> 俺は本も新聞も読まないよ
って書いたのを誤解されないように書いておくけど、生まれてきて最初に読んだ本は福沢諭吉の学問のススメだったようにおもう。
もちろん読まされたって意味はない。自分の意思でそれを求めるから意味がある。
それから必要だと思う本をいくらか読んだし、小中学生のころは図書室に置かれているような小説だけじゃなく当時の漫画を読みまくったし、
高校のときは宗教がらみの小説やら漫画のブッダやら読んでた。
小さいころはとにかく古くて大事に受け継がれてきた本を中心に読むべき。西尾維新じゃなくてね。
そして、成長時期に合わせて適切な本を選ぶべき。
だけど、理解できないと意味はない。
当然漢字の読み書きや基本的な言葉を解説したものと辞書は必須だが、それを最初に丸暗記することには意味がない。
単なる羅列は使うべき言葉が複数あって迷うような場合には手がかりになるけど、まずはそれを使った言葉に触れるべき。
This is a Pen. みたいな。
特に心と体に密接にかかわるものというのは辞書を引いても分かりにくい。
だからそういう言葉が適切に使われている小説で感覚的に理解し補強する必要がある。
言葉そのものも大事だけど言い回しとかでいろんな表現をしたり、絡めたり暗喩したりするのは歴史的事実とかことわざとか民謡や童話のような誰もが知っているようなものも
聞いて分かる程度には触れておかないと本当の意味を理解できない。
言葉を理解するには詳しく説明された辞書も必要だけど、それを実際に使った文章で覚える必要があり、
心に刻まれるには一貫した物語である必要がある。つまり小説が一番。
だけど見たことがないものは説明を聞いても分からないこと多いよね。百聞は一見にしかずなので漫画などで映像的な情報も当然必要だ。
漫画の絵で見たことになるのかというのは置いといて。
もちろん動いている実写映像があればそれが一番だけど、その動きを記号的に伝える手段に置き換える漫画表現は、
漫画を描く時だけじゃなく、言葉で表現する場合にも応用が利くと思う。
僕は記憶喪失しまくりで、そのたびに何も分からなくて本当に不自由していたが、漫画を大量に読むことで日常的なことについては把握できた。
記憶喪失後は知能も低下しているから文章では理解できないし(漢字も読めないし)、映像は見るのに時間がかかるし。
友達なんていないし。
つまり、本を読むとか読まないというのは今の話であって、
少なくとも学生時代には読めるだけの本を読んで身に着ける必要があり、
必要であれば大人になっても読むべきだ。
よく、論文の勉強に新聞のコラムを挙げられるが、あれは文字数制限内に収めるテクニック以外には役に立たないだろう。