106 :
名無しさん名無しさん:
・110話続き
セーラームーンの世界は多元宇宙なので、プルートは、多くの"同じ時"を経験している。
「そうね、変身できなきゃ助けられないよね」とうさぎが臆したために、メシアが出現しなかった時間世界も、たぶんせつなは経験しているのだ。
自己の危険をかえりみず、ウラヌスたちを助けにいこうとする想いこそがきっと少女をメシアにしたのだ、というこれはおとぎ話です。
あのせつなの微笑みは、「ああ、"この時間軸のうさぎ"は、メシアになれるうさぎだ……この時間軸は、救われる可能性のある世界だ」という想いを隠しているのです。
あるいはメシアになれないうさぎのいる世界ばかりを十万回、百万回と遍歴した末に、ついにめぐりあったうさぎだったのかもしれない。(と、この話のプルートの解説、こんなところで納得してくれるかな?クマさん)
ついでに。はるかの「どうせこの手は汚れている」という言葉の意味に対する質問の手紙もいくつかもらった。質問というより確認かな。はるかとみちるの二人は、実際に誰かを犠牲にしたことがあるのか、という。
僕は、はるかとみちるは、すでに何人かの少年少女の命を奪っていると解釈していた。
"手を汚す覚悟"のキャラクターであるはるかとみちるを描くとき、僕にとって"その部分"はどうしても無視できない要素だったので、わかる人にだけわかってもらおうと、あえて、あのセリフを入れたのだ。
フィクションだからこそ、現実のシビアさをどこかに映していなければ、と考えるのです。楽しいだけの逃避の物語では、作る方も見る方も現実に負けてしまう。それは、フィクションという武器で戦う者には、いちばん悔しいことのような気がするのです。
(おっと、つい熱くなっちまったい。本当は自分が気持ちいいものを書いてるだけです、はい)
「すいません、また子供にわからないシナリオ書いちゃいました」と言いつつ、内心では反省のかけらもないのだった。(子供でもわかる子はわかるんだい― その証拠に大人でも、わかってない人は全然わかってないもん(笑))