【ウテナ】 脚本家・榎戸洋司さん 【トップ2】

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115セラムン脚本解説

・第163話「鏡の迷宮!捕らえられたちびムーン」
で、さっきのちびうさと衛の話。すぐ近くにいる、だけど絶対手に入らない理想の男性。好きなんだけれど、好きになってはいけない相手。恋愛対象としては"父親"というタブーを持つもの。
このシリーズにおけるペガサスという設定は、そのうつし絵ではないか、と僕は解釈していた。タブーの表現として、馬という形態を与えられたのではないかと。
ちびうさがペガサスへの想いを強くする後半に衛が苦しむこと、衛とペガサス、エリュシオンの関係が未分化なことも、そう考えると納得がいく。
そしてペガサスは、少年・エリオスに変わっていく。つまり恋愛のタブーがなくなる。この時点で、恋愛への関心が父親以外に移行するのだ。
『SuperS』は、ちびうさが父親から離れ、別の少年を好きになるまでの物語である。

・第164話「賞金水晶出現!ネヘレニアの魔力」
アマゾネス・カルテットが玉使いであるという要素は、最初から原作の設定としてあった。彼女達は、なぜいつも手に玉を――アマゾン・ボールを持っているのか?
よく小さな子供が、なにかひとつ、身近にあるものに愛着を示し、いつも手にするのは、母親という最大の愛着対象から次第に離れていくための移行途上の代用品であるらしい。
(専門用語でトランジショナル・オブジェクトとか言うそうだ)
たとえばぬいぐるみ、ライナスの毛布、ちびうさのルナPボールなど。それを持っていることで、万能感を擬似的に感じていられるのだ。
万能感とは、お腹がすいたと泣くだけでミルクが運ばれ、さびしいと泣くだけで誰かがあやしてくれる、あの、世界がすべてのわがままをきいてくれる赤ん坊の時の感覚である。
カルテットがいつも玉を手にしていること、彼女たちの魔法が、すべて玉の力なのは、ゆえなきことではない。
だから、玉を壊すことを、彼女たちが大人になる象徴にしてみたんだけど……。