1958年夏、第40回全国高校野球選手権記念大会に首里高校が招待される。
当時沖縄高校野球は全国レベルにまで達していなかった首里高校は、初戦の敦賀高校に完封負けをする。
首里高校甲子園出場は沖縄と本土の対立の象徴となって、今日活躍する沖縄野球少年が打倒ナイチャーを目指し原点となった。
首里高校は祖国への思いを胸に、甲子園の土を拾って持ち帰ろうとしていた。
首里高校が沖縄に帰った時に那覇港に到着する直前に、今は考えられない胸が痛む事件が起こった。
彼らが集めた甲子園の土は植物検疫法にかかる理由から検疫官の手で海に捨てられた。
この時の首里高校ナインの心情を考えると、俺たち沖縄人は敦賀人が憎くてたまらない。