◆◆宮崎と押井と大友と庵野と今と… 50◆◆

このエントリーをはてなブックマークに追加
935名無しさん名無しさん
高橋:
〜そして、宮崎さんが何を言ったかというと
「アニメは僕で終わりです」って
今、宮崎さんがやろうとしてるのは
葬儀、埋葬、アニメを自分と共に
終わらせるって事だと仰ってました。
宮崎さんは、ある意味現代を拒否してるでしょ。
携帯も使わないし、パソコンも持っていない。
車にエアコンが入ってない。
「暑かったら窓を開けろ」って(笑)。
もう徹底してる。
でも、アニメーターだから共同作業で
若い人を使わなきゃいけない。
でも、後継者を育てる事に失敗しました。
何故かというと「今はもう技術がない」。
アニメを描く時って、セルに色をのせる。
色は塗るんじゃなく「のせる」っていうんですね。
これが美大を出た子は、1年間やっても出来ない。
とうとう辞めちゃった。
「そんな簡単な事も出来ない」っていう話になった。
それでアニメの技術の伝承をどうしようかと思っていたら
デジタルが出来たでしょ?
つまりアニメの技術が無い人でも
アニメを作れるようになったの。
936名無しさん名無しさん:2011/06/06(月) 18:47:37.60
宮崎さんはデジタルは基本的にやりたくないそうです。
あれはアニメじゃ無い、色が違うと。
でももう技術を持ってる人は居ないからやらざるを得ない。
宮崎さんは今年70歳なんです。1941年生まれ。
宮崎さんにとって50歳ぐらいの人が作ってるのはアニメじゃない。
アニメに似た何かに過ぎない。
それは私の考えるアニメではないので関係ない。
そういう考え。で、アニメはとは何かという話になった。
今の若いアニメーターは炎を描けないだって。
いくら言っても描けないんで
よく訊いたら見た事がないって言ったって。
本物の炎じゃなくアニメの炎を描いてる訳。
宮崎さんのアトリエには巨大な薪ストーブがあるんです。
どうも「この火を見ろ」と言う事らしい(笑)。
宮崎さんが言うには
「火とか水とか風とか音とかを再現するのがアニメなんです。
 それを知らない人間は
 そもそも再現出来ないのでもう不可能です」と。
「そういう文化もう有りません!」。
937名無しさん名無しさん:2011/06/06(月) 18:47:58.48
何故なら自分が最初で最後のアニメーターかというと
手塚治虫の『新宝島』を読んだからだと。
『新宝島』って1947年の作品なんです。
だから宮崎さんが6歳の時なんだよね。
6歳や7歳で『新宝島』を読んだ人が作るのがアニメ!。
で、日本で最初のアニメらしいアニメって
東映の『白蛇伝』なんだよね。
あれが1958年だから宮崎さんは17歳で観たんですね。
つまりそういう経験がある人間が作るのが「アニメ」で
最後に仰ったのは
「ひとつのジャンルは50年で終わります」という事。
つまり『新宝島』に50年足すと1997年。
『白蛇伝』に50年足すと2007年。
ひとつのジャンルは50年保たない。
真似で似たような物を作っていくことは出来るけど
何かのジャンルが生まれて生成される事は別問題だから
それはただ延命させてるだけで。〜