【テクノポップユニット】Perfume 1664【Mステ投票連続ランクイン】

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Perfmue物語〜第二章〜グラミー賞への道〜そして宙へ・・・

 2011年大学を卒業したPerfumeは、突然活動停止を宣言して事務所をやめた。
「結婚か?、妊娠?病気?」
マスコミもファンもあまりの急な事態に言葉を失った。

 そしてPerfumeが消えて2年余り経ったある日、
ロンドンの駅前広場でビラ配りをしている変な三人組みがいた。
「私たち、Perfumeって言います。日本から来ました。名前だけでも覚えて帰って下さい。」
そう言って、ラジカセに合わせてストリート・ライブを始める。
ロボットの様な変てこな踊り。通行人は、訝しげな目で見ながら通り過ぎて行く。
しかしそれが、1週間、2週間と続く内に段々と立ち止まって、
彼女らのパフォーマンスに見とれる人達が増えてきた。

「東洋から来た変な踊りを踊る謎の三人娘」
この噂を聞きつけたTV局が、取材に来る。
そして彼女らが、人気絶頂期に忽然と姿を消した
日本のスーパー・テクノポップ・ユニット「Perfume」であると報道した。
連日、彼女達のストリート・ライブには、黒山の人だかりができる様になった。
そんな彼女達をレコード会社がほっておくはずがない。
壮絶な争奪戦の末、彼女たちはビートルズを発掘したレコード会社EMIから
デビューする事になる。しかも自作の曲で。

 姿を消していた2年の間に、かしゆかは得意のマックでDTMソフトを使って
ヤスタカに頼らずとも自分たちの楽曲を制作出来る様になっていた。
のっちは、ニューヨークでダンスレッスンに明け暮れ、
今では、MIKIKOを超えるダンスのスペシャリストになっている。
あ〜ちゃんは、持ち前の集中力で英語をマスターし、
日本語と遜色ないライブ・トークで聴衆を爆笑させていた。
レコーディングは、アビーロード・スタジオで行われた。
奇しくも、ビートルズ・デビュー50周年目の秋であった。

CDを発売するや否や瞬く間に彼女達の人気は、イギリスに留まらず、EU諸国を席巻した。
2年後には、女王陛下から勲章を貰うまでになる。

そんな人気絶頂の中、また彼女達は忽然と姿を消すのである。
日本から姿を消した時の様に・・・。

そして数ヵ月後、ニューヨークのダウンタウンでビラ配りをしている変な三人組みが居た。
「私たち、Perfumeって言います。日本から来ました。名前だけでも覚えて帰って下さい。」

メンバーの一人が呟いた。「これがうち等のやり方じゃけー。」

 ここ新大陸でも再びPerfumeはサクセス・ストーリーを実現させる。
例の様にビラを配ってのストリート・ライブから初めて
1年後には、日本人としては、坂本九の「スキヤキ」以来、全米ヒットチャート1に輝いた。
10tトレーラー50台でコンボイを組んでの全米スタジアム・ツワー。
ウッドストックでの10万人年越しカウントダウン・ライブ。 グラミー賞、4部門独占。
日本からは、総理大臣がわざわざ駆けつけ、国民栄誉賞を授けた。
翌年、PerfmueはPerfmueジェットに乗って世界35カ国ワールド・ツワーに出かけた。
ツワーの最終地日本では、当初予定の東京ドーム7daysでは足りず、2週間もの公演になった。

 それから5年後、Perfumeの夢である「火星でライブ」を実現する為に
世界各国は協力して巨大宇宙船 Perfume号の建造に取り掛かった。
もはや、国境線など意味は持たない。地球上から争いが消えた。
Perfumeの元に世界は一つになったのである。
唯一、残っている争いと言えば・・・
火星ライブのチケット争奪戦であった。