なぜ智弁和歌山OBはプロで通用しないのか Part10

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53前スレ962
前スレ容量オーバーで書き込みできなかったのでここに書かせてもらいます。

>>963
そうです。あまりに濃い議論に我慢できずにw。
すこし疑問に思ったのが技術論ってそんなに大層なもんなのかなと(偉そうな書き方で申し訳ないのだが)。
ドラフトサイトってのを少し見て回らしてもらったんだけど、内容としては確かに面白いんだけど・・・。
自分はトップでグリップがどうたらとかそんなに大袈裟なもんなのかなと疑問に思ってしまった。
ある程度理想的な形ってのは確かに存在すると思うけど、それは選手個々で形は変わるような気がしないでもない。
あまりにひどいフォームは別として、要はインパクトでタイミングが合えばいい訳で。
スムーズなフォームしてるんならそんなに問題ないんじゃないの?って思ってしまったんで。正直あそこまで上から目線でよく書けるな・・って思ってしまったけどねww。
それよりも重要なのは心技体という言葉もあるけど、まさしく「心」っていう面が大きいのではないかと思ってたんだが。
いくら細かい技術を教えてもらったところで野球に対する取り組み方・考え方が出来ていなければ身には付いていかないだろうし、
どうも俗にいう「野球疲れ」してしまう選手が多いのではないかと思うんだが。無論以前書いたとおり必要以上に速い球を竹バット等で打たせる練習は弊害しか生まないと思ってるけどね。
ただ修正できる範囲のフォームであればそのレベルで修正していけばいいと思うので、和智弁の打者のフォームがそこまで問題あるとは思ってなかったけど。
これは打撃に関してはって事です。投手に関してはまた別だと思います。

>>964
自分はゴマ象さんが>>874で書いてくれていた野球に対する取り組み方っていう面が一番重要だと考えています。
自分の先輩でプロに行った方は技術とか云々以前に野球に対する取り組み方が他の選手とは全く違っていました。大袈裟な表現だけど自分の生活全てを野球に捧げてるって言えばいいのか。
当時は「凄いな」としか思っていませんでしたが。ただその先輩の場合は確かに監督さんに教えられた面というのも大きかったと思うのですが、本人の自覚って言う面が一番大きかったように思いました。
明確な意識の下に日々の生活を送ってるように見えたって言えばいいのか。

「様々な観点から野球を考える」。基本は「逃げずに向き合う」っていうのが大前提なんでしょうけど。
表現難しいのですが簡潔に書けば「やってる自分の姿を常に客観的に他の自分が問いかける」って感じなんですかね。
現在でいえば仕事に関しては常に3人位自分の行動にたいして自分に問いかけていくっていうのを心がけるようにはしてるんですが。例えば攻撃的な自分とか保守的な自分とか役割を振って(痛い表現だがww)。
ただ野球してた時はそんな事出来てはいなかったですけどねw。色々フォームに関しても試行錯誤してたような気がするし。
そう考えるとある程度指導者が選手のフォームを型にはめるっていうのも一つの方法なんですかね?難しいですね。