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名無しさん@_@:
今日嬉しいことあったです。
ユーロビート好きだと言うことに気を遣ってくださった方がいました。
そういう心意気とはまさに現代釈迦に見られなくなった美徳というものではないでしょうか?
人のために尽くす。これぞ、太宰も言っているような「心づくし」であると感じました。
> 文学に於て、最も大事なものは、「心づくし」というものである。「心づくし」といっても君たちにはわからないかも知れぬ。
> しかし、「親切」といってしまえば、身もふたも無い。心趣。心意気。心遣い。そう言っても、まだぴったりしない。
> つまり、「心づくし」なのである。作者のその「心づくし」が読者に通じたとき、
> 文学の永遠性とか、或いは文学のありがたさとか、うれしさとか、そういったようなものが始めて成立するのであると思う。
コレだと思います。現代においてほとんどと言って良いほど見られなくなった尊い姿です。これぞ、美徳。
美徳の不幸(マルキドサド著)についてはあれは逆読みするものだと思っております。
サドは心の優しい感じやすい金髪の美青年だったそうです。若い頃ですが。
それゆえにあのような作品や生涯を送ったのではないでしょうか?
反抗的人間。そういったものでしょうか。反動形成ともいいますね。
長くなりました。文学は短ければ短いほどよい。しかしという名言もあります。
というか焼くのしてないし・・・風呂入ります。んで酒飲みます