339 :
由伸 ◆BRON/84TEE :
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,--、_ノ:: `ー':: 、ミー---‐,,l o゚((●)) ((●))゚o ブロ厨プギャアアアアアアアアアアアアアア
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すごいよね、完全にくるてはる。
341 :
由伸 ◆BRON/84TEE :2009/09/21(月) 21:31:52 ID:ORQ8Pb3s0
342 :
ひみつのまとりさん:2024/12/28(土) 03:23:20 ID:MarkedRes
あなたの目を盗みましたよ( ̄ー ̄)ニヤリッ
343 :
由伸 ◆BRON/84TEE :2009/09/21(月) 23:21:18 ID:ORQ8Pb3s0
俺が一番格好いい
344 :
由伸 ◆BRON/84TEE :2009/09/23(水) 21:25:32 ID:ln61tBy/P
345 :
ひみつのまとりさん:2024/12/28(土) 03:23:20 ID:MarkedRes
あなたの目を盗みましたよ( ̄ー ̄)ニヤリッ
346 :
ひみつのまとりさん:2024/12/28(土) 03:23:20 ID:MarkedRes
あなたの目を盗みましたよ( ̄ー ̄)ニヤリッ
347 :
由伸 ◆BRON/84TEE :2009/09/24(木) 16:23:51 ID:kqGfYffCP
女の姿態を一瞥すれば、すぐさま、わかることだが、女は、精神的にも肉体的にも、大きな仕事をするのには、
生まれつき、ふさわしくないのである。女は、人生の責任、いわば、負債を、行為によって償うのではなく、
受苦によって、つまり、分娩の苦しみとか、子供の世話とか、夫に対する服従ー夫に対して、妻は、常に、
辛抱強い快活な伴侶でなければならないーなどによって、償うのである。極度に激しい苦悩とか歓喜とか力わざ
などは女性には向いていない。むしろ、その生活は、男性のそれよりも、静かで、平穏に過ごされなければならない。
とはいえ、本質的に、より幸福だとか、また、より不幸だとか、いうわけではないのである。
わたしたちがごく幼い時分、わたしたちを育て、ものを教えこむのに、女が全く適役であるのは、
女というものが、みずからも、子供っぽく愚かしくて、そのうえ、身近の物ごとだけを見ている、
いわば、一生、大きな子供であり、要するに、子供と、真の人間である成年男子とのちょうど中間
に位する段階に属するからである。まあ、一日じゅう、子供と一生になって遊んだり踊ったり歌ったり
している少女の様子をよく観てごらんなさい。そして、考えても見たまえ、一人前のれっきとした男が、
その少女の代役をつとめることになったとしたら、どんなに好意を持って努力してみたところで、
果たして、何が出来ることかを。
348 :
由伸 ◆BRON/84TEE :2009/09/24(木) 16:26:19 ID:kqGfYffCP
自然は少女に対して、たとえてみれば、芝居でいう場あたりをねらう考えで、何年かの間にかぎり、
爾余の全歳月を犠牲にして、あふれんばかりの美と魅力と豊満さとを与え、特に、この何年かの間に、
或る男の空想をしっかりととらえて、その女の一生の世話を、或る何らかの形で、誠実に引き受けるほど、
夢中になるようにしむける。けだし、男性を動かして、このような段階まで立ち入らせるためには、
単なる理性的熟慮だけでは、どうも充分に確実な保証となり得ないように思われるからであろう。
このように、自然は、女性に、ちょうど他のすべての彼の創造物に対して与えるのと同じく、その生存を
確実ならしめるのに必要な武器と道具とを、それが必要とされる期間だけ、与えておくのだが、この場合にも、
実に、自然は、みずからの常套手段たるつましいやり方に従って、事柄を処理するのである。すなわち、
雌の蟻が、交接の後には、もはや余計なもの、というよりも、産卵経過にとっては危険なものですらある翅を
失うごとく、婦人たちもまた、たいてい一、二回、産褥に就いた後には、その美しさを喪失するが、おそらく、
両者は同一の根拠にもとづくものであろう。
だからこそ、若い娘たちは、自分たちの家事向きや職業上の仕事などを、心の中では、余計なことと思ったり、
ひどいのになると、単なる戯れごとくらいにしか考えておらず、専心に、まじめに打ちこむ勤めとしては、
恋、男子の愛情をかち得ること、およびこれに関連する、たとえば化粧、ダンスなどがあるばかりなのだ。
349 :
由伸 ◆BRON/84TEE :2009/09/24(木) 16:28:43 ID:kqGfYffCP
およそ、或る物ごとは、それが高尚完全なものであればあるほど、より遅く、より緩慢に成熟
に達するのである。男性にあっては、その理性と精神力とが、二十八歳以前に成熟の域にいたる
ことは、ほとんど見られないのに、女性は早くも十八歳で成熟してしまう。とはいえ、女性の理
性がすこぶる狭隘なることを免れないのも、そのせいである。従って、すべての女性は、一生涯
子供の状態にとどまっており、見るところは常にただ最も手近なものに限られ、とかく現在に執
着して事物の外観を問題にしたり、きわめて重要な事件よりもむしろ些細なことを好んだりする
のだ。理性とは、すなわち、これがあるために、人間が、動物のごとく単に現在のみ生きるこ
となく、過去と未来とを展望し熟慮するようになり、それによって、やがては、人間の先見、心
配、またしばしば煩悶をさえ生ずる、そういうものなのである。これらのことがもたらす利益と
不利とに、女性のあずかる程度は、その理性がより薄弱である結果として、男性に比べるとはる
かに少なく、むしろ、女性は精神的近視である。すなわち、その直覚的悟性は近いところを鋭く
見るけれども、その視野は狭く、そのなかには遠距離のものがはいってこない。従って、過去や
未来の事柄と、すべて目の前に存在しない物ごととの作用は、女性に対し男性に対するよりも著
しく弱く、こんなことから、確かに、女性において一層しばしば見受けられるーそのうえ、往々
にして狂気に近いー濫費癖が起こってくるのだ。女たちは、心の中で、金儲けは男たちの職分で
あり、自分たちの役目は、それを費うこと、出来ることなら亭主の存命中に、また、やむを得な
ければ夫の死後に、なるべく早く蕩尽しなければならぬものと考えている。亭主がかせいだ金を
家計のために女房に手渡すことが、すでに、女たちのかような信念を強めさせるのだ。
350 :
由伸 ◆BRON/84TEE :2009/09/24(木) 16:29:59 ID:kqGfYffCP
これら全てのことは、なるほど、それだけでも、きわめて多くの不利益をもたらすけれども、一方、
良いところもある。由来、女性は男性に比べて、より多く現在に没頭するから、しのび得るかぎ
り、より楽しく現在を味わう、これが女性に特有の快活さを持たせるもととなる。実に、この快
活さこそ、妻が、心労せる夫に休息を与え、必要ある場合には、これを慰藉するために適している所以である。
古代ゲルマン人たちの風習にならい、むずかしい事件に当たって、婦人にも相談するというこ
とは、一概に斥けるべきではない。というのは、婦人の物ごとを把握する方法が、男子のそれと
は全く異なっており、ことに、女たちは目標への最も短い経路を好み、一般に、最も身近にある
ものを眼中に置くので、男子が、とかく、そのようなものを、かえって、それが自分の鼻先にあ
るために見のがしてしまうといったような場合に、やはり、手近で簡単な見方を得るためには、
婦人と相談することが役に立つからである。そのうえ、女たちは、断然、男子よりも冷静であり、
従って、物ごとについても、現実に存在する以上に、あまり多くを見ないという長所を有つ。と
ころが、男たちは、みずから激情に駆られると、ややもすれば、存在するものを拡大して見たり、
さらに、想像的なものをつけ加えたりしがちになるのだ。
351 :
由伸 ◆BRON/84TEE :2009/09/24(木) 18:13:10 ID:kqGfYffCP
不幸な人を見た場合、女性は、男性に比べて、より多くの関心をもち、より多くの同情と人間
愛とを示すけれども、反対に、正義とか忠実とか確守とかいう点では、男性に劣るということも、
同一の源泉から演繹すべき事柄である。つまり、女たちの理性が薄弱である結果として、現実の
もの、直観的なもの、直接に実在するものなどは、女たちのうえに一種の強い力を押し及ぼすけ
れども、その反対の、抽象的な思想とか、一定の格率とか、堅く決心したこととか、ないしは、
一般に過去や未来、不在の人や遠方の人に対する顧慮などのはたらきは、おおむね、微々たるも
のにすぎないからである。すなわち、女性は徳にいたる第一次的な、かつ主要なものをあっては
いるが、これを展開させるのにきわめて必要な道具である、第二次的なものを欠いているのだ。
この点で、女性は、肝臓を持ちながら胆嚢を備えていない生物に比べられるであろう。従って、女性の性格
には、根本的欠陥として、「不正」ということが見出される。この欠陥は、まず、上述したように、
理性的な判断や熟慮の乏しさに伴って生ずるのだが、そのうえに、おな、女性が、より弱いもの
として、自然から力の変わりに奸計に頼るように指示されているために、それは、いよいよ大き
なものとなるのである。