【ウテナ】 脚本家・榎戸洋司さん 【トップ2】

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111セラムン脚本解説
第128話「運命の出会い!ペガサスの舞う夜」
皆既日食から始まる物語。そう言えば先週、『TOTAL ECLIPSE』というタイトルの映画を渋谷で見たっけ。
このデッド・ムーン編は、シリーズ構成もやらせてもらった。原作のペガサスやアマゾン・トリオなどの設定を見せてもらい、今回は"美しい夢"というのを、シリーズのキーワードにしてみた。
だが、それは決して、他人に自慢しやすい"きれいごとの理想"という意味ではない。
このシリーズにおける"美しい夢"の定義は"実現しようとする意志"だった。
「女の子だからって白馬の王子さまを待ってちゃだめよ。自分から白馬に乗ってすてきな王子さまを探しにいかなきゃ」と最初ちびうさに言わせたのも、そのためだ。
いくら運命の神さまが親切でも、自分から動かない人は助けようがないだろう。
当初、ターゲットを襲う様式として考えたのは"美しい夢の扉"というものだった。胸元に扉があらわれ、それを開いて中を見る、というパターンだ。
そのあと武内先生の方から、今回は鏡のモチーフで全編を統一したいので、どうせなら"美しい夢の鏡"にしてほしいということになった。
さらに幾原監督が、それならば、開いて見るより、***だ、ということで、ああいう形に落ち着いた。
悪い奴だなあ、アマゾントリオって(笑)。
シリーズディレクターとしての幾原邦彦の冴えは、ポピュラリティとインパクトのバランスを絶妙のポイントで設定することにある。
"はずす"ときも確信犯的にはずす。これが思っている以上にむずかしいんだよね、TVって。
話は変わるけど、あとレムレスにはずいぶんこだわったな(笑)。自動人形カラクリ子ちゃん、というのを思いついたときは、これだ、と思った(笑)。
ただ、企画会議の席、スポンサーやプロデューサーの並ぶ前で、「――第1の敵は自動カラクリ人形カラクリ子ちゃんというやつで、カラカラクリクリと叫びながら襲ってきます」などと説明していると、シリーズ構成って大変な仕事だなあ、と感じた(笑)。
112セラムン脚本解説:2007/04/05(木) 19:57:05

・番外編「はるかみちる再び!亡霊人形劇」
スペシャルだから好きにしていいよと言われたので、よし、これはやはり病弱なはるかが敵に襲われるシーンを描かねば、という崇高な使命感にかられて描いた(笑)。
「あら、なにか誤解してるんじゃないの?はるかのいない世界なんて、守ってもしょうがないじゃない」
このみちるのセリフは、実は『S』のときに思いついたものだ。だけど、デス・バスターズ編の後半はメシア中心に話が進んでいたので、この『亡霊人形劇』のプロットは、使う機会のないまま、ひきだしにしまってあった。
実はひきだしの中にはまだもう一篇、やはりみちるメインで、無限学園に転校してきた当時の二人を描く『星界少年の前夜』というのが眠ってる。
これこそまさにウラネプの極みなんだけど……いや、陽の目を見れなくて残念なことだ(笑)。

・第132話「お似合いの二人!うさぎと衛の愛」
この話、自分でけっこう気にいってる。実は、うさぎと衛の関係をちびうさが再確認しておくことは、この「SuperS」では、はずせないポイントである。
衛を尊敬する後輩・小林というキャラは、当初、原作に登場する浅沼一等にしようと思って書いていた。だけど、書いてるうちにずいぶんイメージが離れちゃったので、結局違うキャラにしてしまった。

・第135話「触れ合う心!ちびうさとペガサス」
前にも言ったことだけど――母親と結ばれる前の若い父親に恋するなんて、これ以上のファザーコンプレックスはちょっとないだろう。この時点での、ちびうさにとって最高の男性像はやはり衛である。
で、その衛のそばには、うさぎという恋人、未来の母親がちゃんといる。
すぐ近くにいる、だけど絶対手に入らない理想の男性。それは――
113名無しさん名無しさん:2007/04/05(木) 19:58:22
・第143話「天馬を信じる時!4戦士の超変身」
「あのさ、"好き"っていうのはね、むずかしく考えるもんじゃなくてさ、この人といつも一緒にいたいっていう気持ちのことだよ、きっと」
いいこと言うなあ、まこちゃんは(笑)。
四戦士のパワーアップの話。新必殺技はまだ未定だったが、コスチュームだけは、この話数からマイナー・チェンジすることになった。
型通りに四人のアイデンティティのエピソードにすると、どうもおさまりが悪くて、ちょい悩んだ。
結局、四人がちびうさとペガサスの絆に気づき、それを信じる、という展開にしてみた。
「お願い、みんな、あたしのペガサスを信じて!」
やっぱセーラー戦士は、恋するパワーを戦いの旗にしなきゃね。

・第148話「巨悪の影!追い詰められたトリオ」
エリオスが獣の姿をした少年であるのに対し、アマゾントリオの三人は少年の姿をした獣である、というのが基本設定だ。
トリオのクライマックスは、最初から、彼らが人間にあこがれるピノキオ・ストーリーにしようと決めていた。
フィッシュ・アイって、いいやつだったな。フェアリーテールな物語の中で動かしやすいキャラだ。いや、衛と幸せになってほしかった(笑)。
実をいうと、次回のラストでフィッシュ・アイが熱帯魚にもどったあと、そうとは知らない衛が自分の部屋の水槽で飼う、という泣ける(?)展開も考えていた。
(冒頭でみんなが熱帯魚を買いに行くシーンがあり、衛の部屋に水槽があることをうさぎがほのめかすのはその名残りである)
114セラムン脚本解説:2007/04/05(木) 19:59:21
・第149話「夢の鏡!アマゾン最後のステージ」
「―――たとえこのまま人間の姿でいられたとしても、美しい夢をもたないボクたちが、ただ人の形をしているだけで、それで人間と言えるのでしょうか?お答えください、ジルコニア様!」
この疑問を持ったときから、フィッシュ・アイはすでに人間なのである。環境から疎外された意識――自分と世界を概念でとらえる"自我"をもっている。
クライマックスにおけるタイガース・アイ、ホークス・アイの潔さも、書いてて気持ちよかった。
その後、三人がどうなったのかはわからない。深い、異界の森で、彼らの静寂な時は今も流れているのだろうか。
ところで、ミュージカル版『セーラームーンSuperS』は、このアマゾントリオ前後編の物語をベースに、構成されたらしい。
そういうわけでミュージカルのスタッフ表記には、[ストーリーアドバイザー・榎戸洋司] の名前があるのです。

・第150話「アマゾネス!鏡の裏から来た悪夢」

ゆめゆめ疑うことなかれ、
夢見る子供の夢の夢、
ゆめゆめ疑うことなかれ、
夢見る子供の夢の夢――。

アマゾン・トリオは"獣"である、というキャラだったので、そこから逆算して、美しい夢をもつ者=人間、というドラマにした。
対して、アマゾネス・カルテットは"子供"なので、美しい夢をもつ者=大人、という枠組みにし、後半を構成してみた。それは、ちびうさというキャラの主題にもつながる。
カルテットの性格は、勝ち気で無邪気、天真爛漫、そしてわがまま。"叱られる"ということを恐れない社会性ゼロの連中である(うらやましい)。
個々の性格より、いつも4人でいてガチャガチャと騒いでいる、"女子校の色気のなさ"を狙ってみた。
115セラムン脚本解説:2007/04/05(木) 20:00:22

・第163話「鏡の迷宮!捕らえられたちびムーン」
で、さっきのちびうさと衛の話。すぐ近くにいる、だけど絶対手に入らない理想の男性。好きなんだけれど、好きになってはいけない相手。恋愛対象としては"父親"というタブーを持つもの。
このシリーズにおけるペガサスという設定は、そのうつし絵ではないか、と僕は解釈していた。タブーの表現として、馬という形態を与えられたのではないかと。
ちびうさがペガサスへの想いを強くする後半に衛が苦しむこと、衛とペガサス、エリュシオンの関係が未分化なことも、そう考えると納得がいく。
そしてペガサスは、少年・エリオスに変わっていく。つまり恋愛のタブーがなくなる。この時点で、恋愛への関心が父親以外に移行するのだ。
『SuperS』は、ちびうさが父親から離れ、別の少年を好きになるまでの物語である。

・第164話「賞金水晶出現!ネヘレニアの魔力」
アマゾネス・カルテットが玉使いであるという要素は、最初から原作の設定としてあった。彼女達は、なぜいつも手に玉を――アマゾン・ボールを持っているのか?
よく小さな子供が、なにかひとつ、身近にあるものに愛着を示し、いつも手にするのは、母親という最大の愛着対象から次第に離れていくための移行途上の代用品であるらしい。
(専門用語でトランジショナル・オブジェクトとか言うそうだ)
たとえばぬいぐるみ、ライナスの毛布、ちびうさのルナPボールなど。それを持っていることで、万能感を擬似的に感じていられるのだ。
万能感とは、お腹がすいたと泣くだけでミルクが運ばれ、さびしいと泣くだけで誰かがあやしてくれる、あの、世界がすべてのわがままをきいてくれる赤ん坊の時の感覚である。
カルテットがいつも玉を手にしていること、彼女たちの魔法が、すべて玉の力なのは、ゆえなきことではない。
だから、玉を壊すことを、彼女たちが大人になる象徴にしてみたんだけど……。
116セラムン脚本解説:2007/04/05(木) 20:01:35

・第165話「クリスタル輝く時!美しき夢の力」
ああ、なんか眠くなってきたせいか、コムズカシイことばっかり言ってるな。
数刻前からすでにアルコールが入っているが、これじゃ説教している酔っぱらいだ(笑)。
だいたい、脚本書いてるときには、ほとんどなーんも考えてない。
いや、あるいは、無意識のうちにいろいろ考えてるのかもしれないが。ふむ。よしよし、偉いぞ、僕の無意識(笑)。
そして衛の魂は、エリュシオンを訪れる。
聖なる権利によって、国家の正当性を保証してくれる聖地。そうか、エリュシオンというのは伊勢神宮みたいなものだったんだな……いかん、また眠くなってきたらしい(笑)。

・第166話「夢よいつまでも 光天に満ちて」
「さて、そろそろいくか」とジュンジュンが言う。
「え、さよならのあいさつ、しないの?」とパラパラが無邪気にたずねる。
「そういうの、あたくしたちには似合いませんわん」とすましてセレセレが答える。
そしてベスベスが小さく微笑んで言う。「ま、縁があったら、またいつか会えるって」
美少女戦士セーラームーンという作品から離れて、すでに一年以上が経つ。
反省点は多々あるが、思い残すことはない。本当に楽しい二年間だった。関係したすべてのスタッフの皆さんには、ただ感謝するばかりである。
今、おりしも窓の外には、磨かれた黄金のような満月が輝いている。
昼間から書きはじめたこの解説だが、気がつけば、すでに深夜だ。
今夜はもう眠いけれど、眠れぬ夜も多いこの仕事を今も続けている僕は、ふと夜空の月を見て、セーラームーンと、それにつらなる日々を、なつかしく思い出すこともある。
なにかを見失った夜は、空を見よう。
月の光は、愛のメッセージだから。


以上