報徳会宇都宮病院って今でも患者を殺してるの?

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1栃木市民
今だに殺人事件当時の院長である石川文之進が院長をやってて、被害者やその遺族の名誉棄損しながら
殺人事件の隠蔽や言い訳をしまくってるみたいだけど。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~ishikawab/uh_jiken.htm

そして今だに東大病院と癒着して患者を殺して脳を提供してるの?
http://www.kaihou-sekisaisya.jp/1019/1019_6kiji_base.html

院長の代理人がホームページの中で「家庭的な病院」とか書いてるけど「家庭的」というキーワードは
ブラック企業の宣伝文句の中で最も得意とする宣伝文句だし
実際は殺人事件発生当時とまったく変わってないの?
http://hotokukai.or.jp/int.html


現在の報徳会宇都宮病院がどんな様子なのか、教えて頂けたらとても嬉しいです。
御存知の方、教えて下さい。
よろしくお願いします。
2卵の名無しさん:2014/03/21(金) 02:16:45.47 ID:SFJBpa+P0
('仄')パイパイ
3卵の名無しさん:2014/03/22(土) 02:10:24.46 ID:wARQZr+S0
ライシャワー大使事件のあと、日本の精神医療の状況は悪化の一途を辿った。

ところで、これに歯止めをかけ、「開かれた精神医療」に向かってその流れを変えようとする動きは日本には起こらなかったのか?
その動きを中心に、現在に至るまでの流れを以下に述べよう。

1960年代は反体制の学生運動が世界各地で激しい高まりを見せた時代であった。
日本でも然りで、そのうねりから若い精神科医らが精神医療界で立ち上がる。

1969年の金沢で開かれた「日本精神神経学会」では、不祥事件が続発する精神病院と
それと癒着する大学講座制など、精神医療の抱えるありとあらゆる問題が俎上にあげられ、批判が一挙に噴出した。

常ならば“学問のおごそかな発表の場”であった学会は大荒れとなり、会場は罵声と怒号とがとびかう場と化した。
これが改革運動の発端である。
この「金沢学会」以降、「病院精神医学会」「地域精神医学会」「臨床心理学会」「作業療法士学会」等々、
精神医療にかかわるあらゆる団体が揺れに揺れる。
どこも“糾弾学会”だ。
潰れた学会もあれば、分裂してしまった学会もあった。
4卵の名無しさん:2014/03/22(土) 02:16:08.27 ID:wARQZr+S0
一方、全国各地に精神医療の現場を改革するための集会が発生する。
“精神医療を良くする会”、“精神医療を考える会”の類いである。
これらの会に地域の改革志向者らが集って論議し、それを現場に持ち帰って病院を変えようとした。

しかし、骨の髄まで管理・収容に徹した精神病院の壁は厚かったし、
ひと握りの者がどうあがいてもその壁はピクリともするものではなかった。
まして、改革者の一人とていない精神病院が殆どだったから、日本全体はまったく変わらなかった。

改革勢力は、声の割には多数を巻きこめなかったし、実践の場も拡げられない。
挙げ句、分派闘争まで巻き起こる始末で、無駄なエネルギーが費やされ彼らはやがて消耗していった。
国は、“触れぬ神に祟りなし”と、これらの運動にそっぽを向いていた。
いっとき激しく燃え上がった炎は次第に下火となる。
5卵の名無しさん:2014/03/22(土) 02:18:43.84 ID:wARQZr+S0
精神病院のなかには、精神病院の開放・自由化に向けて熱心に取り組んだ病院もいくつかあった。
しかしそれらはあくまでも点に止まり、面として他の精神病院に拡がってはいかなかった。
医療経済の仕組みが大きな障壁となったからだ。
病院の開放・自由化や、地域化は労多くして報われること少なく、
それを推進しようとすればするほど経済的には病院マイナスとなる。
損にしかならない活動が拡がる筈がなかった。
そういう活動をする医療者がいると精神病院はクビを切った。

精神病院は批判にも馬耳東風で旧態依然だ。そんな病院に絶望して、入院阻止の防波堤たらんと精神科診療所や地域ケア施設を作って町に出る医療者もいた。

しかしこれらも孤軍奮闘となった。その仕事は経済的にも苦しく、“志と熱意”でしかやれない仕事だったからだ。
6卵の名無しさん:2014/03/22(土) 02:20:27.90 ID:wARQZr+S0
一方、精神病者も“病者の会”を結成し、彼ら自身が各種の学会へ顔を出して、精神病院のひどさを訴え、厳しい糾弾の声をあげた。
しかし、彼らの声に耳を傾ける精神病院など殆どなかったし、国も聴こうとはしなかった。

日本の精神医療改革の運動は、こうして、みんな疲れ果てていった。
それは先も見えず、あまりにも実りない果てしない闘いだったからだ。

これらの運動で特筆さるべきは病者の家族たちの運動である。

彼らは、1965年秋、「全国精神障害者家族会連合会」通称「全家連」を結成する。
「全家連」は、「精神障害者福祉法制定」に向けて、また「地域共同作業所作り」に向けて、
驚嘆に値する粘り強さをもって全国各地に運動を展開していった。

この家族会の活動が日本の精神医療を変える大きな原動力となるのだが、これについては後で詳しく述べる。

ともあれ、このような改革運動にもかかわらず、日本の腐敗した精神医療体制は少しも変わることなくそのまま続いた。
7卵の名無しさん:2014/03/22(土) 02:24:58.86 ID:wARQZr+S0
その腐敗の果て、「金沢学会」から数えて15年後の1984年に、「報徳会・宇都宮病院事件」が起こる。

皮肉にも、悪徳の極みとも言うべきこの宇都宮病院が、日本の精神医療を良い方向へと変える口火になった。
この事件によって、日本の精神病院の無惨な実体が白日のもとに曝され、内外の目が精神病院に集まることになったからである。

1984年、「宇都宮病院」で一人の患者が文字通り撲殺された。
そのいきさつはこうである。

食事に手をつけない患者がいた。「なんで食わねえんだヨッ」。
そう怒鳴りつける看護士に「その患者はまずいから」と答えた。
「生意気だッこの野郎!」。四人の看護士が彼を看護室へ引きずり込んでいきなり鉄パイプで撲りはじめた。

彼は食堂へ逃げたが、看護士たちは追いかけて行って撲り続ける。
床に倒れた彼を机の上から何度も飛び降りて踏みつけた。
「助けてくれぇッ」と彼は叫んだが、まわりにいた他の患者たちは黙って目を伏せていた。
「見るなッ」と看護士が怒鳴ったからだ。

ぐったりして食堂に置き去りにされた彼を部屋へ運んだのは患者達だった。
まもなく彼は息を引き取った。

病院は彼の死について、「てんかん発作による心臓死」「額の傷は発作でドアにぶっかった時のもの」と説明した。
しかし、ことの真相がやがてマスメディアの知るところとなった。
8卵の名無しさん:2014/03/22(土) 06:08:27.18 ID:wARQZr+S0
新聞・テレビが一斉に宇都宮病院の実体を連日あばき立てた。
精神病院の悲惨な患者の姿がそれによって浮き彫りになる。

院長、石川文之進。
彼は自分の病院を千床の大病院とする目標を立て、役所の手を借りて誰彼なしに入院患者をかき集めた。

スタッフ不足は患者を入院のままで“看護助手”に任命して使った。
病室では、元ヤクザの患者を“牢名主”として任命し、その子分も配置して完璧な暴力支配体制を敷いた。

少しでも不満を洩らす者は、「ガッチャン部屋」と呼ばれる“保護室”に入れられた。
そこで撲る、蹴るの暴行を加えた。
「助けてくれぇ」「殺さないでくれぇ」という叫び声が、そこからはいつも洩れてきたという。

院長は、ゴルフのアイアンをいつも“回診”時に持ち歩き、それで患者を突いたり、こづいたりした。
それは、“院長の十手”と呼ばれた。
「おめえは、まだ処女か?ウヒヒッ」とあざ笑った。
「ギャンギャンやられたか?こりたか?ここは関東医療刑務所だぞ、ウヒヒッ」

彼は、ただ同然で患者に過酷な使役を課した。
院長宅の広大な庭の造成をさせたり、一族の経営する会社の零下40度の冷凍庫で身を凍らせて働かせた。
「死ぬ思いだった」と元患者はいう。

入院と決まると、院長は「お前は3年」と入院期間を患者に宣言する。
抗弁すると「5年」になるから黙って従うしかなかった。

「退院させてください」といったばかりにめった打ちにされ半殺しの目に合わされた患者もいる。
ウソのようなホントの話だ。
9卵の名無しさん:2014/03/22(土) 06:11:25.67 ID:wARQZr+S0
宇都宮病院の話は書いていたらきりがない。

ここは、看板だけは立派だった。
有名大学の教授がずらりと顧問に名を連ね、その人達の名が薬袋にまで印刷されていた。
これを見たら誰もが「ここは信頼できる病院だ」と思ったに違いない。
玄関口だけならそうだろう。

ともあれ、この「宇都宮病院事件」は国の内外に大きな反響を呼び起こした。

「日本の精神病院は程度の差こそあれ体質はみな同じだ」
「いやそんなことはない」
「いや同じだ」。
そんな自己弁護や自己批判の声が精神医療界に交錯する。
10卵の名無しさん:2014/03/22(土) 06:13:44.47 ID:wARQZr+S0
国連もこの事件に注目した。

事件の2カ月後、国連法律家委員会は日本の首相に、「早急に精神病院調査委員会を設置されたし」と要請する。
翌85年には、国連人権小委員会が日本に調査団を送ってきた。
その調査結果は「勧告文」として日本政府に突きつけられた。

曰く、「日本では患者の人権保護が法的に十分為されていない。
入院中心の医療が主流を占めていて、入院者数が極めて多い。
しかもその3分の2が鍵の中に置かれている。
入院者の大部分は長期入院者であり、平均在院日数が異常に長い。
しかもその人達への社会復帰活動は不活発である。
地域医療体制は整備されておらず、そのためのスタッフや施設も極めて乏しい」云々。

この「勧告文」の内容は、1967年、世界保健機構(WHO)の顧問クラークが、
日本の精神医療状況を視察した時に書いた「報告書」の内容を複写したように、そっくり同じである。

そのクラークは10年後も再来日し、「日本の状況はまったく変わっていない」と驚きの声を発し、
病床数がさらに増えたことを嘆いた。
つまり、67年のクラーク報告書から85年の国連勧告文までの17年間というもの、
日本は少しも変わらなかった、国も何もしなかった。
そういうことなのであった。
11卵の名無しさん:2014/03/22(土) 06:17:02.08 ID:wARQZr+S0
だがここに至って、日本も知らんふりはできなくなった。

政府は、その後の国連の席上で「精神病者の人権を守るために、精神衛生法の改正に着手する。」旨の言明を行った。

これを起点として、日本の精神医療界は沸騰する。
精神病院協会、全家連、精神病者の会等々、右も左も、精神医療にかかわるあらゆる団体がそれぞれの立場から改正点を強く主張した。
こうせよ、ああせよと互いに譲らない。
その故か、出来上った“政府案”は妥協の産物となり中途半端で不徹底なものとなった。
それでまたもめた。

政府最終案は1987年9月の国会で通過成立した。
これが「精神保健法」である。

この法には、各界の意見を纏めきれなかったことを象徴するかの如く、
「5年後に見直し」という条項が末文に附帯された。

宇都宮病院事件から3年後のことであった。

さて、この「精神保健法」である。

この法、旧法の「精神衛生法」の残滓も色濃く残り「抜本改正」と呼べるような代物では到底なかったが、
ともかくもそれは、“病院中心から地域中心へと医療を移行させていく方向”がともかくもそれは示されていて、
国の転回をわずかに予感させるものがあった。

この法には、「通所授産施設や福祉ホームや援護寮などの地域ケア施設を、市町村・社会福祉法人・医療法人が設立することが出来る」と記されていた。
市町村に“設置義務”が附されるようだったらなお良かったが、これでこれら地域ケア施設が従来少し作り易くなった。

この法律は入院者の人権を守る条項も不十分だが設けられた。
例えば「通信・信書の自由」の保証。
この条項は精神病院の密室に風穴をあけるという点で重要であり、
これによって今後は患者への暴行や虐待に歯止めがかかるであろうことが期待された。
12卵の名無しさん:2014/03/22(土) 19:37:33.67 ID:69px4Vxq0
どこの病院でもやってるでしょ、殺人。
13卵の名無しさん:2014/03/23(日) 01:15:57.29 ID:/ieyZ21E0
「精神保健法」では旧法にはなかった「任意入院制」という言葉が登場した。
これは患者自らの意志で入院をし、退院も本人の希望で出来るという入院形式のことである。

「出来るだけ本人の同意に基づいた入院を」と新法はこの制度の活用を奨励した。
当たり前のことなのだが、これまでの法には「任意」という考え方のかけらすらなかったのである。

「任意入院制度」の新設は、精神科医をしてインフォームド・コンセントを得るための努力をさせるに役立った。

一方、残念なことに、“強制収容制度”の根幹であった旧法の「同意入院」制度が、「医療保護入院」と名前だけを変えて実質上そのまま残された。

精神病院は、過去、この制度を楯にとって患者からの退院要求を思いのままに退けてきた。
だからこの制度は、百歩譲って残すとしても、従来一層厳格なチェック条項をつけ加えるべきであった。
だが、新法も抜け穴だらけで、これでは精神病院側の恣意がいままで通りまかり通ってしまうことになる。
つまり、新法も精神病院の“囲いこみ”を法的にそのまま容認したのであった。

その結果、いま自由意志で入院する任意入院者の総数は全入院者の5割強にしかすぎない。
おまけに当の任意入院者の半数近くが、いまだに閉鎖病棟の鉄格子の中に置かれているという体たらくである。

自由意志で入院しているのに何故、鉄格子なのか? 
国は何故そのことを容認している。
これでは、「人権」の名が泣こう。
14卵の名無しさん:2014/03/23(日) 15:23:04.70 ID:GGNlQcaa0
厚生労働省の有識者検討チームは14日、精神障害者の強制入院制度の見直し案をまとめた。
家族と患者の関係悪化などを防ぐため、強制入院への「保護者」の同意を不必要とし、
医師の診察だけで入院させられるようにする。家族の負担軽減が狙いだ。
今後、現行法の改正や新法制定を検討し、来年の通常国会への提出を目指す。

 現行制度では、症状の自覚のない精神障害者を強制的に入院させるには、
必要な医療を受けさせたり、財産を守ったりする保護者の同意と、
精神保健指定医の診察が必要。ただ、ほとんどの場合、保護者は家族が務めるが、
「入院に同意したことで患者との関係が悪化する」などの問題点があり、改善が求められていた。 

時事通信 6月14日(木)21時38分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120614-00000159-jij-pol

http://unkar.org/r/newsplus/1339680364/
15卵の名無しさん:2014/03/23(日) 16:22:21.81 ID:y4xSHmh+0
暴力ふるわなくても薬漬けにして実質的に認知症患者を殺している精神病院はまだまだあるのか?
いや、どこもそうか? 病院名出して教えてくれ。
また、東大の精神科についてもいろいろ教えてくれ。
16東大の精神科についてもいろいろ教えてくれ:2014/03/23(日) 16:23:13.22 ID:y4xSHmh+0
暴力ふるわなくても薬漬けにして実質的に認知症患者を殺している精神病院はまだまだあるのか?
いや、どこもそうか? 病院名出して教えてくれ。

また、東大の精神科についてもいろいろ教えてくれ
17卵の名無しさん:2014/03/25(火) 11:11:39.68 ID:+dfaFqTN0
あれやこれや、見方の角度で「精神保健法」の評価は異なってしまうのだが、
いずれにせよ、この新法の成立が従来型の精神医療制度を変えていく第一歩だったことは間違いない。

「精神保健法」は、「再び見直しをする」附帯条項に従い、1995年に新たな装いをこらし、
さらに前進した内容を加えて生まれ変わった。
即ち、「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」、略称「精神保健福祉法」である。

この法には、精神障害者の自立や社会参加への援助などが更にはっきりと明文化され、
それに対して市町村自治体が果たすべき役割まで明記された。

この「精神保健福祉法」は、福祉の視点が法体系のなかに初めて組み入れられたという点で特に重要であり、
まさに「画期的」なものであった。

一体、どんな経緯と背景から、“精神病者に関する法律”の中に「福祉」なる文字が記されるに至ったか?
私見だが以下にその経緯を述べる。
18卵の名無しさん:2014/03/25(火) 11:16:59.90 ID:+dfaFqTN0
日本が精神病院一辺倒だった時代、国も精神医療者も、「精神病者のことは医学領域のことであって福祉の分野ではない」と考えていた。
それ故に精神病院は病院という枠内で“医療行為”をやっているだけであったし、
国は知的障害者や身体障害者の福祉には目を向けても精神障害者だけは除け者で、
彼らに福祉の光を当てようとはしなかった。

そんな状況の中で、「精神障害者に福祉を」という声を発したのは「全家連」、即ち患者の家族達であった。
全家連は、「精神障害者福祉法の制定」を早くからスローガンに掲げ、その実現に向けて動いた。
そのために、「日本の精神障害者と家族の実態白書」を公表したり、50万人国会請願署名運動を展開したりする。

しかし、“精神病は医療であり福祉でない”式の考え方から、殆どの精神医療者はこの運動にそっぽをむいていた。国もこの家族会の声を無視した。
だから、この運動は長いこと実を結ばなかった。

「福祉法」が制定されるようになるには、国がその考え方を変え、「医療も大事だが福祉も大事」「精神医療は医療と福祉が車の両輪」、
そう考えるに至るまで待つしかなかったし、またそうなるには長い時間がかかった。

ずっと後になって国や精神医療者は考えを変える。

考えを変えさせたのは、全家連が全国各地に展開した「精神障害者共同作業所作り」の運動である。
国を動かしたのは、彼らの“政治活動”ではなく、たゆむことなく続けられた“地域実践活動”であった。

全家連の「共同作業所作りの運動」は、日本精神医療改革運動のなかでもっとも高い評価を与えられるべきであると考える。
何故かを以下に述べよう。
19卵の名無しさん:2014/03/25(火) 11:22:09.19 ID:+dfaFqTN0
70年代も初めの頃、いくつかの家族会が自分たちの住む町で“精神障害者共同作業所”を作り始める。

「いつまでも鉄格子の中へ子供を置きたくない。病院は当てに出来ない。それなら自分たちが力を合わせて子供達を町で支えてみようではないか」。
そんな思いが彼らの設立の動機であった。

彼らは町なかに小さな家や古倉庫を借り、そこで数人の患者とともに箱詰めなどの手作業を始めた。
無論、それは行政の援助もない貧しいなかの手弁当で、加うるに地域の人の冷たい目もあったから、大変な忍耐と根気のいる仕事であった。

ところが、始めてみると子供達が安定した。
彼らは働くことに誇りと生き甲斐を見いだしたし、そこで仲間を得て互いに支え合った。
彼らの表情に生気が蘇り、驚いたことに、途端に彼らの再発が少なくなり再入院もしなくなった。

成果は歴然であり、この成果は家族会から家族会へと伝えられた。
「それなら私たちのところでも」。
こうしてこの共同作業所作りは、全家連の全国的運動となって各地に拡がっていった。

数字で示そう。
1975年にはたったの4カ所に過ぎなかった作業所が、80年に31カ所、85年に185カ所、90年に430カ所、95年に950カ所となり、そして現在は1400カ所を超える。

この数字を見ると、家族の血の滲むような努力と子供達をなんとか地域で支えたいという熱い思いが、こちらにじんと伝わってくる。
同時に、この運動を尻目に見ていた精神病院の自堕落さ加減も目に見える。

「家族がひき取らないしね。患者は病院に置く方が幸せなんだよ」。
したり顔でそんな言葉を平然と口にする精神病院経営者が今もなお結構いるのである。

全家連のこの「共同作業所運動」をこう評価したい。

その運動は、単に精神病者を地域で支えたというだけのことではなかった。
それは、「精神病者はかく見なければならない」という新しい視点を、国や精神医療者に与えたことに大きな意味があった。
20卵の名無しさん:2014/03/25(火) 11:24:11.23 ID:+dfaFqTN0
共同作業所での彼らは、“病者”ではなく“生活者”として登場した。
その姿は精神病院での彼らの姿とまったく違っていた。
その明らかな違いが国や精神医療者の眼を開かせたのである。

「精神病者を見るに、その病的状態に視点を当てて治療するだけではだめだ」
「“人間”としての患者に焦点を当て、“生活者”としての視点から彼らを見なければならない」。

一言で言えば、この運動は、「医療モデル」から、「社会モデル」へ病者の見方を移す運動だったのである。

ここに至って初めて国は、「医療と福祉」の両面から精神医療行政の見直しを図るようになった。
「精神保健法」を「精神保健福祉法」に変えたこと、これも国が態度を変えた証である。

蒸し返しとなるが、ここに至る道程はそう簡単なものではなかった。
家族会とその支援者の孤独で長い闘いがあった。

はじめ、こうした彼らの姿に地方自治体が応えてくれた。
この一部の自治体の動きに促されやっと国も重い腰を上げる。

国は84年度国会予算に「小規模作業所運営助成金」を初めて組み込んだ。
その額ははじめほんの申し訳程度のものだったが、「精神病院に福祉的施策が必要」と国が認めたという点でそれは、画期的な出来事であった。

以後、国は助成金額を少しずつ増額していく。
また、もっと幅広く大規模授産施設や福祉ホームや授護寮や福祉工場などの福祉施設に対しても設立援助や運営援助の予算措置をとるようになる。
そのうち、6人単位の小規模グループホームにまで助成金を出すようになって、「国も変わったなァ」と、こちらがびっくりするまでになった。

ただし、これは地域ケア施設までのことであって、この時期、国はまだ精神病院そのものの“聖域”に手をつけるまでは踏み込んでいない。

国が“聖域”だった精神病院改編に手をつけ、「入院中心主義」から「地域中心主義」に向かって、単なる謳い文句ではなく、
現実的な具体的政策を打ち出し始めたのは今から9年くらい前からのことである。
21卵の名無しさん:2014/03/25(火) 11:35:59.20 ID:+dfaFqTN0
その第一弾として、保険財政面から国はその施策を打ち出した。財政政策で地域中心の方向へ精神病院を誘導しようというわけだ。

例えば、患者を地域で支えるための訪問看護やデイ・ナイトケアの保険単価を思い切って大幅にアップした。それは、地域に出した長期在院者をそこでケアすれば、退院による入院料の減少分をそこそこ補填できるほどの気前よい引き上げであった。

この処置のおかげで、入院者の「地域化」を志向する病院が財政の面で助けられ格段と動き易くなった。昔では考えられなかったことである。

また、国は97年に「急性期治療病棟制度」を新設した。
急性期治療病棟とは、入院者を3ヶ月以内に退院させることを前提としており、
濃密なスタッフ配置を前提にかなり高額な医療費を支払うというものである。

この制度は、最先端に立つ高度地域拠点精神病院を育成し、在来型病院の長期在院者の再生産にストップをかける、そんな意図をもっていた。
たしかにこの制度は精神病院の淘汰・再編につながる。
なんと言っても精神病院再編には経済政策を使っての誘導がいちばん効果的だ。

これら一連の国の施策の中で最も注目すべきは、96年に登場し、2000年に「福祉法」で法制化された「精神障害者生活支援センター制度」だろう、
「生活支援センター」とは、精神病者の職能訓練や就労援助や住居斡旋など、生活に関するあらゆる支援を行う施設である。

これが、地域の中心機関となり、病院・共同作業所・共同住居・地域企業などを結合させる役割を果たせば、優れた精神医療の地域ネットワークが出来上るに違いない。
「開かれた精神医療」構築の鍵は、まさにこの「地域生活支援センター」の活動如何にかかっているように思える。

2001年までにこのセンターを国は650カ所設立する目標を立てたが、実際は250カ所しか達成できなかった。
目下の焦眉の急の課題は、「国が惜しみなく資金を投じ」、全国各地に生活支援センターが網の目の如くはりめぐらされる状況を早急に作りあげることである。
22卵の名無しさん:2014/03/25(火) 11:39:38.60 ID:+dfaFqTN0
ところが現実の実情はどうか? 
いま、どこの生活支援センターも経済的苦境にあえいでいる。
小泉政権の「障害者自立支援法」という悪法のせいだ。
国は、「惜しみなく資金を投じる」どころ、ではなかった。

「障害者自立支援法」のねらいは、障害者の支援受給を「応能負担」から「応益負担」に変えることにあった。

この法によって、今まで無料で支援を受けていた多くの障害者が1割の自己負担金を支払うこととなり、
ために彼らは受給を手控えざるを得なくなった。
利用率が減少に転じた。
支援組織の収入も出来高払い制に変えられたから、利用の減少は収入の減少となりその結果補助金減少となって支援組織の経済基盤を揺るがせた。
この法律は今度の政権交代で廃案にする方向が決まったが当然である。

弱者とそれを援ける組織を困らせるような国家は福祉国家の名に値しない。

以上、精神保健福祉法の成立以来、ジグザグではあっても客観的に見れば国の手で精神医療体制の改編が少しずつ進んでいることも事実だ。
在来の体制がわずかだが揺れ動き始めている。

だが、過去に作ってしまった負の遺産はあまりにも重い。
それを突破できるかどうか?
超えなくてはならない障壁は高い。

最も困難な障壁は、日本の精神病院の8割以上が「私立精神病院」であるという点だ。
23卵の名無しさん:2014/03/25(火) 11:41:31.63 ID:+dfaFqTN0
かつて国は、増やせ増やせでやたら私立の精神病院を作らせた。
それを今更、減らせ減らせと面と向かってはなかなか言えない。
一方、私立病院の大半は「地域中心へ」の国のかけ声に知らぬ顔の半兵衛で一向に腰を上げようとはしない。
現在のままでいる方が、経済的に安泰でしかも楽だからだ。

欧米に較べて日本の改革が格段に難しい要因がここにある。
欧米の精神病院の大半は「公立」だから、ひとたび国が改革・縮小の方針を打ち出せば、
直ちにその方向に向かって精神病院を動かすことができた。
日本ではそうはいかない。
命令一下で「ハイ」と言って「私立」の病院がわれとわれが身をすすんで削るはずがない。

いま、日本の精神病床の数は34万余床、これは欧米諸国に較べて異常に多く、それが国際非難の的となっている。

何故、病床数が多いか?  病状が安定しても地域に生活手段がないため長期に入院を余儀なくされている人、所謂「社会的入院者」があまりに多いからだ。
国は“社会的入院者7万”と言っているが、実際は20万人くらい居る。

国は、これらの人を地域で生活させることにあまり熱心ではない。
以下に述べる国の施策がそのことを物語っている。

国は「急性期治療病棟制度」を新設する一方「長期療養型病棟制度」というものを導入した。
本来なら地域で暮させるべき長期在院者を、せめて「療養型の居心地よい病棟空間」で暮らさせようというわけである。

長期療養型病棟は定額制だがそこそこの収入にはなる。
精神病院はこの制度を大歓迎だ。
だから「療養型病棟」が、旧態依然の「客の出ていかない慢性宿」となる可能性は大である。
国もそのことを十分に承知していながらこの制度を設けた。
24卵の名無しさん:2014/03/25(火) 11:44:40.09 ID:+dfaFqTN0
してみると、きつい見方をするなら、国は「急性」と「慢性」とに精神病棟を再編することで、長期入院者の地域化には目をつぶったのである。
彼らが老いれば「長期」は自然消滅となる。
それまで待とうというわけだ。

換言すれば、国は「社会的入院者」を「長期療養棟」に見捨てた。
その証拠は、「障害者自立支援法」の条文を見れば明らかだ。
そこには「精神病棟を“退院支援施設”に転用することを認める」とある。
「病棟」を「施設」という名に変えたところで何が変わろう? 
数の上だけで病床数が減るだけのことで、実質は何も変わらない。
こんな姑息な手段を用いて国の体面を保とうとする国家は恥知らずだと言うべきであろう。

国が「社会的入院者」を地域に出せないというのであれば、せめて「これだけは」ということがある。
「社会的入院者」をこれまでのように再生産しないこと。
その体制はなんとしても整えなければならない。
その方向は少しだが見えている。

前述の「急性期治療病棟制度」の導入がそれだ。
また、精神科診療所優遇策もそのひとつと言える。
付属デイケアをもつ診療所の経済はゆとりがあり、病院の仕事特有の“しんどさ”も少ない。
その故か、最近の精神科診療所の急増ぶりは驚くばかりだ。
全国軒並みなのである。
これが、結果として精神病院入院の防波堤となることは明らかだ。

加うるに、前述の各種地域ケア施設の育成も近年強化され、施設数も各地でかなり増加してきた。
近頃よく言われる“精神分裂病の軽症化傾向”や、再発防止に効果著しいデポ剤等の薬剤開発もその方向を助けることになる。
25卵の名無しさん:2014/03/25(火) 18:11:55.07 ID:+dfaFqTN0
長期在院者再生産をストップする条件は徐々にだが、整いつつある。

これら諸々の事柄がひとつになって、時間はかかっても日本は、「開かれた精神医療」への道を牛歩の如く歩んでいくことになる。
まことにまどろっこしい歩みなのだが、日本の現実を見据えるとそういうことになるだろう。

もうひとつ、重大かつ重要な法律のことを述べておかなくてはならない。

“池田小事件”をきっかけに、2003年、一気に成立した
「心神喪失の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察に関する法律」、
略称「医療観察法」についてである。

これは長い間賛否両論、喧喧諤々で議論が交わされてきた。
“保安処方”、即ち“司法医療制度”と同じものだ。
池田小事件の衝撃が大きかったので、この法律は充分な意見も盡されないままに数々の問題点を残して一気に成立してしまった。

その詳細については省くが、これには「5年後に見直し」という附帯条項もついている。
その間の施行実績を検証し、5年後に問題となる点の議論が盡されることを期待するしかない。
それには、裁判官や、精神科医や弁護士やその他すべての人がこの法の施行結果を注意深く見守って、
問題点をはっきりさせていくことが必要である。

例えば、前述の「任意入院者」の半数近くが閉鎖病棟に入れられているという問題もある。
精神病院の情報公開も未だしだ。
「障害者が地域で暮らす権利」に至っては夢のまた夢遥か道遠しである。

近年、福岡や長野などで弁護士会による“精神障害者相談窓口”が常設で設けられているというが、
こういうものが全国すべての都道府県に設置されるようになれば、状況も随分と変わっていくものと思われる。
26卵の名無しさん:2014/03/25(火) 18:13:00.71 ID:+dfaFqTN0
日本で「ジョンソン判決」までは期待するまい。
でもせめて、「社会的入院者が地域で暮らす権利」を楯に「彼らの地域住居を準備せよ」と提訴するくらいのことはできないものであろうか? 
憲法によれば、日本国民は健康にして文化的な生活をする権利があるのではなかったか。

最期に、精神病者の権利について言えば、かつての精神病院に較べるなら今の病院は隔世の感がある。
“近代化助成”で建物も立派になったし、暴力沙汰も聞かなくなった。
但しこれは、昔があまりに酷過ぎただけの話で今で充分というわけにはいかない。
27卵の名無しさん:2014/03/25(火) 18:15:37.62 ID:+dfaFqTN0
以上、日本と欧米の精神医療史の一端を書いた。

欧米でのことを書きながら思ったことがある。
「精神病者収容」と「植民地支配」は、また、「精神病者解放」と「植民地放棄」はともに時代が重っている。
他国を犠牲にして己の利を貪る国は、自国の弱者をも犠牲にして省みない。
そういう土壌には「共生の理念」など生まれるべくもないし育ちもしないのである。

また、日本のことを書きながらこんなことを思った。
日本の精神医療の辿る道は行途険しく、あれかこれかと過去と未来の狭間で揺れている。
果して日本はあるべき精神医療の未来に向かって、その改革を加速することができるのであろうか?
それは、いつに国家がどれくらい本気になるか、本気になってそのための資金と人材を惜しみなく投ずるか否かにかかっている。

また、国家をしてその気にさせるためには、いかに多くの人が精神医療に関心を持ち、問題の本質を理解して、精神病者の支援に立ち向かうか否かにかかるだろう。

「バザーリア」の忘れてはいけないのは非凡持たざる者もたくさんの人がひとつに結集して粘り強く努力すれば、国をも社会をも動かし得るのだということであろう。


■参考文献
森島垣雄「魔女狩り」岩波新書1970年。
ギー・テスタス、ジャン・テスタ(安斎和雄訳)「異端審問」白水社1974年
ミシェル・フーコー(田村俶訳)「狂気の歴史」新潮社1975年。
武田徹『「隔離」という病』講談社1997年。
エリオット・フリードソン(進藤雄三・宝月誠訳)「医療と専門家支配」恒星社厚生閣1992年
ジル・シュミット(半田文穂訳)「自由こそ治療だ」悠久書房1985年。
広田伊蘇夫「精神病院」岩崎学術出版社1981年。
石川信義「心病める人たち」岩波新書1990年。
28東京大学精神科について誰か詳しく教えてくれ:2014/03/25(火) 18:28:19.72 ID:NCPv1Icx0
暴力ふるわなくても薬漬けにして実質的に認知症患者を殺している精神病院はまだまだあるのか?
いや、どこもそうか? 病院名出して教えてくれ。

宇都宮病院と東京大学精神科が関係あったことは当時の新聞報道により明らかになったが、
また、東大の精神科についてもいろいろ教えてくれ。
29卵の名無しさん:2014/03/25(火) 19:06:19.87 ID:+dfaFqTN0
>>28
精神病院の実態を約40年くらい研究し続けているジャーナリストの大熊一夫をご存知ですか?
大熊一夫の著書の最近のヤツやベストセラーとなった過去の作品とかにたくさん書いてあると思うので、
読んでみることをオススメします。
大熊一夫は老人介護施設の実態も本に書いてるので、認知症患者に対する虐待やもしかしたら殺害なども書かれてあるかと思います。
30卵の名無しさん:2014/03/26(水) 00:16:35.62 ID:IUImw5sF0
精神障害者のグループホームとか増えてる気がする
31卵の名無しさん:2014/03/27(木) 11:36:41.56 ID:vDikQopj0
>>29
東京大学精神科はどうですか? おすすめできる医局ですか?
32卵の名無しさん:2014/04/08(火) 22:58:29.19 ID:M2HgCn5F0
ロボトミー
33卵の名無しさん:2014/04/09(水) 20:56:36.00 ID:8rGmCZz00
宇都宮病院検索
34卵の名無しさん:2014/06/28(土) 23:04:28.09 ID:sZiCyhru0
土浦市荒川沖
筑波東病院は悪徳ひどい横山糞院長死ね。
柏市西原初石病院は悪徳ひどい
細谷誠死ね。
35卵の名無しさん:2014/07/16(水) 21:43:40.38 ID:XHvS3Hm60
そのとおりだよ、坊や、安心しておやすみ。
36島本町で凄惨なイジメを受けて廃人になった方へi:2014/09/03(水) 15:35:55.29 ID:XCuz67SA0
>大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。

>島本町って町は暴力とイジメと口裏合わせと口封じと泣き寝入りの町なんだなあ

子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない深い傷になる
暴力とイジメの町に巣食うヤクザ・チンピラ・ゴロツキ・不良・ いじめっ子・殺人鬼・ダニ・
ノミ・シラミなどを監視して非難するのは暮らしやすい町を作るのに必要だ
37卵の名無しさん:2014/09/25(木) 22:12:08.27 ID:JMyB25RW0
未だに看護師の精神障害者いびりはなくなってないよ。

兵庫県の明石病院の看護師は最低だよ。あと作業療法の補助員(無免許)もいきなりキレて女性若年患者に暴行したよ。
明石病院と神戸大学病院はやめた方が良い。神戸大学は研究の為に新薬試すからおかしくなって一生出れない場合があるよ。危険。
38卵の名無しさん:2014/09/25(木) 22:14:52.27 ID:JMyB25RW0
上記の明石病院の看護師の名前は、
平井(男)と看護の白髪まじりの太り気味の初老のばあさんだよ。かんじゃいびりすごいから絶対やめたほうがいいよ。あと病院自体ぼろぼろで真夜中蚊がひどくて
40カ所くらい噛まれたのにベッド交換したりしてくれないし、弁まき散らす老人と一緒の部屋で臭くてねれなかった。
39卵の名無しさん:2014/09/25(木) 22:24:47.87 ID:JMyB25RW0
殺人事件当時の院長である石川文之進が今だに院長やってて、
コイツは自身のホームページで被害者である元患者とその遺族を
名誉毀損しまくりながら殺人事件の言い訳や隠蔽をしまくってるからな。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~ishikawab/uh_jiken.htm
40卵の名無しさん:2014/10/03(金) 08:07:28.57 ID:c9p6UcUrO
神戸市の東、芦屋西宮の知的障害者施設で未成年利用者に性的な行為をして淫行条例で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
差別や虐待は環境を選べない子供には関係ない。

http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&sns=em
41卵の名無しさん:2014/11/02(日) 12:06:37.28 ID:aMeeAGv40
大阪のさわ病院、
2004年、俺はただの過呼吸で強制入院させられた。
救急車で運ばれたけど、病院に着いた頃にはおさまってたから
「もう大丈夫です。帰ります」と言ったら、
「じゃあ、なんで来たんだ。とりあえず一週間入院しろ」と言われて
ガラス張りの保護室に入れられた。
俺を強制入院させた医者はパソコンだけ見てて、振り返りもしなかった。
だから、俺は俺を強制入院させた医者の顔を見てすらいない。
医者も俺の顔を見ていない。親父が迎えに来てくれたから助かった。
お前らも気を付けろよ。
42:2014/11/21(金) 10:24:18.73 ID:p6a4z+y+0
明石病院は最低の医者で行かない方が良い
新薬で薬物過敏症こうぐんで殺すし医者は嘘っぱちだし
みんな明石病院明石こころのホスピタルは行くな
殺されるよ
43:2014/11/21(金) 10:39:47.17 ID:p6a4z+y+0
すずろの医者も信用するな!
濱●●哉は医者の資格無し
44卵の名無しさん:2015/01/15(木) 14:23:14.25 ID:Rq9zp8od0
信書を出す自由が保証されない?
45卵の名無しさん:2015/01/29(木) 10:43:22.06 ID:REWgDQAM0
筑波東病院は悪徳精神病院。初石病院は悪徳精神病院。
46卵の名無しさん:2015/01/29(木) 11:44:26.87 ID:5XnFCoQw0
47卵の名無しさん:2015/01/30(金) 22:27:30.70 ID:vh3TaBTi0
初石病院は悪徳精神病院。筑波東病院は悪徳精神病院。
死亡退院多い、多過ぎる。警察署は、内偵をして下さい。
48卵の名無しさん:2015/02/04(水) 18:28:06.07 ID:9WsTzQw40
精神科で働いてる中年看護師って普通の人じゃないですよね〜
やっぱり精神科がお似合いっていうか、他の科では通用しないというか、大学病院では働けない人達?
一生弱い患者いじめて喜んでんだろうな。 人として終わってる。
49卵の名無しさん
精神科で働いてる中年看護師って普通の人じゃないですよね〜
やっぱり精神科がお似合いっていうか、他の科では通用しないというか、大学病院では働けない人達?
一生弱い患者いじめて喜んでんだろうな。 人として終わってる。