「RATT」ロビン・クロスビーが死去

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1:02/06/12 16:11 ID:Oo5GFTIs
[ロサンゼルス 10日 ロイター] 1980年代に活躍した米ヘビーメタル・バンド「RATT」の初代ギタリスト、ロビン・クロスビーが6日、8年間にわたるエイズ闘病生活の末、亡くなった。42歳だった。
 同バンドの公式ホームページ(http://www.therattpack.com)が明らかにした。
 クロスビーは昨年7月、ロサンゼルスのラジオ局とのインタビューの中で、エイズの末期状態であることを告白。RATTに所属していた1980年代中盤、ヘロイン使用を始めた時に感染したとの考えを示していた。
 
 (ロイター)
[6月11日11時52分更新]
2nini ◆K16s/Fik:02/06/12 16:13 ID:???
2GET



余裕ですた
こっちにしよう
「Drive Me Crazy」のソロが痛々しい。
クロスビートも末期症状だよな。
6名無しさんのみボーナストラック収録:02/06/13 21:48 ID:MfNhpRhI
『Back For More』になりましたね。

御冥福をお祈りします。
1986年
4月、2度目の来日
StephenとRobbinは高熱を出し、点滴を打つ状態になりながらもステージに上がり、
Bobbyは手のマメがつぶれてべろっとむけてしまったにもかかわらず、いつもの
父っつぁん節を聴かせた。

最終日にRobbin大先生が見せたゴーカイな涙は、ファンの語りぐさとなった。
税関から出てきたRobbin大先生のいでたちを見た人々の目は点になった。
4月だというのに、それはもうゴージャスな毛皮のコートをお召しになっていたのである。
そのあと、そのコートを預かったスタッフが、そのデカさのためか、
ひきずってしまったなどと言うことは、畏れ多くて言えない。
とか、
同じくRobbin大先生は、福岡でおでんの屋台に立ち寄り、カンゲキ。
その感動を伝えようと、彼は日本語で言ったのだった。「ダイコン、クダサイ。」
なんてハナシもあって、毎度ファンはしみぢみしてしまうのだった。
1991年3月、
Robbin脱退。
日本公演中、かつては薔薇を撒き散らし、ギターピックをばらまき、
弦を6本とも指で切ってみせていた(ホントなんですもの)彼が、
ステージの中央に出てこなかったのは、この前触れだったのか。

RATTは4人でやっていくことを宣言。
12名無しさんのみボーナストラック収録:02/06/15 04:09 ID:bxOKGydM
age
13名無しさんのみボーナストラック収録:02/06/17 13:37 ID:v3eJfWmc
コッチモアゲ
えっ ロビン・マスク?
15名無しさんのみボーナストラック収録:02/06/18 22:54 ID:AvOw4.32
moudoudemoii
16名無し:02/06/18 23:17 ID:???
脱退前後だったかなー。
御茶ノ水かなんかの中古ギター屋に、
モノホンのロビン所有のギターが数本売りに出ていた。
そんときに「合掌」はしてしまいましたが、
本当に、合掌とは。涙。
死んだの?あっそ。ふーん。
ロビンのギターなんか只の中古ギター扱い。

腐るほど市場に出回ってる野村義男所有だったギターより価値無し。
19名無しさんのみボーナストラック収録
これを期に再再結成とかはないかなあ