>>906 メロディック・パワー・メタルがワーグナーの影響を受けていることは
明らかだと考えている。
ワーグナーの「楽劇論」は、音楽、舞台(ステージ)、物語(詩)を総合的に
創作し、これまでの音楽だけでは表現し切れなかった何かを新たに生み出そう
という試みだったように思われる。エデュアルト・ハンスリックのように
「音楽は音楽そのもので評価されるべきだ」という人もいたが、
ワーグナーは舞台も詩も自分で手がけ、歌劇を「総合芸術」化した。
「楽劇」という独自のジャンル名まで作ってしまった。
芸術とは人間の表現の一部であり、総合芸術としての「楽劇」でワーグナーが
表現しようとしたものは「人間的なもの」だった。
あらゆるものを普遍化してしまおうという哲学的なドイツ人のやりそうなことだ。
たくさんの人に(未来を通じても)普遍性をもって訴えることができるのは
「歴史の制約に全く自由な人間性」だとワーグナーは言っている。
すると物語は必然的に、多くの人に伝えられてきた古代の伝説や神話に
なってくる。それが「トリスタンとイゾルデ」であったり「神々の黄昏」であったり
するわけだ。ロマン主義の頂点にワーグナーがあるのは理解できる。
でワーグナーはブームとなって全ヨーロッパに深く浸透した。特に本国ドイツでは
ナチスが民族優位の宣伝材料として悪用して、今はアンチも多数いる。
つづき
これをヘビー・メタルの世界に応用すると、「楽劇論」はメロディック・パワー・メタルに
通じる部分が非常に多い。ジャケット、歌詞の世界観、音楽を一つのパッケージ芸術として
作品化するというのは多分にワーグナー的だ。神話や伝説をもとにして歌詞を
創作し、アルバム全体で一つの物語にしてしまうのはヨーロッパに多く、
アメリカには少ない。アメリカは個々の曲がそれぞれ独立していて、内容も
恋とかロックとかセックスとか極めて現実的だ。コンセプト盤を作るにしても
現代社会の歪みや没個性化された社会を描いていることが多い。これは、歴史の
浅いアメリカではしょうがないところだ。
俺はワーグナー的であることがメロディック・パワー・メタルの見分け方の一つである
と思っている。メロディック・パワー・メタルほど大仰でもなく、ロマン主義よりも
バロックに傾倒しているのがネオ・クラシカルと言えなくはないが、
もっと本質的な違いがどこかにあるはずだ。音だけで言えば、メロディック・パワー・メタル
は管弦楽にしろコーラスにしろ分厚い音だ。あまりすき間のない音の作りだ。
ネオ・クラシカルは楽器の音が比較的容易に判別できるほどクリアだ。
英国衰退は後日。
>>908 音楽の聞き方は全く自由。