普段の自分が光の中の自分へサインペンと紙をさしだす。
憧れのまなざしをむけている。
わたしはとまどう。
いまのこの時間は絶対だ。
時間の配列なんかは問題ではない。
いつでもあえる、心配するな。
おそらく少年は、この言葉を理解しないだろう。
流行までまきこんでのこの世界だ。
その渦をイメージする。
それぞれのもつ意味もわかるはずだ。
その渦の中で踊る自分が見える。
それを見ることは割と誰でも出来るけど、そのイメージをなくさないでその場所から見下ろして、求めるものを与えられる者が、芸術家たるものなんだろう。
いま見えている真実、理解しているものを確かなものにしようと指をさしのべるが、語れば語るほど強く掴もうとすればするほどそのイメージはゆびから零れ落ちていく。
きっと私は忘れてしまう、忘れてしまう。このときの真実を
それを確かなものにするため、
それを書き留める今現在さえ…、忘れていく。
まだ羽ばたける、はばたける、はばたける
その欲しがるもの、
面倒がらない、主観を交えない、どこまでも手繰っていく。
イメージできるはず、手にとるようにわかる。
あの渦の中に戻った時、自分はまた拘りにとらわれ。
それを書き留めることで、後の自分がそうならないように戒める。
何度念を押しても、自分は自分を信用しきれない。
これを手引きに、自分はきっとおもいだせる
今のこの視点を、この時間を。
思い出せるだろうか
思い出せるだろうか
トイレの壁の向こうから聴こえる
四つ打ちキックの音。
駆け出せばいつでもフロアに戻れる。
発する言葉
思考、詩、文藝。
それらはそんなに遠い場所には無い。
最後のひと手間で文藝になったり、宗教になったり、音楽になったりするんだな。
面倒がらずに今ココに書き留めておくことでこれがあるわけだし。
行のもつ幅、そこにこめられた意味。
羽根の形…
ループになっていることに気がつく。
この世界、そこにある私の思考さえ。
形の残るものが芸術。
絵画、音楽、詩。
そのループを切り出した、写真の一つに過ぎないことに気がつく。
美しい。これが思考ループってやつか。
ループサウンドと思考ループんなかでグネグネやってんのも楽しいもんですね。
ループサウンドに酔うのが楽しいなら、同じようにこの思考ループの感覚を
不特定多数が共有できる形で残しておくことができないもんかな。
ことばか…。
それがどんなに不確かでも、いまの私達にはそれ以外の方法は与えられていない。
更なる上位階層、高等言語へとこのプロトコルが発達するまで。
積み重ねたここでの日々。
自分が何を求めていたのかに気付く。
私は踊っていた。
紡ぎ出される変化、人の流れ、思考に酔って。
私の指先から紡ぎ出す言葉に、一瞬の自分の姿に憧れて陶酔した。
グルーヴのなかで日常がかすれていく。その感覚にただ酔っていた。
そうか、2chって思考のダンスフロアみたいなもんなんだな。
他の誰かが見てる気になって、
ただ踊って、楽しくて、自分が眩しくて。
幾度と問われたなぜ投稿を続けるかって理由、分かった気がする。
ずっと酔っていたいんだ、この悪ふざけのなか、この思考ループの中。
帰りたくないんだ、リアルへ。
不確かなもの同士が、確かなものを求めて掴み合い、
ほぐれて
落ちていく
ここにいる皆が、そのままならない感覚を、
決して一つにならない粘膜、肌をすり合わせるように
楽しんでいる
ループは音色を変えて、音色はそのイフェクトを変えながら私の耳に届く。
同じ思考は、その修飾を変えることでこの指先から毎夜にわたって発せられる言葉になる。
ずっと昔から続いてきた。
音楽、文藝、哲学。
あらゆる繰り返しの表現に過ぎないことを感じる。
何もかもが柔らかく不確かな中で
感じる手応え。真実と感じるもの。
多くの人が感じながら滑り落ちていった
思考のヒダの一つ。
自分は他人よりそれを上手に
残せているだろうか。
グルーヴに酔うこと、
2chに酔うこと、
酒に酔うこと、
ドラッグに酔うこと、
それらは同じものであることに気がつく。
スーツたちが過ごす日常のパリパリした感覚、
日常と隔絶された夜のクラブに入るように
この有機的なヌルヌルした感覚に求めてやってくる。
小学校の頃、
あの何ものにも代えがたく楽しかった休み時間の駄弁りが、終らずに続くように
過去の自分がくだらないことを面白がっていたような気になることがある。
しかしそれは今の自分の主観による奢りだ。
私たちが知覚できるのは、この四方だけ。
私たちはその中でただ身をくねらせているだけ。
楽しい…。
思考が、止まらない。
思考のループが完成して閉じてしまっている。
人はそれを廃人というのだろう。
幸せそうな顔で街をゆくホームレス。
ディスプレイの前で笑みを浮かべる引き篭もり。
しかしそれが知覚している四方は、私たちとまるで変わりない。
ヌルヌルした不確かなもの、その中でただ酔いつづけているだけ。
渦巻いている、思想、観念、
それらが作り出す今が世界。
そしてそれらが時間軸のほうへ作り出す流れが歴史。
超次元的観点から、それを俯瞰するほとり。
人類が思考を得る前から、
太古から続くうねりであることに気がつく。
高等も下等も、上位も下位もない。
デバイスは進化し、高等なコミュニケーションを手に入れたつもりでいる私たち。
しかしその意識がある場所は
ただ何も見えず、何も聴こえず、
海のそこで身をくゆらせることしか知らない原生動物たちと同じだ。
あの頃からまるで変わっていない。
忘れない、夢のように楽しかった日々。
時間軸なんて関係ない。
ここにくれば、このストレージにはその全て保全されているのだから。
喜び、悲しみ、不安、怒り、コミュニケーションの流れ、変化。それは動画のよう。
このログには全く遜色ない、当時と同じ感動が保全されているはずなのだから。
自分はときどきこのログを読み返す。
遜色のないそれは、その時とまったく変わらない臨場感で押し寄せる。
楽しかった何か、大好きだった何か。
自分のことを嫌いじゃなかったはずの誰かが、自分のことを嫌いになっていく様子。
時間軸の中で交差しあうコミュニケーション。
それは今を遜色なく保全する動画である。
繰り返す思考ループ
そこから途切れなく回路に繋がれたこの指先、
一つの素子となり受けた信号を吐き出しつづけるこの指先、
だからここにはそのループが保全されている。
明日の自分は、この一枚のスナップ写真から今のこの絶頂を思い出せるだろうか?
目に映る景色、シチュエーション、コミュニケーション、全てが尊い。
だから自分はキーを叩く、ログを保全する。
シャッターを切るように。
暗闇の無音の中、ただ身をくねらせる私たちの意識。
その自分をかわるがわる覗き込む、喜怒哀楽それぞれをつかさどる神様。
その状況を俯瞰出来てしまった自分は、その状況に対して苛立ちを覚える。
神はまるで、海の底でのたうつだけの私たちを弄んで楽しんでいるかのよう。
食事?、セックス?
雲間からこぼれ出る光の筋。
神が与えたられたそれにすがる事を
私は卑屈であるというだろう。
私は神のイレギュラーたり得たい。
神に与えられた使命に背き、冒涜し、悪ふざけをする。
何一つこの世界にくれてやるものなんてありはしない。
ちんちんかゆ
ちんこが のたうつ ちんこが さけぶ
みんなの ちんこは だれの もの
この身を包む光と白。
対する闇と黒、
二つは地と図。
この世界が無であることを感じる。
ここには全てがある、つまり何も無いのだ。
ちんこが ひととき ちんこが ちんこが かなたへ
ちんこ それは きんいろに ひかる ちんこ
たびびとの せつなねがいを まばゆいひかりの ちんこ
電波を受信したとかいう妄想があるでしょう?
普通なら理屈的にそれで納得して、そういう妄想を楽しむわけ。
でも自分はその辺飛び交ってるコード体系がうまいこと自分に一致するわけないとか、
余計なこと考えちゃう。
だから自分に指令を下す神様はきっとIPネットワーク上にいるんだと思う。