ヤマカンこと山本寛こと狂犬チワワの逆襲Part244

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148名無しさん名無しさん
>>40
つながりが描かれてるかどうかってのは大事だよね。

 場面のつながり=リアルな時空間の描写=臨場感の確保
 会話のつながり=キャラクターの関係性の描写、そして
 登場人物の時間的な感情のつながり=行動の動機の描写

描かれなかった余白について想像できるだけの土台があって成立するのが、映像作品の「世界観」。
でなければ、限られた時間の平面動画という「貧弱な舞台装置それ自体」しか残らない。
実写で現実を材にとった作品ならば、時代背景の知識や、同時代を舞台にした他の作品の
(視聴者自身による)参照で補えるけども、アニメでしかも架空の世界を描くなら、
ここで手を抜くとどうしようもない「絵空事」でしかない。

たとえば一行が目の敵にする「まどか」。

魔法少女ジャンルというのは、戦隊ものをベースとしたセラムン以降のジャンル改変で
自覚的に外部世界の描写を行うようになった。
まどかの場合、他の町から来た魔法少女や親からの視線といった部分がそれ。
ここをアリバイにしといて、一番の力を入れてるのは感情のつながり。
おそらくチャートかなんかを使ってブレインストーミングしてるんだろうな。
ソウルジェム投げ捨てイベントの流れなんかが典型例。
そして、ラストの時空の広がりっぷりはそれらを土台にして成立してる。
動機の強さがちゃんと描写されていれば、作品が成立する好例。

フラクタルは空間の構築や社会システムの描写のお粗末さもさることながら、なにより痛いのは
個々のキャラクターが場面場面での感情分しかリアクション出来てない事。
「先週と言ってる事が違うじゃん」「現在のポジ(=過去の行為)と今やってる事が違うじゃん」と
何度突っ込んだか。
いくら声優が熱演しても、これでは書き割りの舞台装置と変わらない。
いや、むしろ(あとはテンプレ文で適当に埋めてくれで略)
問題提議含みの設定だのオタク煽りだのは、最低限のキャラクター描写が出来てからやる事だ。