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【ブラック企業】 日本の「労働」はなぜ違法がまかり通るのか?…<著者:今野晴貴> 講談社[立ち読み電子図書館]
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1371253596/ 【初めに】 どうすれば、日本の苛酷な「労働」を変えられるのか?
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35984 ブラック企業問題が話題になっている。日本人は働きすぎだ、と感じることはないだろうか?このまま、
いつまでこんなに働かなければならないのか?と。
先日も、日本の過剰労働による過労死・過労自殺の蔓延について、国連から異例の「対応」を迫る勧告が
発せられた。実際、日本の労働には「無理」があるのだ。
私は昨年、文春新書から『ブラック企業』を上梓し、ベストセラーとなった。それ以来、メディアは連日のように
この問題を報じ、ついには各政党がこぞって対策を打ち出すに至っている。
そして、今回の参議院でも焦点の一つになっているのである。各政党はいう。
「相談窓口を作ります」 「労働基準法の遵守を徹底させます」 「企業名を公表します」
だが、こんなことで、果たして本当にブラック企業はなくせるのか?「法律の遵守を」といいながら、日本企業は
昔から法律を無視してきた。相談窓口と言いながら、いままでも行政は機能してこなかった。
はっきりいって、ブラック企業をなくすことも、違法労働をなくすことも、相当難しい。だが、なぜ難しいのか、
どうすれば日本の労働を変えることができるのか。論者たちはいう。
「政策が悪い」 「政治家がわるい」 「経営をうまくすればいい」 「働く側に工夫が足りない」
これらもまた、どれも嘘くさいし中途半端だ。当たり障りのない「答え」をいって、お茶を濁しているだけだと
さえ、いえる。
本書は嘘も、うわべだけの議論もない。
私はこれまで1500件を超える労働相談にかかわり、学術的にも労働法、労働社会学、労働経済学などを
研究してきた。
この本では、真実だけを、徹底的に考え抜いた。どうやったら日本の「労働」を変えられるのか、ぜひ、
一緒に考えてみてほしい。
■■■ 若者が悪い、というバカげた論調
労働の厳しさが増している。
この10年間、若者は苦しみ続けてきた。
非正規雇用の増加にはじまり、厳しい就職活動、そしてその先に待つ長時間労働やパワーハラスメント。
非正規雇用の割合は、若者の間で4割近くに達する。
また、パワーハラスメントの労働相談は、数年で何倍にも増えている。
私は大学生のとき(2006年)にNPO法人「POSSE」を立ち上げ、労働相談活動を7年間にわたって行ってきた。
POSSEの設立当時、非正規雇用が増加し、就職活動は厳しさを増していた。
それなのに、その原因は「若者がおかしくなったから」だと言われていた。
「ゲームばかりして頭が悪くなった」 「柔らかいものばかり食べて、脳が退化した」
「若者の習性はサルに似ている」 「だから、フリーターやニートになる」。
こんなことが「当然」のように言われていた。
労働環境はどんどん悪化しているのに、それは若者が悪いからだという。
なぜこんなバカな話が広がるのか?
それは、労働組合や政治家にとって「若者」がとるに足らない存在だったからである。
独自の発信力も、政治勢力も持っていない。
私たちの世代の、私たちの現実は、誰にも「代表」されず、当事者不在で勝手に議論された。
だから私は、若者の雇用・労働の実態に切り込むために、労働相談や調査活動を行うNPO法人を立ち上げたのだ。
以来、私が直接・間接的に関わった労働相談は1500件を数える。
■■■ 「ブラック企業」を見分けても意味がない
若者からの労働相談は、本当にひどいものばかりだ。
たとえば、入ったばかりの会社で、いきなり「使えない」と言われて、イジメがはじまる。そして鬱病になり、
「自分から辞めるしかない」状態に追い込まれる。
あるいは、入社した会社で長時間のサービス残業を求められる。休日に出勤を命じられることもある。
それでも「自分は甘い」と思って頑張ってきたけれど、もう身体も心も限界だ、といった相談。
こうした状況に追い込まれても、私たちは「自分が悪い」「どうしようもない」としか考えられない。
どんなにそれが違法な状態でも、相談に来る若者が「会社が悪い」と考えていることは、めったにない。
だが、みんな「おかしい」と思っているはずだ。
いくらなんでも、日本の「労働」には無理がある、と。
最近では、ようやく「ブラック企業」という言葉が世の中に広がってきた。若者のひどすぎる職場環境が、
やっと社会問題になってきたのだ。
希望の一筋の光が、見えてきたようにも思える。
しかし、マスコミの論調は、「ブラック企業を見分けろ」というものばかりだ。
私自身も、昨年『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』(文春新書/2012年)という本を世に出してから、
そうした「見分け方」の取材をひっきりなしに受けている。
「危ない企業はどこか」「相談に来た人が所属する企業の実名を教えてほしい」と。
正直、「見分け方」ばかりの論調には疑問を感じている。
単純に考えてわかることだが、いくら努力したところで、見分けるのには限界があるだろう。
どんなに対外的に「いいこと」を言っていても、その会社に入ってみるまでは、わからないことだらけだ。
また、見分けたところで、ブラック企業からしか内定が取れなかったら、結局、入社するしかない。
「ブラック企業からしか内定を取れなかった人間は就職するな」とでもいうのだろうか。
「見分けろ」という議論は、下手をすると、「見分けないやつが悪い」「ブラック企業にしか入れないやつが悪い」
と、ブラック企業を正当化することにもなりかねない。
これでは、せっかくブラック企業が社会問題になってきたのに、私たちの苦しさは何も変わらないではないか。
それどころか、「見分けろ」という圧力が、さらなる負担となって私たちにのしかかってくる。
じつのところ、「見分け方」などという議論はまったく不十分なのだ。
それは、何も新しい光を私たちに与えてくれはしない。
だから本書では、どうすれば日本の「労働」を変えられるか、について考えたいと思う。
■■■ 日本社会は「労働」を通じてどう形成されてきたか?
日本はもともと長時間労働や「過労死」の国として有名だ。過労死(karoshi)は世界語になってしまっているし、
外国では昔から、日本人は「エコノミックアニマル」と呼ばれたりしている。
要するに、日本人は異常なまでに働いているし、「死ぬまで会社に尽くす」という、
常軌を逸した事態が起きてしまう。これは、世界から見ると、かなり異様なことなのだ。
今でも、日本にはブラック企業がはびこっているし、過労死も増え続けている。
最近では、若者の過労自殺が増加していることが社会問題になっている。
だが、そもそもなぜ、これほど日本の労働は過酷なのか?みなさんは考えたことがあるだろうか。
「ブラック企業」とまでいわなくとも、長時間の過酷な労働を強いられる点では、昔ながらの「日本型雇用」も
変わらない。終電に乗れば、疲れた顔のサラリーマンたちが、すし詰めにされている。
過酷な日本の労働のあり方は、今日や昨日にはじまったことではない。
そもそも、過労死を生み出すような労働や、サービス残業といった行為は、どうして正すことができないのか?
あるいは、非正規雇用や女性に対する差別は、どうしてなくならないのか?
サービス残業など、明らかに違法なのにいつまで経ってもなくならない。この国は法治国家ではなかったのか?
私は、大学時代に法学部で労働法を専攻した。その後、大学院では社会科学を専攻し、
この問題を研究し続けてきた。
不合理や不正義が、どうして正せないのか。このことの解明と是正の可能性を探ることが、
私の一貫した研究テーマである。
現時点で言えることは、これらの現状は、日本社会に暮らす人たちの日々の行為や選択、
そして、さまざまな政策の積み重ねの結果だということだ。
だから、ブラック企業をなくすためには、ちょっと政策をいじくればよいという話ではない。
規制緩和をすればぜんぶうまくいく、などという単純な話でもないし、
逆に、なんでもいいから規制を強めればよい、という話でもない。
もちろん、「あそこはブラック企業だ!」と個別の企業をやり玉にあげるだけでも、問題はまったく解決しない。
「労働」を変えるためには、今までの日本社会が「労働」を通じてどう形成されてきたか、
まずはそのことを知らなければいけないだろう。
「政治が悪い」「政策が悪い」「企業が悪い」と悪役を探すだけではなく、私たちはどう
「労働」と向き合ってきたのか、そして、これからどう向き合っていくことができるのか。
そういったことを、本書では、私たち「個人」の目線から考えていきたいと思う。
ひとつだけ先に言っておきたいのは、「労働」のあり方は、変えることができるということだ。
無理がある日本の労働も、私たちのこれからの行為や選択によって、塗り替えていくことができる。
「耐えるか、辞めるか」ではなく「変える」という新しい方向へ、舵を切っていきたい。
その可能性をも、本書では提示していきたいと思う。
■■■ 本書の構成
本書では、労働相談の実態に加え、経済学、政治学、社会学、法律学のエッセンスを用いて、
「労働」に関する考察を行っている。
新書という書物の性格ゆえに、議論の正確さをあえて犠牲にしている部分もあることを、
あらかじめ注記しておきたい。
第1章と第2章では、個人が労働問題に向き合うとき、どのように物事が決まるのか、その過程を述べる。
つまり、現場レベルで違法・合法はどう決まるのか?を見ていく。
法律の教科書にも、労使関係の教科書にも書かれていない、個人が会社と向き合うときの
「生の現実」から分析を出発しよう。
続く第3章では、個人が会社と向き合うことで、「社会」にどのような影響を与えるのか、
個人から社会へと続く、私たちの可能性を示す。
ひとりが会社と争うことは、じつはひとりだけの問題ではない、日本社会全体の問題なのだ、
ということを示すことになる。
そして第4章では、歴史的に積み上げられてきた「日本型雇用」とはいったいなんであるか、
第5章では、そもそも違法労働とはなんであるかを歴史的に考えていく。
最後に、第6章では、私たちがなかなか実感しづらい「権利」や「政治」の意味を解きほぐし、
どうすれば私たちの行為や選択によって日本の労働を変えられるのか、について具体的に考えていきたい。
ふだん私たちは「働き方」について考えることはあっても、「労働」そのものについて考えることは
あまりないはずだ。
しかし、本書の冒頭で挙げたような悲惨な労働相談は、いつあなたが、そしてあなたの子供たちが
「する番」になっても、おかしくはない。
ぜひ、この本を日本の苛酷な労働環境を変えるきっかけにしてもらいたいと思う。
【第1章】 「サービス残業」は、なぜなくならないのか?
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35986 みなさんは、自分の労働条件が法律的に、どのように決まっているのか
考えたことはあるだろうか?
たとえば、何年働いてもいっこうに給料が増えないことや、40代以上が
突然のリストラに遭うことなどは、社内規定ではなく「法律的」に、
はたして「正しいこと」なのだろうか?
法律上の正しさと現実との乖離に悩む人は多い。
たとえば、いわゆる「サービス残業」(対価が支払われない残業)は違法な
はずなのに、経営者たちは「残業代をすべて支払うと商売が成り立たない。
会社がつぶれてしまう」などと口を揃えて言う(たとえ口には出さなくても、
腹ではそう考えている)。
だからといって、法律を守らなくてよいという理由にはならないはずなのに、
サービス残業を従業員に強いる企業はあとを絶たない。
違法がまかり通っている。
法治国家においてそういったおかしな状況は、いったいなぜ起こるのだろうか?
まずはそこから、考えてみたい。