● 国際的銀行家の商売の神髄
この「ワーテルローの物語」に、国際的銀行家の商売の神髄と、成功の秘訣のすべてが
凝縮されている。ここでは3つのポイントを挙げてみたい。
第1、真の情報だげを独占的に握ること。それこそが富の源泉で、情報のない者は収奪
される。
第2、情報はカネを手にした後も、徹底的に秘密にすること。
第3、「情報のない者(暗愚な大衆)を欺くことこそが価値のすべて(善)である」と
いう強固な信念をもつこと。
マスコミを通じて「情報化時代」などと喧伝されてきたが“ボケ”も極まれりであろう。
日本が本格的なテレビ時代を迎えたとき、評論家の大宅壮一が「一億総白痴化時代」と命
名した。
マリンズに戻る。ポール・エムデンは著書『王位の背後』(1934年刊、ロンドン)で次
のようにいっている。 「…エドワード7世が彼らを相性の合う人びとと感じるようにな
ったのは当然である。彼らの国際的な家族関係と、なおも拡大しつづける業務関係のおか
げで、彼らは全世界を知っており、あらゆる人びとにかんする情報を受け、表面にあらわ
れない事件について信頼に足る知識をもっていた。
金融と政治のこの組み合わせは、その当時からロスチャイルド家のトレードマークであ
った。ロスチャイルド家は、新聞記者や外務省に到着するレポートを読むことで得られる
以上のことを常に知っていた。他国においても、ロスチャイルド家の利害関係は主権者を
こえて拡大した。
戦後何年もたって多くの外交関係の出版物が出るようになるまで、一般庶民は、戦争(第
一次世界対戦)まえの20世紀における中央ヨーロッパの政治に、アルフレッド・ド・ロス
チャイルドの力がどれほど強く影響していたかということを知らなかった」。
● ロスチャイルドのメディア支配
『アソシエイテッド・プレス』(AP通信)の社長ケント・クーパーは自叙伝『バリアー
ズ・ダウン』で、「ロスチャイルド家支配下の国際銀行家たちは、ヨーロッパの3つの主
要なサービス提供会社の株式を取得した」と書いている。
すなわちロスチャイルド家は、ヨーロッパのあらゆるニュースの配信をコントロールし
ていたロンドンを拠点とする『ロイターズ・インタナショナル・ニューズ・エージェンシ
ー』とフランスの『ハヴァス』、ドイツの『ヴォルフ』の支配権を買い取った。
ここもうじき1000
気持ち悪いなあ
このスレッドの荒らしは他のスレッドでも話題になっとるで
◆ 米新政権対日政策のキーワードは「ライス」
●「ロシア学」の専門家と石油資本の大立て者
黒人女性として初めて、国家安全保障担当大統領補佐官に予定され、新政権の外交政
策を主導することになるのが、スタンフォード大教授のライス女史。 ライス教授は「ロ
シア学」の俊英で、“親亀”ブッシュ(当時大統領)がゴルバチョフ(当時ソ連大統領)
に、「私のソ連問題の先生」と紹介したことで知られる。
「ロシア学の専門家と日本と一体どんな関係があるのか」と思われるふしもあろう。ラ
イス教授の外交政策を日本と結びつけるのが、テキサス州ヒューストンにある「ライス大
学」(ちなみに、お馴染み『ワシントン発:AC通信』のアンディー・チャン博士の母校)
だが、直接的にはライス大学の『ベーカー研究所』である。
青森県六ヶ所村に、世界各地で電力事業を手がけているアメリカの総合エネルギー企業
『エンロン』が『オリックス』をパートナーとして、「液化天然ガス(LNG)を燃料と
する火力発電所建設計画」という“牙”をむき出したことが明らかになったのは、去る1
1月29日であった。今年3月に、日本で「電力の小売り自由化」が始まって以来、新規
参入企業による発電所建設計画というのも、これが“お初”であった。
エネルギーと通信(最近は光ファイバーのネットワークなど、通信分野で積極的な投資
を進めている)というアメリカの戦略産業を担う“黒船”『エンロン』が、日本近海をウ
ロウロしていたのは、もとより日本の「電力の小売り自由化」という“血の匂い”を求め
てのことであったが、日本に上陸してからの振る舞いは実に巧妙で、背後にブッシュ―ラ
イス―ベーカーのラインがあることや、本当は何を企んでいるのかは見えにくかった。
まずエンロンは、日本で“とぼけた”電気販売業を開始した。顧客と3〜5年の電気販
売契約を結び、顧客は初年度、既存の電力会社との契約を継続、2年目以降はエンロンか
ら事前に決めた額で電気を買うというもの。初年度分の最大10%を、エンロンが顧客に
キャッシュバックするというところがポイントで、このサービスを11月から開始した。
もっとも、エンロンが「売るべき電気が集められなかった場合は、契約を破棄できる」と
いう、 “逃げ道”がしっかりと用意されているのである。
東京電力の南直哉社長は、「さすがはエンロンさん、うまいことを考えた。目先の甘い
話に飛びつく顧客がいるかもしれない」と語ったが、この“とぼけた”サービスに対して、
業界では「エンロンは本気なのか?」といぶかる声がもっぱらであった。
通産省などから、「エンロンが将来的に石炭火力発電所を全国に10カ所程度建設する
構想がある」という観測が流されていたが、一般に電力の小売りを採算に乗せるには、最
低でも出力50万キロワット級の火力発電所が必要だとされる。日本の電力会社でさえ、
環境影響評価や漁業補償などのハードルが高く、新規の発電所建設を凍結しているところ
がほとんどで、関係者の間では「構想だけで頓挫するのでは」という、懐疑的な見方がも
っぱらであった。
エンロンのケネス・レイ会長(ブッシュの最大のスポンサーのひとりで、ブッシュ新政権の役職に就くため最近、来年2月の会長職辞任を表明)が11月に来日した時も、具体的な発電所計画については一切ふれようとしなかった。
エンロンとの関係が深く、ブッシュ陣営の選挙参謀であるベーカー元国務長官が来日し、
「日本に14項目の政策を提言する」報告書を、通産省に提出して帰っていったのは、今
年の夏であった。 この報告書は、日本通産省の外郭団体・石油産業活性化センターと共
同で、アジアのエネルギー安全保障を「研究」してまとめたものである。
話はそれるが、世界中が環境問題にナーバスになっているこんなご時世でも、「石油産
業活性化」などというデリカシーのない看板が通用しているのが驚きだ! この「研究報
告書」なるものの骨子は、ロシア極東の「サハリンで開発が進んでいる天然ガスを、パイ
プラインによって日本列島に引くこと」や、「電力会社間を結ぶ送電線網を、もっと大き
な電力を送れるように大容量化すること」という、アメリカ南部の石油、エネルギー資本
の大立て者による、大層有り難い“ご託宣”であった。
サハリンで天然ガスを開発しているのは、エクソン・モービルなどいわずと知れた国際
石油メジャーである。通産省がライス大学の『ベーカー研究所』に一体いくらカネを払っ
て研究してもらったのかは知らないが、こんなバカバカしいことが、まことしやかにまか
り通っているのである。
「ブッシュ勝利」の追い風に乗ってエンロンは、青森県六ヶ所村のむつ小川原開発地域
に、2000億円をかけて出力200万キロワットのLNG火力発電所と、LNG貯蔵基
地を建設する。「ベーカー報告」にあった、サハリン天然ガスの受け皿である。
日本列島北のサハリンは、国際石油メジャーの独壇場になっているが、南の中国海では、
中国が主役に躍り出ようと活発な活動を展開している。その中国から、注目すべきニュー
スが届いた。
中国の広州地質調査局は、地震波を用いた海底探査によって、大量の「燃える氷」の存
在を突き止めたという。1平方メートルの「燃える氷」が放出するエネルギーは164立
方メートルの天然ガスに匹敵する。そのエネルギー総量は、中国の石油総量のおよそ半分
にあたるという。
中国科学院の海洋エネルギー研究者によると、この「燃える氷」は天然ガスが水の分子
のなかに包み込まれたもので、海底の低温と圧力の下、透明な結晶状を形成したものだと
いう。つまりこれは、「ガスハイドレート」の一種。
アメリカと日本が最も早く自らの海域で発見していたもので、中国も近年、研究を開始
していた。しかし、亜熱帯の南中国海には存在しないと見られていた。 シベリアにはシ
ャーベット状のガスハイドレートが地上に大量に存在し、現在、地球全体の「燃える氷」
の総量は、石炭、石油、天然ガスの合計の3倍から4倍存在するといわれている。■
>>929 >興味深々だ
興味津々。
この荒らしをやっている実行犯に対して、なんらかの処置がとられるのだろうか。
政治権力はなぜ麻薬戦争で勝利できないか?
● 東インド会社は麻薬貿易で繁栄した
合法であれ非合法であれ、人の流れに伴って麻薬を含めたモノとカネが流通する。あらゆ
る種類のドラッグが「合法」ならば「薬」と呼ばれ「非合法」ならば「麻薬」(ナルコテ
ィックス)になる。この薬と麻薬との間の“曖昧”な領域は広大で、国家はむろんのこと、
科学者からマフィアまで様々な「職業」が介在している。 (ここでは「覚醒剤」を含め
て「麻薬」とする)
そこには、需要―生産―加工―流通―消費という他の商品と何ら変わらないシステムが存
在する。しかもこの過程全体が一大「産業」を形成していて、想像を絶する巨大な規模に
なる。いうまでもなく、陰に陽にそのほとんどの決済に、国際的な銀行がからんでいる。
そもそも「国際的な銀行」が誕生した主要な動機が「麻薬取引決済」の必要性からであっ
た。インド産のアヘンを中国に売りつける事が『イギリス東インド会社』繁栄の巨大な柱
であったからだ。この会社はただの会社ではない。イギリス国王に直結する国策会社であ
り、麻薬は「パックス・ブリタニカ」とイギリス民主主義を支える経済的基盤であった。
イギリスの国際資本は、国策としてアヘン貿易を「三角貿易」の柱とすることから誕生し、
アジアから巨万の富を吸い上げて巨大化していった。イギリスのみならず、フランスやオ
ランダも、そしてアメリカもそれぞれ『東インド会社』を設け、奴隷貿易や麻薬貿易で資
本を蓄積していった。
これらの歴史的事実の一端は、中学の歴史の教科書にも断片が記述されており、広く知ら
れていることだが「その後の国際資本と麻薬との関係」がどんなであったかは、教科書は
触れていない。
教科書が触れていないのは欧米の国際資本ばかりではない。戦前の話だが、遅れてきた帝
国主義国・日本も欧米諸国に倣ってアジアを舞台に、政府と国策会社「財閥」が共謀して
「麻薬取引」を行い、巨大な富を蓄積していった。しかし、これらの事実が語られること
はほとんどない。
● イラン産アヘンを巡る三井vs三菱の死闘
日本が、中国をはじめその他のアジア地域で、いかに汚い国家犯罪を犯したのかは、その
占領地での「アヘン・麻薬政策」を見れば一目瞭然だ。この国家犯罪は直接には『興亜院』
と、日本が造り上げた中国の傀儡政権、および日本軍の関係諸機関が主役であった。当然
ながら、多くの日本の民間人がこれに関係した。麻薬にフォーカスをあわせると「帝国主
義」時代の戦争と侵略戦争の実像が鮮明に浮かび上がる。
イラン産アヘンの密輸取引では、三井物産と三菱商事とが激しい争奪戦を展開した。両社
は1937年3月6日、駐イラン代理公使・浅田俊介の立ち会いのもと「向こう1年間は三菱
の独占を認め、それ以後については改めて協議する」という協定を結んでその場はおさまった。
しかし、38年に入ると、三井は期日以後の自由競争を主張し、三菱は引き続き独占するこ
とを主張してドロ沼の争奪戦になった。困り果てた駐イラン公使の中山詳一郎が1月25日、
広田弘毅外相に電報で報告した。内容は次の通り。
「右期日到来せば、両社の間に激烈な競争おこなわるべきは予想せらるるところ、しかも
その相手は1個の専売会社なるがゆえ、容易に先方のために操らるべく、かくのごときは
…我が方に不利なることは両社とも理解はしおるらしきも、アヘン取引は年 600万円にの
ぼる大取引きなるうえ、これをおいて他に相当なる商売なきため、両社とも出先にては本
社にたいし自己の成績に執着し、大局的利害を顧みる余裕と権限なきがごとし」
結局、三菱は独占契約を一方的に更新し、三井は38年12月27日までの取引からはじき出さ
れてしまった。このため三井は、日本公使館に三菱の協定違反についてねじ込む一方、陸
軍との間で直接取引を成功させ「アヘン428箱」(1箱=160ポンド=72 キログラム=2000
両)=280万8000円分を、ブシール港から新嘉坡(シンガポール)丸で積み出した。
この事態に困り果てた外務省は、1939年3月14日、両社間に「日満支むけイランアヘンの
買い付けは両社共同一本建てにて交渉す」という申し合わせを成立させ、さらに興亜院の
要望に基づく外務省の勧奨で10月30日、両社間に『イラン産アヘン買付組合』設立に関す
る協定を結ばせ、両社は等分にアヘンを扱うこととなった。
● 戦争の勝利者が麻薬を独占した
これらは、日本人のだれもが知るものではなかった。敗戦後の「東京裁判」という歴史的
な緊張状況を背景にして公然化した。裁かれる根拠はただ戦争に負けたからであった。陰
で同じことをやっていた国々は、勝利したがゆえに裁かれなかった。裁くものなど存在し
なかったからだ。ここに「東京裁判」全体を貫く、悲劇と喜劇の根本原因がある。
「悪が滅び正義が勝利した」などというのは、子供じみた「勝利者が書く教科書」の文言
に過ぎない。この後、「戦勝国、とりわけアメリカに麻薬取引の利権が独占的に集中した」
ということが、これに関して言えるもっとも明白な帰結であった。
アメリカは「ドラッグ・ウォー」を高らかに宣言し、「麻薬カルテルを壊滅する」と何遍
繰り返したであろう。だが、何の成果も挙げていない。事態は日を追って悪化する一方だ。
唯一の超大国がそれほどまでに無能だなどと、なんで信じなければならないのか?
逆に、「第三世界の軍事政権と結託して国際麻薬カルテルを育成し、見え透いた共謀関係
にあったことを精算できない。だからそのツケのすべてを第三世界に押しつている」とい
うのは単なる妄言であろうか?
早く逝きなさい。
というわけで、さげ。
捏○でage
「もともと、国際麻薬カルテルは、闇資金を求める政府や情報機関が、あまり目立たない組
織として生み出したもので、その資金を『独自の組織的な活動』(謀略)に当てていた(Alfred
W. McCoy 著『The Heroiin in Southeast Asia』[New York : Harper Colphon Books,1972])」
というのを、妄言でかたづけてきたのは誤りではなかったか?
妄言をつづけよう。「冷戦時代」、決して目立ってはならないものであったが、闇資金を求め
る政府や情報機関と麻薬カルテルの活動は、必要不可欠な要素であった。しかし、政府や情
報機関の庇護のもとに、大いなる「発展」を遂げた麻薬カルテルは、冷戦というタガがはずれ
るや、“生みの親”を不安にさせるほどに巨大な存在に膨れ上がった。
戦後の様々な新しいドラッグのほとんどが、アメリカの情報機関や軍関係機関の手によって
世に送り出されたことを明らかにした研究書や報告書は山ほどある。 A. Hoffer and H. Osmond
の『 The Hallucinogens 』(New York : Academic Press, 1967)によれば、「1960年代の闇市
場に姿を現したほとんどすべてのドラッグ―マリファナ、コカイン、ヘロイン、PCP、亜硝酸アミ
ル、キノコ、DMT、バルビツール酸塩、笑気ガス、スピード、その他多くのものは、あらかじめ
CIAと軍の科学者によって詳しく調査され、テストされ、場合によってはさらに効果に磨きがか
けられていた」。
「しかし、数百万ドルの費用と4半世紀の時間をかけて、人間精神を征服しようとするCIAが
探求したすべての技術の中でも、LSD-25ほど注目を浴び、熱狂的に受け入れられたものは
なかった。しばらくの間、CIA職員はこの幻覚剤に完全に夢中になっていた。
1950年代初期に初めてLSDをテストした人々は、それがきっと謀略活動に革命をもたらす
だろうと確信した。リチャード・ヘルムズが長官在任中にCIAは、アメリカにおける反戦運動や
その他の不満分子に対して、非合法的な大規模国内キャンペーン(「MK-ウルトラ作戦」をおこ
なった。…)。さらに「4半世紀の時間がかけられた」のが今日である。
>>941 >捏○でage
いくら迷門関係者でも、これはまずいYO。
あってはならないこと。つまり、なかったこと。
944 :
いのげ:01/11/06 00:32 ID:V7EGP6PD
アフガンが世界最大のアヘン生産国に
アフガニスタンは今(99)年、ヘロインの原料となるアヘンの生産量が推定4,500トンに達し、世界
最大のアヘン生産国になった。これは9月10日、パキスタンのイスラマバードに駐在する『UN
(「国連」)麻薬統制計画』(UNDCP)のフラヒ代表が明らかにしたもの。
フラヒ代表によると、昨(98)年は麻薬ではメッカ的存在であった「黄金の三角地帯」(タイ・ビルマ・
ラオス国境)とコロンビア、パキスタンとの合計で約1,500トンのアヘンが生産されたが、アフガン
は2,100トンと世界最大であったという。それにしてもアフガンの今年の生産量は昨年の2倍を超
えており、あまりの急激な増産である。
アフガニスタンは、イスラム武装勢力『タリバン』と反タリバン同盟との内戦が今なお続いている
が、最近ではタリバンが国土の約80%を支配下に治めたといわれる。フラヒ氏によると「タリバン
が武器調達の財源とするため、アヘンの原料となるケシ栽培を奨励し、これらのアヘンはヘロイ
ンに精製された上で、中央アジア諸国やロシアを通じて欧州などに流れている」という。
西欧世界での手の施しようのない麻薬汚染の実態は『FOREIGN AFFAIRS』の99年5月号と6月
号で、ジャーナリストのラリー・コリンズが、「オランダの麻薬対策の挫折」という論文を寄せてい
る(次号で取り上げたい)。
麻薬流通では「孤高のネット・ジャーナリズムを確立した男」といわれている田中宇の『国際ニュ
ース解説』(1999年10月19日
http://tanakanews.com/)に、「欧州に密入国移民を送り出す『闇
のシルクロード』」という興味深い記事がある、以下抜粋する。
「イラン人に聞いた話では、アフガニスタンとイランの国境では、アフガン側で親子のラクダを
捕まえ、子供のラクダだけイラン側に連れていき、親ラクダの背中に麻薬を詰めた箱を乗せ、野
に放すのだという。 国境付近は砂漠や荒れ地で、柵などはないから、ラクダは自由に越境でき
る。親ラクダは子供のにおいをかぎ分けて、イラン側にやってくるので、人間が付き添うことなし
に、アフガニスタンからイランへと、麻薬を運べる。イラン兵が国境でラクダを捕まえても、誰が積
荷の麻薬を乗せたのか分からないので、麻薬ブローカー自身は逮捕される危険がない。
その後麻薬は、イランからトルコ、トルコから東欧へと、当局の目を盗んで、消費地であるヨーロ
ッパへと運ばれるのだが、こうした『闇のシルクロード』を通って運ばれる『積み荷』には、人間自
身もいる。パキスタン、イラン、トルコなどから、ヨーロッパに働きに行く、密入国移民の流れである」
● ユーゴ空爆作戦と新ドラッグ
「湾岸戦争」では、劣化ウラン弾という核兵器が、戦争史上はじめて登場し、実戦使用された。
「ユーゴ空爆」では、最新型ステルスが米本土の基地から出撃して、爆撃をともなう作戦を展開
し、無着陸のまま米本土の基地に帰還した。 要した時間は30時間余であった。これもまた戦争
史上画期的なことで、戦争のかたちがまったく新しい水準に達したことを告げている。
パイロットが、30時間余もぶっ通しで、空爆をともなう緊張した作戦を完璧にやってのけるために
は、特殊な“ドラッグ”の力が不可欠であった。 こうした“ドラッグ”の研究は、アメリカでは戦争
の新しい水準を達成するための、国家最高機密として行われつづけている。
米国防総省は、一連の机上演習を行って、未来の戦争の姿を分かりやすく説明してきた。それ
をいまから3年前、米週刊誌『USニューズ&リポート』(96年8月5日号)が、「2020年の戦争」と
題してまとめた。筆者はこの「2020年の戦争」を分析し、雑誌『サピオ』(96年11月13日号)の「甦
った怪物・アメリカ」という特集に寄せた。
「2020年の戦争」は、この年にアメリカと中国が戦争に突入することを想定した、米国防総省
のシナリオが土台になっている。そこには、上記した特殊な“ドラッグ” が、作戦の成否を握る重
要なカギであるとして、明確に記されていた。これが早くも「ユーゴ空爆」で、その内容の一部が
実際に試されたことになる。
「研究者らは兵士をより長く目覚めさせ、より効果的に働かせることを目的とした化学的、生物
的方法の模索を始めている。…ある見積もりによると、新しい興奮剤を化学的にミックスしたもの
に、正確に時間を計った仮眠が加われば、部隊は2、3日(48時間から72時間)ぶっ通しで機敏
な対応が可能となる。また、『記憶強化剤』は一部の兵士を人間コンピュータに仕立て上げること
ができる」とあった。
要するに「デジタル時代に相応しい“麻薬”の開発が不可欠」だというもので、 “ヤク浸け”にして
「サイバー戦士」を造り上げるというのだ!近代戦争はその手段を限りなくエスカレートさせてき
たが、「狂気の沙汰」というのは、こういうことを指した言葉ではなかったか。それとも「狂気」こそ
が、いまや「正常」だというのだろうか?
この「狂気」は、もはや人間の手で押しとどめることは不可能であろう。“世界の警察官”を誇り、
平和と自由と民主主義の錦の御旗をしっかりと抱いて、高々と掲げている国の軍隊が、マジでや
っていることだからである。 昨日今日始まったことではない。権力にとって“麻薬”を支配するこ
とは、権力が必要とする支配にとって不可欠な一物質なのだ。その歴史は古く、奥も深い。
このような物質を「戦略物資」と呼ぶが、麻薬、金融(マネー)、情報、エネルギー、食糧、武器な
どの支配を巡る争いこそが戦争である。また、権力による“麻薬”利用の方法が多彩であるのと
同様、戦争の形態も多彩である。
これらの物質が豊かに存在する地域を支配することと、そのためのアクセスを確保するライン上
に戦争があった。したがって、いつも祝福されてしかるべき豊かな資源の地の人々が、望むと望
まざるとにかかわらず、間尺に合わない負荷に苦しめられつづけているのだ。このような加害行
為を、「侵略」あるいは「掠奪」というのではなかったか。
● 大蔵省エリート官僚・大平正芳の任務
清朝政権はアヘンの輸入を禁じていた。それにもかかわらず、イギリスは中国人から膨大な利
益を搾り取る目的のために、インドから中国にアヘンを密輸出し、やがて2度にわたる侵略戦争
(アヘン戦争)の勝利によってそれを合法化した。当時はまだむき出しの、文字どおり「帝国的海
賊資本主義」の時代であった。
後に日本軍は中国東北地方(満州)を占領し、イギリスの植民地政策を模倣した。日本軍政当局
は、中国でケシの栽培を強力に推進し、アヘンとヘロインを生産して中国国内に流通させた。そ
れはイギリスがやったような、単なる金儲けのためにではなく、中毒患者の数を増やして、占領
に抵抗する意志を効果的に挫こうとする意図を持っていた。
1960年代に、米CIAもこれと同様の秘密作戦を展開した。アメリカ国内の黒人スラム街における
政治的不満を抑える目的からであった。 日本の対中国中央機関として、1938年12月16日に設
置された『興亜院』が、その推進母胎となった。興亜院総裁は日本の首相であり、外、蔵、陸・海
相を副総裁とした。 翌39年3月10日、興亜院の現地機関として中国の華北、蒙疆、華中、廈
門、に『連絡部』を、青島(チンタオ)に『出張所』を設置した。
興亜院設置から約半年後の1939年6月20日、仙台税務監督局・関税部長から転任したひとりの
大蔵省エリート官僚が『興亜院・蒙疆連絡部』の経済課主任として張家口に到着した。1980年「6
月総選挙」のさなか、現職首相として急逝した大平正芳その人であった。 大平が蒙疆連絡部に
着任する直前の6月9日に「新アヘン政策」が発表されていた。
この「新アヘン政策」は『蒙古連合自治政府』(いわゆる「第二満州国」といわれた『蒙疆政権』)
の経済部煙政塩務科が作成した「蒙疆アヘン事情概説」(41 年9月)によると、「蒙疆、北支、中
南支を通ずるアヘンの自給策確立を根本方針として増産計画を樹立するため…新制度を創設し
た」とある。 翌42年3月付の『蒙疆政権』内部文書に、「最近蒙疆経済特殊事情 最高顧問上
京原稿」というのがある。
抜粋すると「(蒙疆政権の)健全なる発展はまず財政経済の確立にあるをもって、とりあえず財源
の確保に全力を傾倒し、その一策としてアヘン行政については、1」アヘンの財政経済上におけ
る重要性、2」日支事変勃発にともなう占領地域内におけるアヘンの欠乏、3」外国アヘン輸入に
よる資金の円ブロック外流出防止、などの見地より…従来区々なりしアヘン制度を撤廃し、これ
が一元化をはかり、準アヘン専売制度の形式をとり、内においては漸減断禁政策、外にたいして
はこれが増産を企てんとする趣旨にそうべく、成紀734年7月清査制度の成立をみたり」 とある。
注:「成紀」はジンギスカン紀元で、成紀734年は西暦1939年にあたる。
この妨害の意図は?
こんな妨害はいままで2チャンネルのスレッドでみたことないっす。
Reminiscences of Childhood Readings
子供時代の読書の思い出
26th Congress of International Board on Books for Young People (IBBY)
Theme; Peace Through Children's books
Keynote Speech by Her Majesty Empress Michiko of Japan
Mrs. Jafa, Mrs. Dearden, dear friends of IBBY, In connection with the opening of
the 26th Congress of IBBY in New Delhi, I unexpectedlyreceived an invitation to
be the keynote speaker. Unfortunately, I am unable to attend the Congress in pe
rson, and it transpires that I am making my speech in this manner. From far-away
Japan then, I congratulate you on the opening of this New Delhi Congress, and I
thank you heartily for your kind invitation.
ジャファ夫人、デアルデン夫人、IBBYの皆様、第26回国際児童図書評議会(IBBY)ニューデリー大会の開催
に当たり、思いがけず基調講演者としてお招きを受けました。 残念な事に、直接会議に参
加する事が出来ず、このような形でお話をさせて頂く事になりましたが、遠く日本より、こ
の度のニューデリー大会の開催をお祝いし、御招待に対し厚くお礼を申しあげます。
I have many fond memories of the Land of India where the present Congress is bei
ng held.In 1960 I visited India, accompanying His Majesty who was still Crown Pr
ince then. At the time, I was twenty-five and the young mother of a nine months
old baby.
1960年、当時皇太子でいらした天皇陛下と共に印度を訪れた時、私は25才で、生後9ヶ月にな
る1児の若い母でありました。
In India, which some thirteen years earlier, after long years of hope, had at la
st achieved independence, it was the time of President Prasad, Vice-President Ra
da Krishnan and Prime Minister Nehru The days I listened with deep feeling to th
e conversation of these distinguished people, - their thoughts on freedom, democ
racy and peace-; the warm welcome in which people enveloped us: the days of trav
el in Calcutta, New Delhi, Agra, Bombay, Bodh Gaya and Patna: all these I recall
with keen nostalgia, and I pray with all my heart for the success of this IBBY
Congress in India.
その13年前、長い希望の年月を経て独立を果たした印度は、プラサド大統領、ラダ・クリシュナン副大
統領、ネルー首相の時代でした。この方々のお話---自由と民主主義、平和への思い---を心深く
伺った日々、また、人々の歓迎に包まれて、カルカッタ、ニューデリー、ボンベイ、アグラ、ブダガヤ、パトナ
を旅した日々の事を、今懐かしく思い出しつつ、印度図書評議会によりとり行われる今大会
の御成功を、心からお祈りいたします。
Regarding the theme of the Congress, - Peace Through Children's Books-,what kind
of speech can I make? Since that day three years ago, when inMarch 1995 I recei
ved a letter from Mrs. Jafa, Head of the Indian Branch ofIBBY, I have put myself
this question any number of times.
大会のテーマである「子供の本を通しての平和」について、私にどのようなお話が出来るでしょ
うか? 今から3年前、1995年3月に、IBBYの印度支部会長、ジャファ夫人のお手紙を受けとった
その日から、私は何回となく、この事を自分に問いかけて来ました。
Like so many other people, up to this day I have received numerous benefitsfrom
books.In childhood, I enjoyed children's books as one sphere of play. Since I
grew up, I have been reading grown-up books and, although theirnumber is not
great, I continue to enjoy some children's books.
私は、多くの方々と同じく、今日まで本から多くの恩恵を受けてまいりました。子供の頃は
遊びの一環として子供の本を楽しみ、成人してからは大人の本を、そして数は多くはないの
ですが、ひき続き子供の本を楽しんでいます。
Aftermarriage, I was blessed with three children, so I had the happiness ofrerea
ding with them the children's literature I had loved as a child, aswell as the
joy of getting to know new works of children's literature. Iconsider myself
very fortunate indeed.
結婚後3人の子供に恵まれ、かつて愛読した児童文学を、再び子供と共に読み返す喜びを与え
られると共に、新しい時代の児童文学を知る喜びも与えられた事は、誠に幸運な事でした。
If I had not had children, even though I knew about Little Red Ridinghoodand
Heidi of the Alps and the jungle where the boy Mowgli lived, I mightnever have
encountered Marie Hall Ets' boy who played hide-and-seek withthe animals deep
in the forest, or Leo Lionni's 'Little Blue' and 'LittleYellow', and I might
never have known the history of Virginia Lee Burton's'.... Little House'.
もし子供を持たなかったなら、私は赤ずきんやアルプスのハイジ、モーグリ少年の住んだジャングルにつ
いては知っていても、森の中で動物たちと隠れん坊をするエッツの男の子とも、レオ・レオーニの「あ
おくん」や「きいろちゃん」とも巡り会うことは出来なかったかもしれないし、バートンの「小
さなお家」の歴史を知ることもなかったかもしれません。
Also, it was after I had already become a mother ofchildren, that I came to know
J.R.R. Tolkien and C.S.Lewis, RosemarySutcliff and Philippa Pearce.
But as I said earlier, I have gone throughonly a limited number of books, and I
lack the capacity to speak from theviewpoint of the research scholar or the spec
ialist.
トールキンやC・S・ルイス、ローズマリー・サトクリフ、フィリッパ・ピアス等の名も、すでに子供たちの母となってから
知りました。 しかし、先にも述べたように、私はあくまでごく限られた数の本しか目を通
しておらず、研究者、専門家としての視点からお話をする力は持ちません。
また、児童文学と平和と言う今回の主題に関しても、私は非常に間接的にしか、この2つを結
びつける事ができないのではないかと案じています。
児童文学と平和とは、必ずしも直線的に結びついているものではないでしょう。また、言う
までもなく1冊または数冊の本が、平和への扉を開ける鍵であるというような事もあり得ません。
Again, regarding thepresent theme of Children's Literature and Peace, I fear I
can only make the connection between the two things in a roundabout way. Children's
literature and peace are not necessarily bound closely and directly together.
Also, it goes without saying that no one book or number of books can be the key
that will open wide the doors of peace.
Today then, on this occasion, if there is something I can do, it may be to look
back over my reading experiences in my own childhood, to recall a few books
which left 'buds' as it were in me, that burgeoned later within me into ways of
thinking and of feeling; might I not try to talk about all that? Then, however
little, I hope some thought can be devoted to all this in the context of 'peace'
which is the theme of this Congress.
今日、この席で、もし私に出来る事が何かあるとすれば、それは自分の子供時代の読書経験
をふり返り、自分の中にその後の自分の考え方、感じ方の「芽」になるようなものを残した
と思われる何冊かの本を思い出し、それにつきお話をして見る事ではないかと思います。
そして、わずかであれ、それを今大会の主題である「平和」という脈絡の中に置いて考えて
みる事ができればと願っています。
韓国がどうのとか皇后がどうのとかこの荒らしは右翼思想なのか?
アフガンが世界最大のアヘン生産国に
アフガニスタンは今(99)年、ヘロインの原料となるアヘンの生産量が推定4,500トンに達し、世界
最大のアヘン生産国になった。これは9月10日、パキスタンのイスラマバードに駐在する『UN
(「国連」)麻薬統制計画』(UNDCP)のフラヒ代表が明らかにしたもの。
フラヒ代表によると、昨(98)年は麻薬ではメッカ的存在であった「黄金の三角地帯」(タイ・ビルマ・
ラオス国境)とコロンビア、パキスタンとの合計で約1,500トンのアヘンが生産されたが、アフガン
は2,100トンと世界最大であったという。それにしてもアフガンの今年の生産量は昨年の2倍を超
えており、あまりの急激な増産である。
アフガニスタンは、イスラム武装勢力『タリバン』と反タリバン同盟との内戦が今なお続いている
が、最近ではタリバンが国土の約80%を支配下に治めたといわれる。フラヒ氏によると「タリバン
が武器調達の財源とするため、アヘンの原料となるケシ栽培を奨励し、これらのアヘンはヘロイ
ンに精製された上で、中央アジア諸国やロシアを通じて欧州などに流れている」という。
西欧世界での手の施しようのない麻薬汚染の実態は『FOREIGN AFFAIRS』の99年5月号と6月
号で、ジャーナリストのラリー・コリンズが、「オランダの麻薬対策の挫折」という論文を寄せてい
る(次号で取り上げたい)。
麻薬流通では「孤高のネット・ジャーナリズムを確立した男」といわれている田中宇の『国際ニュ
ース解説』(1999年10月19日
http://tanakanews.com/)に、「欧州に密入国移民を送り出す『闇
のシルクロード』」という興味深い記事がある、以下抜粋する。
「イラン人に聞いた話では、アフガニスタンとイランの国境では、アフガン側で親子のラクダを
捕まえ、子供のラクダだけイラン側に連れていき、親ラクダの背中に麻薬を詰めた箱を乗せ、野
に放すのだという。 国境付近は砂漠や荒れ地で、柵などはないから、ラクダは自由に越境できる。
親ラクダは子供のにおいをかぎ分けて、イラン側にやってくるので、人間が付き添うことなしに、
アフガニスタンからイランへと、麻薬を運べる。イラン兵が国境でラクダを捕まえても、誰が積荷
の麻薬を乗せたのか分からないので、麻薬ブローカー自身は逮捕される危険がない。 その後
麻薬は、イランからトルコ、トルコから東欧へと、当局の目を盗んで、消費地であるヨーロッパへ
と運ばれるのだが、こうした『闇のシルクロード』を通って運ばれる『積み荷』には、人間自身もい
る。パキスタン、イラン、トルコなどから、ヨーロッパに働きに行く、密入国移民の流れである」
● ユーゴ空爆作戦と新ドラッグ
「湾岸戦争」では、劣化ウラン弾という核兵器が、戦争史上はじめて登場し、実戦使用された。
「ユーゴ空爆」では、最新型ステルスが米本土の基地から出撃して、爆撃をともなう作戦を展開
し、無着陸のまま米本土の基地に帰還した。 要した時間は30時間余であった。これもまた戦争
史上画期的なことで、戦争のかたちがまったく新しい水準に達したことを告げている。
パイロットが、30時間余もぶっ通しで、空爆をともなう緊張した作戦を完璧にやってのけるために
は、特殊な“ドラッグ”の力が不可欠であった。 こうした“ドラッグ”の研究は、アメリカでは戦争
の新しい水準を達成するための、国家最高機密として行われつづけている。
米国防総省は、一連の机上演習を行って、未来の戦争の姿を分かりやすく説明してきた。それ
をいまから3年前、米週刊誌『USニューズ&リポート』(96年8月5日号)が、「2020年の戦争」と
題してまとめた。筆者はこの「2020年の戦争」を分析し、雑誌『サピオ』(96年11月13日号)の「甦
った怪物・アメリカ」という特集に寄せた。
「2020年の戦争」は、この年にアメリカと中国が戦争に突入することを想定した、米国防総省
のシナリオが土台になっている。そこには、上記した特殊な“ドラッグ” が、作戦の成否を握る重
要なカギであるとして、明確に記されていた。これが早くも「ユーゴ空爆」で、その内容の一部が
実際に試されたことになる。
「研究者らは兵士をより長く目覚めさせ、より効果的に働かせることを目的とした化学的、生物
的方法の模索を始めている。…ある見積もりによると、新しい興奮剤を化学的にミックスしたもの
に、正確に時間を計った仮眠が加われば、部隊は2、3日(48時間から72時間)ぶっ通しで機敏
な対応が可能となる。また、『記憶強化剤』は一部の兵士を人間コンピュータに仕立て上げること
ができる」とあった。
要するに「デジタル時代に相応しい“麻薬”の開発が不可欠」だというもので、 “ヤク浸け”にして
「サイバー戦士」を造り上げるというのだ!近代戦争はその手段を限りなくエスカレートさせてき
たが、「狂気の沙汰」というのは、こういうことを指した言葉ではなかったか。それとも「狂気」こそ
が、いまや「正常」だというのだろうか?
この「狂気」は、もはや人間の手で押しとどめることは不可能であろう。“世界の警察官”を誇り、
平和と自由と民主主義の錦の御旗をしっかりと抱いて、高々と掲げている国の軍隊が、マジでや
っていることだからである。 昨日今日始まったことではない。権力にとって“麻薬”を支配するこ
とは、権力が必要とする支配にとって不可欠な一物質なのだ。その歴史は古く、奥も深い。
このような物質を「戦略物資」と呼ぶが、麻薬、金融(マネー)、情報、エネルギー、食糧、武器な
どの支配を巡る争いこそが戦争である。また、権力による“麻薬”利用の方法が多彩であるのと
同様、戦争の形態も多彩である。
これらの物質が豊かに存在する地域を支配することと、そのためのアクセスを確保するライン上
に戦争があった。したがって、いつも祝福されてしかるべき豊かな資源の地の人々が、望むと望
まざるとにかかわらず、間尺に合わない負荷に苦しめられつづけているのだ。このような加害行
為を、「侵略」あるいは「掠奪」というのではなかったか。
老人福祉の巨大利権を食い物にした厚生省の収賄事件で見えた「汚職の構造」 立花 隆
薬害エイズ問題で大失態を演じた厚生省にまたしても不祥事が発覚した。老人ホームの
許認可に絡み、6000万円の賄賂を受け取った疑惑で、 11月19日になって岡光序治事務次
官が急遽辞任。元部下で、厚生省から埼玉県庁に出向していた元埼玉県生活福祉部高齢者
福祉課長の茶谷滋容疑者も収賄容疑で逮捕され、日常化した官僚と業者の汚職の実態があ
らためて浮き彫りになった。
特別養護老人ホームの建設をめぐる厚生省の汚職は驚くことばかりだ。厚生省を舞台に、
これほど巨額のカネが動く汚職があったということそれ自体が意外だった。建設省、通産
省など、予算のバラまきが沢山あって、それだけに汚職もよくある官庁なら、「またか」
と思うだけで、さして驚きもしないが、厚生省の、しかも福祉関係ということになると、
なかなか汚職とは結びつかない。
しかし、ちょっと調べてみると、いまや厚生省は、とんでもなく巨大な経済官庁になり、
大変な利権をかかえた、いつ汚職が起きても不思議ではない官庁になってしまっているの
だということがわかる。 たとえば、1996年度の総額75兆1049億円の一般会計
予算を、省庁別所管額ランキングで見ると、1位の大蔵省の19兆円に次いで多いのが、
厚生省の14兆3778億円なのである。汚職が多いと思われている建設省などは、5兆
8207億円で、第5位でしかない。
なぜそれほど、厚生省の予算が多くなったのかというと、日本が福祉国家になったから
である。予算の最大の費目は、国債費をのぞくと、社会保障関係費の14兆2879億円
で、これは厚生省の所管になっている。汚職の温床と思われている公共事業費などは、9
兆6184億円で、それよりはるかに低い。
国の財政は、一般会計だけを見ていたのでは全体像がつかめない。一般会計よりはるか
に巨額のものが、特別会計になっている。その総額はなんと260兆円にもなる。この中
で、2番目に大きいのが厚生保険の56兆円で、4番目に大きいのが国民年金の21兆円
で、いずれも厚生省所管である。
社会保障関係費14兆円の中身をのぞいてみると、一番大きいのは社会保険費8兆50
00億円で、次に大きいのが、社会福祉費の3兆8000億円である。そして、この社会
福祉費の中でいちばん大きいのが、老人福祉費の2兆3000億円である。
新ゴールド・プランで9兆円をバラまく厚生省 : 日本が高齢化社会になるにつれ、今、
老人福祉がどんどん拡大されつつある。1990年から、高齢者保健福祉推進10ヵ年戦
略(ゴールド・プラン)がはじまり、95年からは、これをレベル・アップした新ゴール
ド・プランがはじまった。新ゴールド・プランでは、特に老人介護に力を入れることにな
り、特別養護老人ホームを2000年までに29万床作るという目標がかかげられている。
これが、今回の厚生省汚職の最大の背景である。新ゴールド・プランの目標を達成する
ために、厚生省は2000年までに9兆円という巨額の補助金をバラまくことになった。
その額、昨年は1466億円、今年度は1800億円である。
特別養護老人ホームを作る場合、国の補助が2分の1で、それに県の補助が4分の1つ
く。さらに埼玉県の場合は、県から16分の3の特別補助がつく。だから、16分の1す
なわち約6%の自己負担のみで何億円もする老人ホームができてしまうことになる。実際
には、自己負担分にも県から特別融資を受けられるから、事実上自己資金ゼロでもできて
しまうのである。しかも、できてから、入所者に対しても補助金が出るから、経営面は心
配ない。
こうなるとこれは利権そのものである。埼玉県でも、他の県でも、老人ホームを作るの
がブームになっていて、補助金申請の窓口には行列ができているという。 この汚職で贈
賄側になった小山博史容疑者の場合、わずか3年間のうちに6件の申請を通し、合計36
億円以上の補助金を得ている。こんなに巨額の補助金が得られるなら、数千万円の賄賂な
どなんでもないということになる。 この巨額の補助金の配り役になっていたのが、収賄
容疑ですでに逮捕済みの、埼玉県に出向していた厚生省の若手エリート茶谷滋・前埼玉県
生活福祉部高齢者福祉課長(39歳)である。
中央政府にがんじがらめにされた地方行政 : テレビで茶谷の顔を見て、その若さに驚
いた人も多いだろうが、中央省庁のエリート官僚が出向で県に出る場合は、30代そこそ
こが普通なのである。埼玉県の高齢者福祉予算総額は96年度で453億9446万円も
あるが、それをこの青年が握ってしまったのだ。
日本の地方財政は、自前の税収や地方債だけでまかなえるところはほとんどない。たい
てい中央政府からの地方交付税交付金(13兆円)や、補助金などの国庫支出金(13兆
6000億円)が頼りだから、どこも中央政府に頭が上がらないという構造になっている。
官官接待がいつまでたってもなくならないのも、実は、中央と地方の間にこういう構造
があるからなのである。「10万円の接待で1億円の補助金が得られるなら安いもの」と
いうのが、地方官僚が中央官僚を接待する論理なのである。
地方行政は地方の行政機関が自由にやっているようで、実は、中央政府が補助金のバラ
まきと出向者の派遣でがんじがらめに縛っているのが実情なのだ。そういう体制の中で、
中央からの若手エリート出向者は、ついおごり高ぶるようになり、接待を受けたり、便宜
供与を受けるのも当たり前という感覚になってくる。これが厚生省汚職の根底にある構造
なのだから、ここを改めないかぎり、汚職はいつまでたってもなくならないだろう。
こういう汚職の構造をどうすれば改められるのだろうか。ひとつは、行政改革によって、
めったやたらの補助金バラまきによって中央省庁の政策を地方に押しつけていくという行
政手法を改めることである。
カネと人による地方行政の支配をやめて、地方に本当の意味での自治を与えることである。
もちろん、中央集権から地方分権にすれば、なんでもすべて解決するというわけではない。
それ以上に大切なのは、行政の透明性を確保することである。行政の持つ情報を明らか
にし、行政決定のプロセスをオープンにすることである。
part 2 荒らさないの?
かなり異常だぜ、おたく。
行政決定が暗闇の中でなされるのではなく、衆人環視の下でなされるのであれば、そう
そうおかしなことは起きない。後ろ暗いことは、人目につかないところでなされるのだか
ら、行政決定をオープンにしてしまえば、不正行為はずっと減るはずである。
また、行政情報をオープンにしてしまえば、カネを使ってでも官僚から特別の情報を入
手して、それでボロ儲けをはかるといったことができなくなる。情報公開がないところで
は、どうしても、カネを使ってでも特殊な情報を入手してやろうと考える人が跡をたたな
い。 行政の透明化をはかるためには、情報公開がどうしても必要である。だから情報公
開は行政改革の最大の柱とすべきである。
国民への説明義務が欠落した日本の官僚たち: なぜ日本では情報公開が進まないのか。
日本の官僚たちにアカウンタビリティ(説明義務)の認識が欠けているからだと思う。
官僚の仕事とはそもそも何であるかといえば、税金を使うことである。税金を使うから
には、それをどう使ったのかを、税金の出し手たる国民にちゃんと説明しなければならな
い。これがアカウンタビリティというものである。
なぜ日本の官僚にはアカウンタビリティがないのか。おそらく、日本の官僚制がそもそ
も天皇のための官僚制として誕生し、官僚たちは自分たちが天皇の官僚であるという自己
認識のもとに育てられてきたので、天皇への説明義務はあるが、国民への説明義務などと
いうものがあろうとは、夢にも考えなかったという伝統があるからである。
戦後、日本の国制が天皇制から民主制になり、官僚は天皇の官僚からパブリック・サー
バント(公僕)になった。しかし、官僚の意識は天皇制官僚時代と変わらず、自分たちは
国民を上から支配する者という意識のままに今もとどまっているのである。そこのところ
が変わらないかぎり、アカウンタビリティなどという概念が、官僚の意識の中に入ってこ
ないのである。
これに対しては国民の側が、しつこく、知る権利を積極的に行使して、官僚に説明を求
めつづけ、実力で情報公開をかちとっていくほかないだろう。
コロンブスとインディアンと人間の進歩と
賢人ジョージ・オーウェルは「過去を支配するものが将来を支配し、現在を支配するも
のが過去を支配する」と書いている。つまり、我々の社会を支配するものがその歴史を記
す立場にあり、それができる者が将来をも左右するということだ。だからこそコロンブス
について事実を伝えることが重要なのである。
正直に告白すると、A People's History of the United States(『民衆のアメリカ史』TBSブリ
タニカ刊)の執筆を始める12年前まで、私自身、コロンブスのことはほとんど何も知らな
かった。コロンビア大学で歴史の博士号を取得している私でさえ、コロンブスに関する知
識は小学校で習ったこととあまり変わらなかったのである。
しかし、この本を書くに当りコロンブスのことを学ばなければならなくなった。有り触
れたアメリカ史にはしたくなかったからである。歴史の本がこれまで無視してきたアメリ
カ先住民、黒人奴隷、女性、労働者の視点からアメリカ合衆国というものを捉えてみたか
った。ロックフェラーやカーネギーなど富豪のではなく、労働者の立場からこの国の産業
の進歩について語ってみたかった。また、英雄の立場ではなく、兵士や敵の目を通した戦
争の話を伝えたかったのである。
コロンブスを取り上げる場合、まず最初に思いついたのが先住民(アメリカ大陸をアジ
アと勘違いしたが故に「インド人(インディアン)」と呼ばれることになった)の目から
コロンブスを捉えることである。しかし、先住民は伝記や歴史というものをまったく残し
ていないし、20〜30年でほぼ絶滅している。そこで、次に考えたのはスペイン人であり、
まずはコロンブス自身の視点である。
<コロンブスが見たアメリカ原住民>
コロンブスは日記をつけていた。そこには、バハマ諸島に上陸した時、先住民(アラワ
ク族)にとって自分達は別世界の人間に思えたはずなのに、数々の贈り物を手に海の中ま
で出向いて歓迎してくれたと記されている。コロンブスが、穏やかで優しいと形容した先
住民は、「武器を持たないどころか、その存在さえ知らない。私がサーベルを見せたら刃
の方を持って手を切ったくらい」であった。
上陸後数カ月間にスペインの後援者に宛てた手紙には「彼らは極めて純真かつ正直で、
決して物惜しみしない。自分の持ちものを乞われればそれが何であろうと与えてしまう」
と書いている。しかし、日記の中に突然次のような一節が現われる。「彼らは立派な召し
使いになるだろう。手勢50人もあれば彼らを一人残らず服従させられるし、望むことをな
んでもやらせることができるだろう」。これがコロンブスのインディアンに対する見方で
ある。客を手厚く持て成す主人としてではなく、「自分達の望むことをやらせる」ための
「召し使い」として見ていたのである。コロンブスは一体何が欲しかったのであろうか。
それを見極めるのはそれほど難しいことではない。なぜなら、最初の2週間分の日記の中
に「黄金」という言葉が75回も登場するからだ。
<十字架と絞首台>
コロンブスの話の中でいつも強調されるのは、彼の宗教心と、先住民をキリスト教に改
宗させたいという願いである。コロンブス達の主な滞在地、エスパニョーラ島には至ると
ころに十字架が立てられた。しかし、それと並べて絞首台も立てられ、1500年には340台
を数えている。十字架と絞首台が並んで立っていたとはなんたる歴史的事実だろうか。実
のところ、コロンブスは神よりも黄金に対する執着心の方が強かったようだ。インディア
ンが持っていたわずかばかりの黄金を見ただけで、それが大量にあるはずだと思い込み、
いついつまでにこれだけの黄金を探し出すようにと命令したのである。そのノルマを達成
できなければ、他の先住民への見せしめのために腕をたたき切ったという。
ハーバードの歴史家で、コロンブスを尊敬する伝記作家のサミュエル・エリオット・モ
リソンもこの点は認めている。「この身の毛のよだつような制度を誰が考えたにしろ、輸
出用黄金の唯一の産出方法として、コロンブスがそれを実行に移したことに疑いはない。
山に逃げたものは猟犬に追われ、たとえ逃げおおせたとしても餓死あるいは病死した。ま
た、絶望した先住民はその惨めな生活に終止符を打つために毒を飲んだ。コロンブスの制
度によって、地上の楽園だったエスパニョーラの急激な人口減少が始まったのである。民
族学者の推定では、元々30万人いた先住民のうち3分の1が1494〜96年の2年間に死亡した
という。1508年には残った先住民の数はさらに6万人に減り、1548年には生存者が500人い
たかどうかも疑わしいとされている」
<コロンブスが始めた奴隷制>
しかし、それでもスペイン国王や融資家を驚かせるほどの黄金は産出できなかった。そ
こで、もうひとつの略奪品として奴隷をスペインに送り始めたのである。約1,200人の先
住民の中から500人を選び、大西洋を渡る船にぎっしり詰め込んだ。途中、寒さと病気の
ために200人が死亡した。1498年9月のコロンブスの日記には、「三位一体の神の御名にお
いて、売れる奴隷という奴隷をどんどん送り続けよう」とある。
スペイン人がインディアンにどれだけ酷いことをしたかは、バルトロメ・デ・ラスカサ
スによって克明に描かれている。ラスカサスはコロンブスより2〜3年遅れて渡ったドミニ
コ修道会の宣教師で、エスパニョーラ島と近くの島で40年間過ごし、スペインでインディ
アンの人権を主唱した人物である。ラスカサスは彼の著書の中でインディアンについて、
「無限の宇宙の中で、彼らは最も明朗で、邪悪さや不誠実なところがまったくない。しか
し、この羊の檻の中にスペイン人が突然侵入し、貪欲な獣として振る舞い始めた。
彼らは、キリスト教徒には黄金を手にするという絶対的な使命があるとして殺戮や破壊行
為を正当化した」と書いている。ラスカサスは兵士がふざけてインディアンを刺し殺した
り、赤ん坊の頭を岩に投げつけている光景を目にした。元々"所有"という概念がなく、自
分の物も他人の物も区別していなかった先住民が、スペイン人のものを手にした場合には
打ち首か火あぶりにされたという。強制労働が大半の先住民を病気と死に追いやった。過
重労働と飢えで母親の乳が出ないために多くの子供が死んだ。ラスカサスは3カ月で7,000
人の子供達が死亡したと推定している。さらにヨーロッパから、先住民には免疫のなかっ
た腸チフス、発疹チフス、ジフテリア、天然痘などの病気が運ばれ、それが最大の死因に
なった。
<二人の合意の上に成立したレイプ!?>
軍隊による征服では必ず女性が酷い目に遭う。クネオというイタリア人貴族は次のよう
に書き残している。「海軍司令長官(コロンブス)から与えられ、自分も肉体的な欲求を
抱くカリブの美人を捕まえた。私はその欲求を満たしたかったが、女はそれを望まず、爪
で私を傷つけたため、ロープを取り出し激しく打ち付けた。そしてとうとう2人は合意に
達したのである」。先住民女性に対するレイプが横行していたことを裏付ける証拠は他に
もある。モリソンは「バハマ、キューバ、エスパニョーラでは、若くて美しい女性がほと
んどどこででも全裸で過ごしていたことから、従順だと思われていた」と書いている。従
順だと思い込んだのは誰なのか。多くの男達がモリソンと同様に考えたのは間違いない。
モリソンは多くの作家同様に、この征服をロマンチックな冒険と捉え、男性的な勇まし
い征服に酔っているかのようだ。「1492年10月、新世界が征服者のカスティリア人の前に
屈服し優雅にその処女性を与えた時の驚きと不安、そして歓喜を呼び起こすことは不可能
であろう」と記している。クネオ(「二人は合意に達した」)とモリス(「優雅に与えた」)
の言葉は500年の歳月を隔ててなお、残忍な性行為を「従順」に受け入れたと見なすこと
ですべてを正当化してしまう伝統が、現代史に一貫して流れていることを示唆する。だか
らこそ私は、従来の歴史書ではなく、コロンブスの日記やラスカサス、そしてKoningの
Columbus: His Enterpriseを頼りにしたのである。
<読者の驚き>
私の本『民衆のアメリカ史』が出版されると全米中から手紙が届き始めた。この本はコ
ロンブスの時代から1970年までを取り上げているにも拘わらず、読者からの手紙の大半が
コロンブスだけに焦中している。
オレゴン州タイガードの高校から20〜30通の手紙が毎学期届くようになった。どうもそ
この学校の先生が生徒に私の本の一部を読ませ、それについてのコメントと質問を書かせ
ているらしい。その手紙の半数は真実を教えてくれたことを感謝するというものだが、残
りの半分には憤りが感じられ、どうやってこのような情報を入手したのか、またどうして
このような酷い結論に達したのかと懐疑的である。
17才のブライアンは次のような手紙をくれた。「コロンブスの部分を読んで混乱してし
まいました。まるでコロンブスは女と奴隷と黄金のためにアメリカに渡ったようです。ま
た、インディアンを虐待したと書かれています。先生はこれらの情報をコロンブスの日記
から入手したといいますが、日記は実在するのでしょうか。もしそうだとすれば、なぜ私
達の歴史の中にその情報が取り込まれないのでしょう。なぜ先生がおっしゃるようなこと
が私の教科書や一般の歴史の本には出ていないのでしょうか」。
この手紙の内容について考えてみた。他の歴史の本が、私が伝えたようなことを取り上
げていないことに対して怒っているとも受け取れるが、それよりも「あなたが書いている
ことなど一言も信じられない。でっちあげたのだろう」といっているようだ。私自身はこ
のような反応にそれほど驚いていない。何世代にもわたりコロンブスについてまったく同
じことを学び、同じ部分が欠落したまま教育を終えているという紛れもない事実は、米国
文化の多元性や多様性の追及、「自由社会」への誇りに対して何かを物語っているのでは
ないだろうか。
<海を愛する少年コロンブス>
オレゴン州ポートランドの教師、ビル・ビゲローはコロンブスの伝記の指導方法を全米
で改革するように運動を起こした。彼は新しいクラスを受け持つと、前列に座っている女
生徒の所に行って財布を取り上げる。そして女生徒が「私の財布を取った」というと、「違
うよ。これは私が発見したんだよ」と答えるのだという。
ビゲローがコロンブスに関する最近の子供の本を調査したところ、どれもが非常に似通
っていたという。典型的な小学校5年生向けのコロンブスの伝記は、「あるところに海を
愛する少年がいました」で始まっている。また2年生の場合には、「国王と女王が黄金と
インディアンを目にし、コロンブスの冒険談を聞いて驚かれました。そしてみんなで教会
に行き、祈りと歌を捧げました。コロンブスの目には涙が溢れていました」という内容だ。
教師とコロンブスについて話した時、一人の教師が生徒はラスカサスやその他の恐ろし
い話を聞くにはまだ幼すぎると指摘した。しかしこの指摘では、大学院を出るまで事実を
知らされなかったという私個人の経験や、私の本でショックを受けたという反応は年令を
問わず全世代から寄せられているという事実を正当化できない。それにいわゆる大人の本
の例として、コロンビア百科辞典をひもといても、コロンブスや彼の仲間の残虐行為につ
いては一言も触れられていない。
<国民的英雄による大虐殺>
1986年版のColumbia History of the Worldには、コロンブス自身が先住民に対して行った
ことについて何も書かれていない。「アメリカ大陸のスペインとポルトガル」としては数
ページが割かれているが、当時の神学者、または今日の歴史家間の論争の焦点として提示
されているに過ぎない。「インディアンの改宗に対する国王と教会の決意、新地開拓のた
めの労働力の必要性、スペイン人によるインディアン保護の試み、これらすべてが非常に
複雑な習慣や法律、機関の設立につながった。そして、現在でも、スペインのアメリカ支
配に関して、歴史家が矛盾した結論を導く原因になっている。学界ではこのように解決で
きない疑問について活発に論争が繰り広げられているが、蛮行、過重労働、病気が急激な
人口減少につながったことに疑いの余地はない」。
学問的な言葉を使ってはいるものの、奴隷制や強制労働、レイプ、殺人、人質、ヨーロ
ッパからの病気の蔓延、先住民の大量減少についてはっきりと書かれている。しかし一つ
問題なのは、これらの事実にどれだけ重きを置くか、そしてどうやってその事実を現代の
問題と結び付けるかである。
例えば、モリソンはコロンブス達の原住民に対する仕打ちをある程度克明に記し、この
「発見」の総体的な影響を「計画的絶滅(ジェノサイド)」という言葉で表しているが、
コロンブスを賞賛する部分がやたら長く、このような表現はその中に埋もれてしまってい
る。モリソンは、有名な著書、『航海者クリストファー・コロンブス』の結論部分で自分
の見方を次のようにまとめている。「彼にも誤りがあり欠点があった。しかし、その大半
は彼を偉大ならしめた特性、つまり不屈の意志や、神への信仰心や、大洋のかなたの国へ
のキリスト教伝道者としての使命感や、無視と貧困と失意にもめげぬ頑固なまでの一貫性
に伴う欠点である。しかし、彼のすべての特性のうち最も卓越した、最も本質的なもので
ある船乗りとしての識見と能力には、なんらの欠点も後ろ暗い面もなかった」
私の立場を明確にしておきたい。私はコロンブスを糾弾したい訳でも、称賛したい訳で
もない。それをするには遅すぎる。私にとって、コロンブスの伝記が重要なのは、それが
自分達について、現代について教えてくれると同時に、今世紀または来世紀に関する決定
についても参考になるからである。
誰があらしてるのか知らないですが 異常性格みたいね
さげておこう。
荒らしでfill upすることになるのか。
ここが今話題の荒らしのスレッドかぁ!!!
感動したぞ!! こういうのもあるんだ!!!実にすごい!!!
みんなに宣伝しよう!!
ここは一度見てみる価値があるぜ!!!
で、誰がやってるの? このすごい荒らし これだけ執拗に荒らしてるって
すごいエネルギーがいると思うが、なんの目的??
おせ〜〜て、おせ〜〜て おせ〜〜〜〜〜〜て
触れられたくない話題が盛り上がってたからだろう
●造と●竄
それだけでなく、告発者まで名乗り出そうになったことが遠因。
伏せ字でも具体的な企業名を示唆するようになると、いろいろと困る連中がいるのだろう。
荒し元にお咎(とが)めで、2ちゃんねる追放。そこに寄生している奴は2ちゃんねるに近寄れなくなるわけだ。
一部の不心得者が画策して、2ちゃんねるにアクセスできないようにするのが狙い?
ネットワークの管理者なら、そんな手間をかける必要はないが、中間管理職で上の方から命令されて仕方なく
そんな情けない話かもしれませんぞ! 方々。
<コロンブス記念は愛国心か>
なぜ今頃になって、コロンブスやその500年祭についてこんなに大きな論争が起きてい
るのだろうか。先住民もコロンブス擁護側も、かなり熱くなっている。この謎を解くには100
年前の400年祭が参考になる。当時、ニューヨークでかなり大がかりな記念行事が行われ、
カーネギー・ホールの式典で挨拶をしたのがチャンシー・デピューである。ニューヨーク
・セントラル鉄道の看板役であったデピューは、ニューヨークの州議会のメンバーに現金
と鉄道のフリーパスを提供する代わりに、その鉄道の補助金と土地を手にした人物である。
コロンブスの祭典を富と繁栄の祝いととったデピューは「400年祭は偉大な民族の富と文
明化、その民族の快楽や贅沢、その権力に通じるものの記念である」と述べている。
これと同じ頃、貧困労働者がスラム街に群がり、子供達は病気や栄養失調で苦しんでい
たことを忘れてはならない。これら労働者の絶望的な苦しみは農業同盟の怒りや人民党の
設立につながった。そして、翌年の1893年には経済危機により苦難がさらに拡大した。デ
ピューも舞台で人々の不満の色を感じとったのであろう。「私が嫌うことはすべてを疑お
うとする史的な詮索である。そのような気運はこれまで培われた愛国心をすべて滅ぼして
しまう」と付け加えている。
これではコロンブスを祝えば愛国心があり、疑えば愛国心がないということになる。で
は、デピューにとって「愛国心」とはなんであったのか。それはコロンブスや米国が象徴
した拡大と征服の美化に他ならない。デピューの演説から6年後の1898年には、米国はス
ペインをキューバから追い出し、プエルトリコとハワイも獲得した。また、フィリピンを
奪うための米西戦争もこの年に始まった。
デピューが持ち出した愛国心とは、征服した人々が自分達よりも劣っているという考え
方に根ざしている。コロンブスの攻撃はインディアンを人間より下に位置付けることで正
当化された。南北戦争直前、テキサスとメキシコの大半を獲得したのも同じ人種差別的な
理由による。テキサスの初代州知事、サム・ヒューストンは「アングロサクソン族がこの
大陸の南の端まで支配しなければならない。メキシコ人はインディアンと同じなのだから、
我々がメキシコ人の土地を奪ってはいけないという理由はない」と宣言している。
1900年に、デピューは再びカーネギー・ホールで、今度は上院議員としてセオドア・ル
ーズベルトの副大統領立候補を応援した。中国方面への侵入開始として、フィリピンの征
服を記念しながら、「マニラ湾のデューイ提督の大砲はアジアやアフリカ大陸にまで轟い
た。それは東洋人の中に、西洋諸国の新勢力を意識させたに違いない。他の欧州諸国同様
に我々も無限の東方市場への参入に努力している。フィリピンは莫大な市場と富を提供す
ると信じている」と宣言した。偉大な大統領と考えられているルーズベルトは典型的な人
種差別の帝国主義者である。クリーブランド大統領がハワイの併合に失敗した1893年には、
陸軍大学校に対してすごい険幕で、これは「白人の文明化に逆らう犯罪」であるとしてい
る。フィリピンの米国人陸軍将校は、もっとあからさまに「言葉を飾る必要はない。我々
はアメリカン・インディアンを絶滅させた。我々の大部分がそれを誇りに思っているので
はないだろうか。必要とあれば、我々の進歩と啓蒙の前に立ちはだかる他の人種を絶滅さ
せることも躊躇しない」と述べている。
「敵」の非人間化は征服戦争には付き物である。異教徒や下等人種と見れば残虐行為の
言い訳も容易である。米国の奴隷制や人種差別、そしてアジアやアフリカにおける欧州諸
国の帝国主義はこうやって正当化されてきた。米国によるベトナム村落の爆撃、索敵せん
滅作戦、ミライの大量虐殺などもすべて、犠牲者は人間ではないと考えればなんでもない
ことに感じられてしまう。彼らは人間である前に「東洋人」、「共産主義者」であるのだ
から、こういう目に合うのは当然だという考え方である。
湾岸戦争では、イラク人の存在を無視することで彼らを非人間化した。我々は女、子供、
イラクの一般の若者を爆撃したわけではない。我々が戦ったのは、ヒトラーのごとき怪物
のサダム・フセインである。この怪物のためにイラク人が犠牲になったとしても仕方がな
い。陸軍大将のコーリン・パウエルはイラク人犠牲者について、「それほど関心のあるこ
とではない」と答えている。
<人類の進化とその裏にある犠牲>
コロンブスの記念は、海の偉業だけではなく、バハマ諸島への上陸がその後500年間の
「文明化」の開始であること、つまり人間の「進歩」を祝うものである。私自身、技術や
知識、科学、教育、生活水準の進歩を意味する「進歩」や「文明」を否定するつもりはな
い。しかし問題は、そのために人間がどれだけの犠牲を払ったかである。
これについて考えると、私は高校の米国史で、産業革命の時代、米国が経済大国になっ
た時代を勉強した時のことを思い出す。鉄鋼や石油業界の急成長や鉄道の発達などを学ん
だ時にはどんなにわくわくしたことだろう。しかし、この産業の進歩に携わった人間の犠
牲についてはまったく触れられなかった。黒人奴隷にどうやって多くの綿花を生産させた
か、少女達がいかに繊維産業に貢献したか、アイルランドや中国の移民が鉄道建設で死ぬ
まで酷使されたことなどはすべて無視された。これらは「進歩」の名のもとに進められた。
そして、産業化や科学、技術、医療の進歩から大きな利益が生まれたのも確かである。し
かし、その利益のほとんどは、ほんの一握りの人間の手に渡ったのである。
コロンブスの航海を未開状態から文明化への転換とするのならば、コロンブスの上陸前
に築かれた何千年ものインディアン文明はどうなるのか。米国人の歴史家、ギャリイ・ナ
ッシュは次のように描写している。「法律も条令もない。保安官も警官もいないし、裁判
官も陪審員もいない。法廷も牢獄もない。こういったヨーロッパ社会における権威の道具
だては、ヨーロッパ人到来以前の北東部の森林地帯には見つけようにも見つからなかった。
にもかかわらず受け入れられ得る行いの範囲は、はっきりと定められていた。個人が自立
していることを自慢していたが、正邪の厳しい感覚を維持していた」
西への開拓で、新国家のアメリカ合衆国は、インディアンの土地を奪い、抵抗するもの
は殺し、食料源と住処を破壊した。そうやってインディアンをより狭い土地へと追いやり、
インディアン社会を系統的に破壊したのである。ミシガン領の知事であったルイス・カサ
スはインディアンから広大な土地を略奪したことを「文明の進歩」とし、「野蛮な民族は、
文明社会との接触なしにはやっていけないのだから」と述べている。
あいつか。。。
○ 歴代大統領の中東政策
1933-45年フランクリン・ルーズベルト(民主党):
サウジアラビア国王と会談し、友好関係を確立。
1945-53年ハリー・トルーマン(民主党):
国連でイスラエルの建国を認める決議案に賛成(その直後にイスラエルは建国宣言し、
周辺アラブ諸国と「第一次中東戦争」)。
1953-61年ドワイト・アイゼンハワー(共和党):
スエズ動乱(第二次中東戦争)で英仏の支持を得たイスラエルがエジプトから奪った
スエズ運河を、ソ連と組んでイスラエルに圧力をかけてエジプトに返還させる。
1961-63年ジョン・F・ケネディ(民主党):
キューバ危機を契機にソ連とのデタント(緊張緩和)に乗り出す。イスラエル支持に
熱心でなかった。
1963-69年リンドン・ジョンソン(民主党):
第三次中東戦争(6日間戦争)で、イスラエルがシリアに侵攻した際、ソ連がシリアを
支援する動きを見せたので、米海軍の地中海艦隊をシリア沖に派遣してソ連を威嚇。
結局ソ連は介入せず、イスラエルはシリア領土の軍事上の要衝、ゴラン高原を獲得した。
イスラエルは同時にシナイ半島(スエズ運河東岸のエジプト領土)やヨルダン川西岸
(ウェストバンク)も獲得した。
1969-74年リチャード・ニクソン(共和党):
第四次中東戦争のあと、キッシンジャー国務長官をして中東和平を推進させ、イスラエ
ルにエジプト領シナイ半島を返還させ、またアメリカはエジプトの最大の援助国となる。
1974-77年ジェラルド・フォード(共和党):
キッシンジャー国務長官を再任し、エジプトとの友好関係を維持。
1977-81年ジェームズ・カーター(民主党):
在任中の1980年、イランでホメイニ師をリーダーとするイスラム原理主義革命が起き、パ
ーレビ国王が病気治療と亡命を兼ねてアメリカに逃げ込むという混乱の中、国王の身柄引
渡しを求めて過激派学生が首都テヘランの米大使館を占拠し、大使館員を人質に取り、そ
れを革命政権が容認したため、カーターは軍を使った人質救出作戦を行って失敗。時あた
かも米大統領選挙のさなかであったが、人質解放の決定権を持つイラン議会が、なぜか大
統領選挙の投票日前の人質解放を拒否。このため、カーターはこの問題の失敗者と国民に
評価されて落選。共和党のレーガンが当選した(イスラム革命勢力がレーガンを利した形
になった。レーガン政権ができたあと、革命勢力は人質を解放し、人質はレーガン大統領
に感謝した)。
1981-88年ロナルド・レーガン(共和党):
サウジアラビアに早期警戒機AWACSの売却を決め、その空軍力の増強に貢献。イスラエ
ルからは新たな脅威として激しく非難される。
1989-93年ジョージ・ブッシュ(共和党):
サウジに米軍基地を設けて(イスラエルの手を借りずに)湾岸戦争を戦い、戦後クウェー
トにも基地を確保。また、旧ユーゴスラビアの内戦ボスニア和平問題では、一貫してモス
リム人(イスラム教徒)を支持し、イスラエルと対立(イスラエルはともにナチスと戦っ
た歴史を持つセルビア人勢力に肩入れしている)。
1993年-ウィリアム・クリントン(民主党):
自身の不倫もみ消し疑惑が議会やメディアで大きく取り上げられるたびに、それから国民
の目をそらすためか、アフガニスタン、スーダンの原理主義テロリストの拠点や、イラク
など、イスラム教徒への空爆を実行。アラブ諸国の国民に非難される。
一目瞭然ではないか。共和党は親イスラム、民主党は親イスラエルで一貫しているのだ。
アメリカが親イスラエルを国是としているかのように誤解された背景には、つまり両者が
混同された原因には、以下のようなものがあると考えられる。
1. 冷戦時代、ソ連は米英共通の敵であり、またイスラエルの敵でもあったから、一見す
るとこの3国は密接な同盟関係にあるように見えた。他方、シリア、リビア、PLO(パレ
スチナ解放機構)、イランのイスラム原理主義派(ホメイニ革命政権)、王制打倒直後の
エジプト(ナセル政権)などのイスラム諸勢力は明らかにソ連の盟友だった(ただし、イ
スラム諸勢力のうち、サダト大統領以後のエジプト、革命以前のイラン、サウジアラビア
ほか君主制度を取るペルシャ湾岸諸国にとっては、ソ連は敵であった)。
2. イスラム教徒の信仰や習慣について、欧米のマスメディアの大半が偏見と誤解に満ち
た報道を繰り返した(あとで詳しく述べるが、たとえば米国ではテレビの3大ネットワー
クのうち2つまでが、イスラエル寄りの反イスラムの報道を行っていた)。
3. ニクソン政権下で中東和平合意(アラブの盟主エジプトのアメリカ側への取り込み)
の中心人物だった、当時のキッシンジャー国務長官がユダヤ人であった、イスラエルの利
益を最優先しているように見えた(が、彼はユダヤ団体のまわし者ではなく、れっきとし
た共和党員で、多くのイスラム諸国に友人を持っている)
4. アメリカ最大のユダヤ団体のリーダーが共和党員である(ただし、彼は閣僚を務め得
るような共和党の有力者ではない。また、イスラエルのために働く共和党員はごく少数で、
これは例外中の例外であり、。おそらく、あとで述べるように「本籍民主党、現住所共和
党」の者であろう)。
(975のつづき)
野蛮民族というが一体インディアンがどれだけ「野蛮」であったというのだ。インディ
アンがまだ生活している共同体の土地を分割して私有の持ち物にしようと、議会が法律制
定の準備をしていた1880年代のことである。この法律の起草者、上院議員のヘンリー・ド
ーズは、チェロキー部族連合を訪問し、何を発見したかを次のように描写している。「部
族中、自分の家がない家庭はまったくないし、乞食もいなければ部族連合としての負債も
まったくない。自分達の学校もあれば病院もある。しかし、この体制の欠点は明確である。
土地の共同所有のため、自分の家を隣人よりも少しでもいいものにしようという欲望がな
く、文明化の根底にある利己心がまったく存在しない点である」
この利己心こそコロンブスを駆り立てたものであり、最近もてはやされているものであ
る。米国の指導者やメディアは、旧ソ連や東欧に「利益追及主義」を紹介することが西側
の大きな貢献であると説いている。確かに、利益追及という動機は経済発展に役立つのか
もしれない。しかし、西側「自由市場」の歴史が示すように、その利益追及が冷酷な帝国
主義につながり、人類の受難と搾取、奴隷制や仕事場での虐待、危険な労働条件、子供の
労働、土地や森林の破壊、大気、水、食料の汚染という数々の問題を招いたのである。
<コロンブスから学ぶこと>
コロンブスの部分だけを取り出して、20世紀の目で見るのはおかしいという意見をよく
聞く。500年前に起きたことに対して、今の価値観を押し付けるべきではないという指摘
である。しかし、残虐行為や搾取、奴隷制、無力な人々に対する暴力は果たして15〜16世
紀だけの問題だったのであろうか。コロンブスと我々の両方の時代に共通する価値観があ
るのではないだろうか。その証拠として彼の時代も今も、奴隷制や搾取は続いている。
コロンブス500年祭には、アメリカ大陸全土にわたり抗議の波が起こった。その大部分
で先頭に立ったのがインディアンであるが、先住民の視点からコロンブスの話を伝えるべ
きだと主張する教師も登場した。今や教師も生徒も、教科書の内容に疑問を持ち始めてい
る。ある生徒は、「出版社が、我々が愛国心を持ちそうな栄光に満ちた話だけ印刷してい
るように思えます。我が国が偉大で強力で、永遠に正しいと思わせたいのです。だとした
ら我々は嘘で丸めこまれていることになります」という。また違う生徒は、「アメリカを
発見したのが誰であろうと関係ありません。今までずっと騙されてきたということと、事
実を誰が知っているのかと考えるとすごく腹が立ちます」と述べた。
学校での新しい批判的な考え方はいわゆる「西欧文明」を美化してきた人達に脅威を与
えているようだ。西欧文明を最も積極的に擁護するひとり、『アメリカン・マインドの終
焉』の著者で哲学者のアラン・ブルームは、'60年代の社会運動が米国大学教育の環境を
一変したことに対して、精神的にパニックに陥ったようである。彼はコーネル大学で見た
学生デモに恐れを抱き、それを学問に対する妨害であるととった。エリート大学で少数の
優秀な生徒が、プラトンやアリストテレスを学び、窓の外の人種差別反対集会やベトナム
反戦デモの雑音に気を散らさないように黙想に耽ける、というのがブルームの考える教育
なのである。
彼の本を読みながら、私はアトランタの黒人の大学で教えていた時に、生徒が人種差別
反対の抗議のために授業を抜けることに同僚達が反対した時のことを思い出した。彼らは
生徒が教育をおろそかにしているといったが、実際には、1年間教室に通っても得られな
いほど多くのことを、数週間の社会的な闘争への参加で学んでいたのである。教育をなん
と狭義に理解しているのだろう。西欧文明を人類の功績の最高峰と主張する歴史の見方と
完璧に一致する。西欧文明が人類進歩の頂点であるならば、米国はその文明の中でも最高
であるという考え方である。ここで再びブルームの引用である。「世界史の中で今は米国
の時代である。米国が伝えるのはただ一つ、自由と平等の発展は誰にも止められない。
最初の移民から政体の樹立以来、自由と平等が米国民にとって正義であったということに
疑いはなかった」。黒人、先住民、ホームレス、健康保険がない人々、米国の外交政策の
犠牲者にこれと同じことがいえるだろうか。
歴史を批判的に見るよう勧める我々は、弁論の自由をないがしろにしていると非難され
ることが多い。しかし、考えの幅を広げようとせず、また新しい本やアプローチ、情報、
そして歴史の新しい見方を取り入れようとしないのは、従来の物語や歴史を擁護する側で
ある。
「自由市場」を信じるとするならば、なぜ財貨とサービスの自由市場以上に思想の自由市
場を信じることができないのか。物質的なものと思想の両面において、常に権力と富を握
る人が独占できる市場を望み、新しい思想が市場に入ることで我々がこれまで500年間苦
しめられ、暴力や戦争につながった社会体制に疑問を持ち始めないかと心配しているので
ある。
社会を考え直すに当たって、我々は過去だけでなく現在をも見つめ、そして、文明化の恩
恵を受けられない人々の視点からそれを捉えようとしている。世界を違った視点から捉え
ることは、単純であるが、極めて重要なことである。21世紀を今までとは違った世紀にし
たいのならば、また米国や西欧の世紀、白人や男性の世紀ではなく、人間の世紀にしたい
のであればこれを実行しなければならない。
マスメディアの嘘と詭弁
新聞報道は詭弁や欺瞞、そして真っ赤な嘘であふれている。それは政府自民党が自民党
の支援者や富裕者の税金を減税するために権力を振りかざし、国民を騙して残りの大部分
の国民に増税を受け入れさせるためである。読売新聞は提言として次のように書いている。
「所得税と住民税の最高税率は65%であるが、これは他の先進国、例えば米国の46.45%
およびイギリスの40%よりもかなり高い。多くの場合、このことは日本では、一生懸命働
けば働くほど、税負担が高くなることを意味する。これによって勤労意欲を削ぐことにも
なり得る。そこで、日本の累進課税をなるべく早くグローバル・スタンダードに近づける
べきだとされるのである」
これは真っ赤な嘘である。、最高税率65%が適用されるのは年収3,000万円以上、給与所
得者のわずか0.1%の国民に過ぎない。またこの指摘は控除額を意図的に無視しており、
これを考慮すれば実際に税率が65%になるのは年収9億円以上の納税者だけである。年収
3,000万円の納税者を例にとれば、昨年支払った所得税・住民税の合計は平均で34%である。
これは米国で同額の年収を得る納税者が支払う所得税・住民税の割合とほぼ同等、イギリ
スやドイツと比べると日本の方が低いのである。さらに、年収“9億円”から税引き後の
手取りが35%にしかならないからといって、あるいは年収3,000万円を得る納税者が34%を
所得税・住民税で取られるからといって勤労意欲が失われるであろうか。日本が高度経済
成長を遂げた時代の所得税率は今よりもずっと高かったが、それが勤労意欲の妨げになる
ことは決してなかった。教育、福祉や社会施設の整備拡充のために税金が使われることを
考えれば、社会の公器である新聞は「納税は国民の責務だ」と説くべきではないだろうか。
さらに、年収3,000万円以上の0.1%の納税者こそ、経費や架空の会社を利用して様々な
節税対策を行い、高級車やお抱え運転手、ゴルフの会員権やヨット、別荘など、贅の限り
を尽している人たちであり、実際の税負担率はずっと低くなっているはずである。
読売新聞の論説には嘘だけではなく詭弁も含まれている。外国人投資家を引き付け、ま
た日本企業に海外移転を思いとどまらせ国内生産を奨励するためには、法人税を引き下げ
るべきだという主張である。読売新聞はこうした詭弁をよく使い、例えば、6月4日付けの
『あすでは遅すぎる・税制改革への提言(8)首相が具体案を示せ』では、次のように述べ
ている。
「経済がグローバル化し、企業や個人が国を選ぶ時代を迎えている。税制が歪んだまま
では国家間競争を生き抜けない」