90 :
名無しの車窓から :
2007/06/07(木) 01:31:47 ID:j6/kEXPO ところで、香港鉄道ファンのかたがたは、かつて1973年から1974年にかけて、地下鉄建設に絡み、 日本の三菱商事がとんでもない不信行為を香港政庁にはたらいたという事実をご存知ですか?
某商事が関係してるかは知らんが、
英語版Wikiにこんな一文を見つけた。
A consortium from Japan signed an agreement to construct
the system in early 1974,
but in December of the same year,
it pulled out of the agreement for
reasons stemming from fears of the Arab oil crisis.
元ネタ参照先にも少しだけ載っている。
http://www.theskytrain.net/hkmtr/Past_History.htm 1980年代に出てた宝島社のスーパーガイドアジア・香港編に
香港っ子は今も日本が裏切ったことを根に持っている、と
あったのはこれのことか。
>>90 さん さらに kwsk
92 :
90 :2007/06/07(木) 16:36:51 ID:fcJVIkSM
93 :
名無しの車窓から :2007/06/07(木) 18:45:24 ID:J67Cnlfh
自国の恥ずかしい歴史に口をつぐんでしまう、 ってのは日本にもあったんだね。 むかしはエコノミックアニマルとか呼ばれて日本も評判悪かったしな。 もし日本が施工してたら 九龍側の島式ホームはあんなに狭かっただろうかと思う反面、 ヘッドウェイ2分での高密度運転が可能なATOや 換気が良く効いて陳腐感もないアルミボディの電車が 当時の日本の持つテクノロジーで作れたか疑問。
94 :
90 :2007/06/08(金) 01:06:47 ID:tTqHEBVI
>>93 当時の香港政庁は、1970年にロンドンのFreeman Fox and Partnersというところに委託して作らせた
詳細な仕様書をもとに、事業を定額、一括丸投げ施工(トンネル、車両、軌道、電気、信号、乗車券
システムなどすべて含む)でやってくれる事業者を世界中で探していました。
その仕様書には、当時すでにロンドン地下鉄ビクトリア線で採用されていたATOを用いることが明記
されており、電車のボディも、軽量のアルミを使うことが推奨されていました。
三菱商事は、当然それを知った上で、そのとおりに施工することを約束して引き受けたのです。
本当に、ATOやアルミボディ電車が
>当時の日本の持つテクノロジーで作れたか疑問
だとしたら、三菱商事はできもしない仕事を請け負ったことになるわけで、輪をかけて無責任です。
ちなみに、日本が無責任に撤退したため、香港には強い憤りが広がり、その後の地下鉄契約では、
トンネル堀りとエアコン関係以外の契約はほとんど取れませんでした。
・電車は、英国のメトロキャメル
・架線工事は、ドイツのAEG/シーメンス
・乗車券システムは、聞いたこともない米国の会社(開業後故障頻発)
に、すべてさらわれました。明らかに、報復です。
1976年、日本の会社はこれに衝撃を受け、「香港は英国植民地主義でけしからん」と、過去の三菱
の無責任を棚に上げて、非難を香港政庁に投げつけました。
しかも、この三菱商事がつくった日本の悪評は、東南アジアや中国中に広がりました。
中国や東南アジアの地下鉄プロジェクト契約で、日本が欧州勢に大きく差をつけられることになった
ことの背景にはこれがあります。例えば、今の中国の地下鉄は、ほとんどドイツ製車両です。
三菱商事は、1970年代の香港で、とんでもない信用失墜行為をしてくれたものです。
この衝撃の事実を、もっともっと、日本中で語り継がなければなりません。
たしかにアジアの地下鉄で日本流の仕様を採用してるのは韓国ぐらいで 上海や広州では香港サイズの電車が走ってますね。 今に至るも日本に公的機関以外のコンサルが ほとんど育ってないのは問題ですね? 他国のコンサルは当然、自陣営に都合のよい仕様書を作ってくるでしょうから。
あ、別に日本で作る技術無くても車両とか資材は海外で調達する方法はありますね。 日本の商社は最近は簡単な電車はROTEMに下請けに出すようですしね。
結局無能商社が日本メーカーが参入できる市場を小さくしたな。 あいつら台湾高鐵のときも欧州側にやられっぱなしだったし
98 :
90 :2007/06/08(金) 20:24:33 ID:AWxUX6V3
>>95-96 >アジアの地下鉄で日本流の仕様を採用してるのは韓国ぐらいで
>上海や広州では香港サイズの電車が走ってますね。
そのとおりです。
香港地下鉄プロジェクトは、まだ北京以外は地下鉄が全く無かったこの地域で、
最初の重要なものでした。香港に地下鉄ができれば、多くの都市がそれを見習って
地下鉄建設をいずれ計画することは容易に推測できます。その意味で、日本がこの
プロジェクトの中心になって国際的信頼にたる役割を果たし、香港に日本流仕様の
地下鉄を建設しておくことは、以後の日本のアジア地域における鉄道関連ビジネス
チャンスにとって、きわめて重要な課題だったのです。
事実その後、上海、広州、台北、そしてシンガポールなどで地下鉄ができました。
そしてそれらは、ほとんどすべて香港の仕様をモデルにして建設されました。
つまり、日本が無責任に撤退したために、悪評が立ったにとどまらず、香港政庁が
つくった政府全額出資企業である地下鐵路公司(MTR Corporation)が、英国の影響
を受けて作った地下鉄規格が、東南アジアと中国(台湾含む)の地下鉄仕様のデフ
ァクトスタンダードになってしまったのです。しかもそればかりでなく、香港の
MTR Corporation はいまや多国籍化し、地下鉄技術を自前で香港外に輸出する
までになりました。深[土川]の地下鉄は、香港が全面的に技術輸出して作ったもの
です。いまさら、日系コンサルの有無など問題にしても、全く意味は無いでしょう。
>結局無能商社が日本メーカーが参入できる市場を小さくしたな。
まさに、そうですね。
三菱商事は、大赤字覚悟でも、いったん引き受けた以上、香港地下鉄プロジェクト
を責任をもって自力で完成させるべきでした。そうしていれば、東南アジアや中国
の各地で、日本流仕様の地下鉄が大々的に採用され、香港で蒙ったかもしれない赤
字以上の大きなビジネスチャンスが、きっと今ごろ日本の企業を潤していたはずだ
ったのです。
そのような長期的な視野をもてない企業は、たしかに、「無能商社」と叩かれても
仕方がありません。
車両単体とかならともかく、もう日本勢があれだけの都市鉄道系の大型案件を 獲る機会はないかもしれませんね。 中国向け新幹線なんか国内に『売るな』の大合唱という敵?を抱えてるくらいだし。
おやおや香ばしくなってまいりましたよ。
それで、MHI三原を担いでるのが別の商社なんだな。
102 :
名無しの車窓から :2007/06/09(土) 01:04:43 ID:HlAsZxxj
104 :
名無しの車窓から :2007/06/09(土) 09:07:01 ID:Z2vLiKPA
>>103 >香港向け車両
これは、KCR(九廣鐵路)向け第3世代車ですね。
KCRも、交流電化後、最初はMTRと同じ英メトロキャメル製交流電車を導入しました。
交流電化工事自体も、英国企業が担当。ここでも日本はビジネスチャンスを失いました。
KCR第2世代車は、英仏連合の車両。そして、第3世代で日本製に。しかし、デザイン
は第2世代車を踏襲している部分が多いし、パンタグラフなどかなり欧州製部品が使われて
いるようですね。
地鐵は、30年たった今でも、日本製車両はオフリミッツ。若干、旧車の改良工事で三菱
が入ったようですが。
スタンダードを作るということの重みを、改めて自覚させられてしまいます。
地鉄の仕様は最初から英国が作ったやつで決まりだったのですね。 連結部のメタリック幌なんかは当時の日本には無かった発想では。
KTTの客車は確か日本製だったよね。
107 :
90 :2007/06/09(土) 17:36:29 ID:+evxQTze
>>105 大きな車両のサイズ、ロングシートの少ない座席数、連結部にドアを設けず列車
全体を寸胴状態にする、というのは、すべて英国のコンサルが決めた仕様です。
(ただし、幌をメタリックにするのは、メトロキャメルの設計でしょう。)
その理由は、できるだけ多くの客を効率よく詰め込めるようにする、ということに
尽きます。香港の人々は、東京のラッシュ電車のようにすし詰めで乗るという経験
がないため、車両を大きくして客をさばかなければならないと考えたのです。
ところが、三菱商事は、この英国コンサルの仕様書を受け取った後、10ヶ月くらい
たなざらしにした挙句、これとは違う小型の車両を香港政庁に提案するという暴挙を
平気でやった。散々待たせて、約束と違う設計を日本は持っていったのですから、
そこで信頼関係が崩れて当然です。そのあたりで隙間風が英香港政庁と三菱商事の
あいだに強く吹き始めたのでしょう。
仕様書を見て契約した以上、そのとおりに作るというのは、受注側として当然の義務
ですが…。
ビジネスの基本すら知らない、三菱商事の見識を疑います。これが日本の「一流商社」
とは。まったくお藁いですね。
>>106 KTT=九龍と広州をむすぶ直通列車の、香港編成ですね。
客車は、たしかに近畿車輛製です。
実は、九廣鐵路と近畿車輛との結びつきは深く、メトロキャメルの交流電車に
追放される前、非電化時代の客車は、ほとんど近畿車輛製を使っていました。
いまでも、大埔墟駅と太和駅との間にある鉄路博物館に1両置いてあり、ちゃんと
近畿車輛の銘板がのこっています。内部も、サイズが標準軌で大ぶりなことをの
ぞけば、どことなく日本の客車を彷彿させるつくりです。
このことからすれば、交流電化時も、当然KCR電車は近畿車輛が担当するのが
流れだったわけですが、英メトロキャメルにやられてしまった。
KCRは英香港政庁直営の「国鉄」ですから、いかに香港政庁の日本に対する怒
りがきつかったかがわかるというものです。
三菱商事の罪は、きわめて大きいといわねばなりません。
償っても、償いきれません。
108 :
名無しの車窓から :2007/06/09(土) 17:57:09 ID:0TxkCiwG
>>107 話は横にそれるが、植民地の鉄道車両で本国のメーカーを格別優遇してなかったのかイギリス。
今は仕方がないが、
>>94 なんか見ると当時はイギリスのメーカーにも
アドバンテージがあったようなのに、わざわざ…
漏れが妄想した70年代テイストの日本的仕様の香港地鐵。 ※実際に検討されたというものとは関係がありません※ 電車は有楽町線を標準軌間にしたようなやつ。 前面非対称だから他車と連結して避難ということができない。 窓は開くけど引っ掛け式で駅進入時バタバタいう。 空調は常時換気じゃないから倒れる者多数。 信号はサドンブレーキのATCで手動運転。 時隔は2分半にしかできず、車両は20mクラスだから 10連でも輸送力で負けてる。 地下は剛体架線(現実には直接吊架だね)、 でもパンタがしょぼいのでトンネル断面は 思ったより小さくできずじまい。 唯一マトモなのは当初からチョッパ制御なこと。
110 :
90 :2007/06/09(土) 23:56:36 ID:3IA+Y/ii
>>108 なぜ、香港のイギリス植民地政庁が、わざわざ日本に地下鉄プロジェクトを発注したのか。
しかも、イギリスのコンサルに仕様を作らせたあとで・・・
たしかにこれは、大変興味深い謎なのだが、大きく2つの説明が出されている。
(その1) 香港政庁は、地下鉄の必要を認識していたが、コストがかかるのは困る。
とにかく安く作りたかった。詳しい仕様書は作ったので、あとはそれに忠実に、できる
だけ安い固定価格を提示したコンソーシアムに任せるのが賢明と考えた。
(その2) 当時、香港政庁は、英本国と大きな対立を抱えていた。それは、香港政庁が
ロンドンに英ポンドで保有していた準備金の問題である。英国経済の斜陽化で英ポンドが
次第に減価し、香港政庁のポンド建て実質資産も目減りしていた。そこで、香港政庁は、
準備金減価に対する保障をとりつけようとしたが、英本国は拒否。そこで、香港の英国人
は、英本国から自立し、他の国とより緊密な経済関係を持つことを模索した。その有力な
候補の1つが、日本だった。要するに、英本国への報復として、日本に地下鉄プロジェク
トを委ねたのだ。
いずれにせよ、本来なら取れないはずの契約が、香港政庁の複雑な内部事情から日本に回って
きたのは事実。
三菱商事はそういうことも読めず、千載一遇の好機をムザムザと逃して、香港政庁の英国人高級
官僚をかえって窮地に追い込んでしまった。
大型プロジェクトには必ずついて回る、国際政治のセンスが欠如しているとしか言いようがない。
安く造ることと、英国式の仕様がそもそも相反しますね。 早い段階に受注側が、無理なので日本の規格で…と 申し出てたらどうだったでしょうね。
112 :
90 :2007/06/10(日) 11:50:19 ID:4Vc7zSL3
>>111 >早い段階に受注側が、無理なので日本の規格で…と申し出てたらどうだったでしょうね
それは、あり得ません。なぜなら、これは日本との随意契約ではなく、国際競争入札だったからです。
入札は、1973年10月に行われました。条件は、
1.Initial Systemを英国コンサルが作った仕様書どおりに一括受注方式(full turnkey)で建設する。
注: Initial Systemとは、現存する観塘、?湾、港島線に加え、讃石山から旧啓徳空港、土瓜湾を
経て、上環までの路線(空港が移転されたので、結局建設されなかった)までも含む、大規模なもの
です。港島線も、西は、堅尼地城までのびています)。
2.固定価格で建設する。
ということです。
とはいえ、
>>110 で書いたような事情もあって、香港政庁は、内々に日本の三菱商事が主導するグループ
と1973年あたまから折衝を始め、三菱側はこれに応じていたのです。香港内で、三菱商事は、香港最大
の英国商社であり香港政庁の中にも深く食い込んでいた、ジャーディンマセソン社と組んでいました。
他に応札した、2つの欧州勢(英伊、英独仏)は、固定価格はあまりにリスキーと判断し、固定価格
を出せませんでした。当然、条件に合わないので入札では敗退しました。
折衝開始から実際の入札まで、半年以上あったのですから、その過程で「無理」とわかれば、応札辞退
すればよかっただけの話です。それなら、完全に正当な商契約の範囲内の行動であり、国際信義に悖る
ことはありません。
ところが、三菱商事側は、正式にプロジェクトを香港政庁の条件を完全に飲んで落札した。しかも、
翌年はじめには、「必ずそのようにやります」という確約書(letter of intent)まで差し入れています。
自ら退路を断つようなことを三菱商事は次々とやった挙句、最後に、勝手に逃げていったのです。
114 :
90 :2007/06/10(日) 13:18:44 ID:4Vc7zSL3
>>113 >個々の日本製品はそれなりに導入されている。
それを言い出せば、三菱商事撤退後のModified Initial Systemの土木工事で最も戦略的な位置にあった、
クロスハーバートンネル(金鐘〜尖沙咀間)の施工は、英国コンサルの監督下ではありますが、熊谷組が
受注しています。
最初の海峡越え道路トンネルは英国企業が直接施工したのですから、これは、香港政庁側の最大限の日本
企業への好意というべきものでした。しかも、貫通式典では、日本の酒樽を持ち込んだ鏡割り、女人禁制
という完全な日本式の儀式で、そこにMTR Corporationの英国人社長がホスト役を勤めるというサービス
までやってのけ、これをマスコミに大々的に報道させて、「関係修復??」を演出しています。
しかし、電車、架線(仕様書では第三軌条だったが、その後架空線方式に変更)、乗車券システムなど
日本式地下鉄使用にするため重要な「目に見える部分」では、完璧に日本企業が敗退しています。
つまり、「今後のこの地域の地下鉄は、日本式仕様にはさせまい」という、暗黙のメッセージがつよく
伝わるような契約になっているのです。
さすがは、老獪な英国紳士ですね。
シャチハタスタンプや記念乗車券印刷などマイナーで、はっきり言ってどうでもいい話。
乗車券というなら、オクトパスカードは、ソニーが開発したフェリカという日本技術なのはご存知ですね?
これも結構厳しい仕様規定を香港側から課せられたのですが、さすがにソニーは三菱商事と違って無責任
なことはせず、仕様書に忠実にあうよう技術開発につとめた結果、大変優れたものができました。
そしてその後同じ技術がスイカ、イコカ、そしてパスモとして日本に取り入れられたのです。
スイカなどは、香港オクトパスカードの仕様がソニーの手で日本に逆輸入されてできたものです。
パートナーのジャーディンマセソン社にも50%ぐらい責任があったとは 言えないのでしょうか?
ではどうしたらベストだったのでしょう、 損を覚悟でメトロキャンメルなりなんなりに外注に出すとか? 上海や広州の地下鉄が香港サイズと書いたけど、 そちらは英国ではなくドイツ勢が主流ですね。 日本企業は中国でも北京の地下鉄のパーツなどで健闘しているようですね。 会社間の契約書なんて見たこともないけど、違約金の条項って無いもんなんですかね。 今までは信義に基づいていたのがそれを機に厳しくなったとか?
117 :
90 :2007/06/10(日) 15:00:50 ID:4Vc7zSL3
>>115 ジャーディンマセソンが三菱商事を信頼した背景には、もうひとつ重要な事実があるのです。
それは、当時の首相であった、田中角栄の存在です。
香港地下鉄工事は、鉄道がらみの一大公共事業であり、しかも香港はいずれ中国に返還される。土木工事と中国。まさに、
田中角栄にうってつけのプロジェクトでした。田中角栄が、三菱商事に、もし香港地下鉄プロジェクトで赤字が出れば、
日本政府が何らかの手当てをするから、香港政庁側要求の50億ドルでとにかく契約を取れ、という趣旨の口約束をした
との噂が流れ、当然ジャーディンマセソン側の耳にもこれが入っていたようです。
とはいえ、田中角栄は、1974年12月までは首相に在任しており、このプロジェクトに三菱がかかわっていた時期と相当
重なっています。在任期間に田中角栄が何らかの手を打とうと思えばできていたはずで、それは実行されなかったのです
から、まあ、噂は2ちゃん書き込みレベルのwishful thinkingだったのかもしれません。
とはいえ、その熱い期待に対する日本側の対応は、三菱だけでなく政府としても、あまりにも長期戦略を欠いていたよう
にも思われます。
三菱商事は、撤退寸前の交渉で、追加資金として20億香港ドルを要求し、総工費70億香港ドルなら施工するといいましたが、
それは政庁側に拒否されて破談になりました。三菱商事は営利企業であり、契約した当事者ですから、契約遵守義務はあり、
三菱が赤字の相当部分をかぶるべきなのは当然としても、ある程度の資金は日本政府も出してプロジェクトを救援する。
例えば、半額の10億香港ドル(当時の為替レートで、約350億円程度)で、香港のイギリス人や中国人に長く感謝され、東南
アジアや中国各地で日本仕様の地下鉄が走り、日本企業が今後この地域の鉄道プロジェクトで圧倒的優位に立てるとしたら、
それは日本にとって高額すぎる出費だったでしょうか?
田中角栄も、一度はそのように考えたのかもしれません。しかし、なぜそれは実現しませんでした。
いずれにせよ、ジャーディンマセソンや英香港政庁側が、日本に資金面でも憶測に基づく期待を膨らませていたの
は事実のようであり、そこに責任が全く無いとはいえないと思います。
三菱商事が一方的に撤退した後、香港政庁側は訴訟も検討したようですが、結局実行されませんでした。その背景
には、この自らの責任問題も絡んでいたのかもしれません。
118 :
90 :2007/06/10(日) 15:26:31 ID:4Vc7zSL3
>>116 すみません。書き込みが入れ違いになったようです。
>損を覚悟でメトロキャンメルなりなんなりに外注に出すとか?
三菱商事はメーカーではありませんから、いずれにせよ車両はどこかに外注するわけです。
仮に赤字覚悟でプロジェクトを続けるとした場合、泣きを入れて、どこかのメーカーに赤字覚悟
で車両をつくってもらう。そのメーカーはまた部品を下請けに安く… という赤字付回しが起こ
った可能性はあります。まあ、日本ではよくやる方法です。こういう吸収力が日本経済にはある
ので、別にメトロキャメルに外注する必要など全く無かったと思いますが。
>上海や広州の地下鉄が香港サイズと書いたけど、
>そちらは英国ではなくドイツ勢が主流ですね。
英国の鉄道車両会社の競争力は低い(メトロキャメルという会社も、今はもう存在しません)ので、
「日本ではなくEU」というくくりでそうなっているとも考えられます。また、シーメンスは、
各国の都市鉄道プロジェクトで、一括受注(full turnkey)の実績を積んでいます。日本も、香港
で三菱商事がやっていれば一大実績になったのですが、こうしたお粗末というほかない企業行動を
とったため、実績を作れなかったどころか悪評が立ち、どこでも敗退しているというのが実情です。
それゆえ、北京のような、まさにパーツくらいの半端な受注に甘んじざるを得ません。
>違約金の条項って無いもんなんですかね。
三菱商事の契約には、無かったようです。それだけ信頼されていたということでしょう。それを
正面から裏切ったのですから、香港政庁側の憤りは大きい。撤退のさい、三菱は自発的に違約金を
払うと政庁側に申し出たそうですが、拒否されました。
119 :
115 :2007/06/10(日) 15:28:51 ID:3b7yyWHx
>>90 さん
ありがとうございました。本を一冊書けそうな興味深いお話ですね。
角さんがサッチャー対トウ小平以前の70年代初頭の段階で香港返還を
ある程度リアルに認識して香港≒中国というビジョンを持っていたの
だとしたら、角さんはやはり只者ではない、ということになりますね。
120 :
115 :2007/06/10(日) 15:30:32 ID:3b7yyWHx
116の方は私とは別の方です。
121 :
90 :2007/06/10(日) 17:18:33 ID:4Vc7zSL3
>>119 >角さんはやはり只者ではない、ということになりますね。
田中角栄の評価が出てきましたので、内容が香港地下鉄と離れますが、簡単に一言。
田中角栄は、香港地下鉄以外?にも、海外で日本の利益を考えたさまざまの開発戦略を実行に移していました。
しかし、「金権、土建屋政治家」といった、俗受けしやすい非難の声にかき消され、これらはほとんど日本で
知られていません。
例えば、
ブラジルで、日系人と組んで荒野を開発、そこに安定した日本向け食料供給基地を作る。
ソ連と組んで、サハリン沖の石油・ガス資源開発プロジェクトを立ち上げる。
・・・これらは、その後どうなったでしょうか。
ブラジルの食糧基地開発は、はじめ日系人が担当しましたが、日系人の経営する現地の銀行が破綻。しかし、
日本政府はこれに何の手も打たず、日本の資金で開発した広大な畑は、ほとんど米国食糧メジャーの手に渡り
ました。
サハリン沖石油・ガス開発では、日本がわざわざ米国メジャーを招きいれ、その米国企業に主導権をとられる
形で開発が進行。ところがその米国企業は、取れたガスを全部中国に売る決定をしてしまいました。
田中角栄が在任期間中に打った日本自立のための開発政策は、その後、このようにことごとく米国の利益中心にゆ
がめられていったのです。
日本が香港地下鉄プロジェクトから撤退したのは、首相が田中から三木に変わって直後です。そして、米国の会社
が、乗車券システムで大型の受注をしています。ここに、何かの符合を感じないわけではありません。
122 :
名無しの車窓から :2007/06/10(日) 18:35:11 ID:1nRTnCx9
116ですが119さんに同意です。 90さん無知な私に丁寧なレス下さいましてありがとうございます。 この板で今までで一番エキサイトできました。 角さんはきっと日本のみんながハッピーになれる方法を考えていたのでしょうね。 こりずに続きをお願いします。 私は現在ならともかく当時の国内産業の能力ではあれだけの電車は どのみち作れなかったのではないかと思いますが皆さんはいかがでしょう…