【祈願】東京都の高校野球part10【東京2枠】

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710名無しさん@実況は実況板で
■野球ができることが一番の幸せ


 予定どおり日大三高に入学。不安を抱えながらのスタートだったが、「後遺症などはまったくない。完ぺきです」と体調は万全。
軽いジョギングから始め、5月の終わりには通常のメニューがこなせるようになった。
プレーできるようになった直後、Bチームの桜美林高との練習試合ではセンターへ会心の本塁打。
左打席からの鋭い打球は強打の日大三高にあっても屈指で、2年生になるとレギュラーをつかんだ。
「普通に生きていられて、野球ができることが一番の幸せです。毎日が楽しい。練習で苦しくても、それは健康だからそう思えるので」
 今では、つらい顔も見せず、笑顔で病気のことを振り返ることができる。そして、この言葉に力を込めた。
「三高で野球ができているのは、親や沢村先生はもちろん(小倉全由)監督さん、(コーチの)三木(有造)さんのおかげです」
 山崎は小児脳腫瘍の病名を告げられた時点で日大三高入学を半分以上あきらめていた。
野球ができるどころか、日常生活すらままならなくなる可能性がある選手を受け入れてくれるはずがないと思ったからだ。
だからといって、病気のことを黙っているわけにはいかない。すべてを話すために小倉監督に電話をした。
ところが、小倉監督の反応は全く予想していないものだった。
「病気が治るまで待ってるから。手術、頑張ってこいよ」
 受話器を持つ手が震えた。自然と涙が溢れた。入院前には、小倉監督から便せん何枚にもなる長文の手紙ももらった。
「手術頑張れ」と書かれたその手紙は、今でも宝物だ。

■全力プレーを見せることが山崎からのメッセージ
 支えてくれた多くの人への感謝の気持ち。そして、恩返しの気持ち。山崎のひとつひとつのプレーにはたくさんの思いが詰まっている。
「ほかの病気の人はもちろん、同じ病気の人たちに元気でできているのを知らせたい。自分のプレーで元気づけて、この病気は絶対治るんだと信じてもらいたいです」
 思い切り打って、思い切り走る。思い切り投げ、思い切り白球に飛び込む。全力プレーを見せることが、山崎からのメッセージだ。
 福也と書いて“さちや”と読む。「福」と「幸」を合わせた縁起のいい名前だ。
 誰よりも輝き、誰よりも温かい心からの笑顔を見せる山崎。山崎にしかできないその笑顔には、きっと野球の神様も、甲子園の魔物も微笑んでくれるはずだ。
 山崎に幸あれ――。