館員の育成に移行するように提案した。

また、図書館員の育成の場として大学院を主張し
図書館教育は単純な訓練ではなく高等教育であるべきだと断言した。

以上。3ページ半。

>>660
ありがとうございます。
書籍の感想を書いていたのも自分です。
今度はちゃんと続けられるように頑張りたいと思います。