すべてのローカル放送局はやがてグローバル局になる
ただ、ネットワーク時代にあってCMはまったく価値をなくすのかというと、
そうともいえないところはある。たとえばITunesを立ち上げると、ブラウザ画面左に
「ラジオ」という項目があって、音楽ジャンルごとに多くの放送局がリストアップ
されていて、すべて無料で聴ける。大事なのはそれはインターネットを通じて世界中に
配信されているということだ。するとどうなるか。広告料が上がるのである。
片田舎のローカル局では、CMといってもせいぜい地元の自動車修理工場くらいしか
出してもらえなかったものだ。それが一転「世界中で視聴されています」となれば、
そしてコンテンツが魅力的で多くのリスナーを集めているとなれば、コカ・コーラや
トヨタ自動車といったグローバル企業がCMを出してくれるようになるやもしれない。
これは、別な言い方をすれば、「すべてのローカル放送局はインターネット配信の時代には
グローバル放送局になれる」ということである。
米国では2009年に地上波デジタル放送に完全に切り替わる。日本では2011年だ。
デジタル放送になるとはどういうことかというと、「デジタル」という言葉がいみじくも
示すように、インターネットを通じて配信が可能になる、という事だ。
つまりニューヨークで山形チェリー放送や岩手めんこいテレビが見られる、ということである。
現にそういうことをやっている企業が海外にはあって、せっせとNHKの番組をコーディング
してはネット上にリリースしている。もちろんそれは無料で視聴できる。
にもかかわらず日本政府は地上波デジタル放送を必死に推進し、NHKはNHKで視聴料不払い者に
対してスクランブルをかけて、放送が見られないようにしようという議論までしている。
時代錯誤もいいところではないか。そんなのは私に言わせれば19世紀の議論だ。
スクランブルをかけようがかけまいが、地上波デジタル放送になった途端に誰もが
無料で見られてしまうシステムが登場するだろう。それを防ぐにはどのみち
コピーガードをかけておかなくてはならない。つまり、ディジタルで受信した人が、
サーバーに貯めてしまえば、自らが配信元になることが出来るのである。
どんなにコピーガードをかけても、打ち破る輩が出てくるだろう。
上述のように今でもアナログ受信したものを海外向けにエンコードして
流している人がいるくらいだから。
つまり地上波デジタル放送に切り替わった途端に、旧来の独占に胡坐を
かいた「幕の内弁当」型の番組制作・事業運営は成り立たなくなり、
変革を余儀なくされてしまうのだ。具体的にどう変わるのか、変わらざるを
得ないのかは次回以降に改めて触れることにしよう。ともあれ地上波デジタル放送とは、
放送局にとっては諸刃の剣、もっといえば喉元に突きつけられた匕首と同じだ。
このことの意味を理解している人間が業界にほとんどいない、またNHKなどの
将来戦略を練る委員会などにいない、とは驚くべきことである。
地デジよりSNSに注目する広告業界
5年後、地上デジタル放送に意味はあるのか
地上波のテレビが現行のアナログ放送からデジタル放送に完全に移行するまで、
余すところ5年である。ご存知の人も多いと思うが、地上放送がデジタルに変わると、
従来のアナログ対応のテレビ受信機では映すことができなくなる。2011年には今の
テレビ受信機がすべて無用の長物になり、デジタル対応テレビに切り替えなくては
いけない。国民全体を巻き込むテレビ業界の巨大な改革なのである。
その地上デジタル放送をあおるイベントとして、7月24日、竹中総務大臣を招いて
「カウントダウンセレモニー」が開かれた。だが、こうした見え見えのお祭り騒ぎに
もかかわらず、わたしは地上デジタル放送の時代は来ないだろうと思っている。
その理由は、今我々の周りで起こっているデジタル化のすさまじいまでの進展を見れば明らかだ。
第二東京タワーの役割は観光だけ
そもそも地上波デジタルを推し進めている役人たちは、いったい5年後には
どういう時代になっていると考えているのだろうか。米国で現在進行形のTiVo
(ダウンロード型、タイムシフト、CMスキップ)やSlingbox(場所シフト)などを
どう見ているのだろうか。またYouTubeなどのクリップ機能が一日1億ページビューとなり、
MySpaceなどのSNSが7500万人もの登録を記録してテレビ局の経営を大きく揺るがし始めている
現実をどう見ているのだろうか。さらにはまた米国にサーバーを置いたYouTubeには日本からの
登録やアクセスが圧倒的に多いことをどう見ているのか。
こうしたことは対岸の火事ではない。日本の視聴者が世界でも最も敏感に自分の好きな
プログラムを、自分の好きな時に観賞し、さらにblogやSNSでは世界で最も活発に
発言している、という事実があるのだ。わたしも経営や起業に関するSNS
(ログインページは
ttp://agoria.jp。詳しくは
ttp://bbt757.com/)を持っているが、
今の日本人の“発言したい”“参加したい”という意欲は世界のどこに比べても
全く見劣りしない。
地上デジタル放送の計画は10年前から進行しているわけだが、この10年の間に
テレビやIT業界は様変わりしてしまった。そしてこれからの5年間でさらに変質して
いくだろう。放送はインターネットを利用してサーバーで配信している可能性も
低くはない。そうなったら「地上デジタル放送は無駄な出費だった」となりかねない。
いや、日本の視聴者はそれまでに多くの経験をして、おそらく最もだまされにくい
群衆となっているに違いない。
やはりここは、一度立ち止まって検討し直してみることが必要だろう。
10年前の情報や認識が誤っているかもしれないのだから。何しろ地上
デジタル放送にかかる経費は膨大だ。基幹システムだけで1兆円以上と
いわれている。しかも各放送局はさらに投資が必要だ。
それらの設備投資が行われてしまった後に、視聴者が光ファイバーで
配信されるもので満足し、受信機が家庭にほとんどない、という状況になったら、
どうするつもりだろう。光ファイバーならアタプター1個付けるだけで
既存のテレビ、あるいはパソコンで安く見られるかもしれない。そうしたら、
お金も取れない。
日本に地上デジタルの契約者が1人だけいて、その人がサーバーに蓄えて
P2Pで配信したらどうするのだろうか。日本では違法だ、と逮捕することも
できるが、そのサーバーがパラオや(外交関係のない)北朝鮮や台湾に
あったらどうするのだろうか。インターネットプロトコル(IP)というのは
国境のない放送局でもある。都道府県別に電波を割り当てている現在の行政の
仕組みも、根本から揺さぶられることになる。
コマーシャルスキップ機能をパソコンまたはハードディスク側が持てば
テレビCMで利益を上げることも難しくなる。アンテナの立っている家を
目指して視聴料を取りに来るNHKも、インターネット放送で見る人しか
いなくなれば視聴料を取るのも困難だ。ましてや国外のサーバーから受信する
人に今まで通りの受信料を払えと言っても無理だろう。多くの人は朝から晩までの
全ての放送を見るわけではないので、有料化する場合にはアンバンドル
(番組をバラしてジャンル別に課金する)しかない。スポーツという
くくりよりは大相撲とかゴルフ、というくくりになるだろう。
このままお気楽に地上デジタル放送に盲目的にまい進していいのだろうか。
アナログの電波を独占的に支配してすべて提供者の論理で進めていたことが、
デジタルになった途端に受け手の側にも大きな選択肢が発生するという、
この単純な事実を役所や業界はどのくらい分かっているのか。
結果が出るのにそれ程時間はかからないだろう。
まあ何だな。将来的にどう転ぶかまだわからないがテレビ業界崩壊の危機が
起こる可能性は十分あるということは言える。もし弱肉強食の世界に突入した
場合アニメーター達は今まで下請けだった構造から一気にトップの座に昇りつめる。
古い構造を完全支配しているアナログテレビ業界の呪縛から一気に解放される
からである。
『一体誰が偉いのか。』
これを認識していない勢力はいつか見放される。出版社もしかりである。
驚くべき技術の進歩によってその驕り高ぶった勢力に鉄槌が下されるのだ。
一つの可能性として漫画家とアニメーター、この二つの存在が直接繋がる
かもしれない。現在下請けとして扱われているこの二つの存在が直接交渉
する未来がやってくればそれは面白いことになる。中間搾取業者を排除し
権利を一括して保有することになれば漫画家はもとより現在非常に苦しい
立場に追いやられているアニメーターの大幅な待遇アップが可能となる。
テレビ業界を吹き飛ばすポイントは二つ。一つは放送免許等によって守られて
いる事実上の独占的既得権の無力化。もう一つはスポンサーの切り離しである。
この二つが可能となれば現行のテレビ業界は死に絶える。
驕り高ぶった勢力には死を与えるのが煮え湯を飲まされているすべての
クリエーターの望みと言える。そしてその願いが叶う時が迫って来ているのだ。
ネット放送受信可能テレビがもし全国に普及するようなことになれば
アニメーターは自サバを持ちそこから配信すれば良い。アニメ作りの資金
はスポンサーから直接提供を受けるか放映権回復によって独立採算も可能
となる。アニメ制作会社はやがて来るテレビ業界の崩壊時において夢のある
ものとなるであろう。
すべての革命は無駄をなくし効率よく、より高速に向かう方向で行われる。
テレビ業界は広告代理店などの無駄で非効率なものが多すぎる。
これを排除しクリエーターの正当な権利を取り戻すことが必要なのだ。
テレビによってネット動画が見れるようになれば視点との距離の問題も
解消される。またアニメの絵ならば現行の通信速度で十分な画質を得る事が
出来る。これからますます大容量通信時代に突入していくのであるから
技術的な問題はない。
またネット配信であれば世界中に一瞬で配信することが出来る。
日本の寄生虫だけでなく世界の寄生虫を排除しクリエーターとそのファン
を直接結びつけることが可能なのだ。恐ろしくなるほどの話ではないか。
懸念なのは違法コピーに対する問題だがこれは将来の解決を待つしかない。
いずれにせよデジタル化時代には生じる問題でもある。
DVDなどの映像商品の売れ行きは多少落ちるかも知れないが現在スポンサー
からテレビ業界に流れている莫大なマネーが直接アニメーターそして漫画家に
流れるのだとしたら全く問題はないかもしれない。最終的な問題とはやはり
価値のあるコンテンツを提供できるかどうかということなのだ。
現在の資金源が縮小する可能性がある一方で新たな資金源が生じてくるもの。
やはりアニメーターは今から将来の権利獲得に向けて水面下で案を練る必要が
あるだろう。
漫画家にとって将来アニメーターが強大な敵となるのだろか?
アニメ化するもしないもアニメーターの意向次第となれば恐ろしい。
いやそうはならない。スポンサーの意向、視聴者の意向、そして相対的数の問題
からしてそこまではならないと思う。
やはりクリエーター同士は相思相愛のパートナーとなる運命なのだ。
もっとも力のない漫画家作品のアニメ化においてはそのような横暴が
まかり通ることもあるかも知れないがそこまで議論するのは気が早いと
いうものだろう。