毎日新聞は医師の敵9

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139卵の名無しさん
毎日新聞 2008年11月23日 総合面  時代の風
失言と報道の責任  医師の心折る、誤解と偏見     斎藤環 精神科医

 さきごろの麻生総理の失言が、全国の医師たちの強い反発を呼んでいる。
 全国都道府県知事会議での発言である。医師不足への対応を問われ、麻生氏は「自分で病院を経営しているから言うわけではないが、
医師の確保は大変だ。(医師には)社会的常識がかなり欠落している人が多い」と述べたという(11月20日付毎日新聞)。
 この発言の翌日、日本医師会の唐沢祥人会長は首相官邸を訪れ、「特定の職業を名指しし、根拠なしに差別するもので、
激しい憤りを禁じ得ない」と抗議した。麻生氏は「言葉の使い方が不適切だった」として、くだんの発言を撤回し、謝罪した。
 しかし、ネット上の医師向けの掲示板などをみる限り、医師たちの怒りはとどまるところを知らないようだ。
 とりわけ深刻なのは医療の最前線を賢明に支えてきた医師たちの落胆ぶりである。「総理の発言で心が折れた。
もう現場からは撤退します」といった声が少なくないのだ。私も医師のはしくれとして、彼らの反発にはほぼ完全に同意できる。
 総理のこの発言は、とりわけ産科や救急などの困難な現場で働く医師たちに「立ち去り型サボタージュ」を促し、
「医療崩壊」をいっそう推し進めることになるだろう。「綸言汗の如し」とはよく言ったものだ。一国の宰相が口にしたことは、
流れてしまった汗のように取り返しがつかない。今度ばかりは撤回・謝罪ではすまないだろう。
 総理の失言はタイミング的にも最悪だった。実は、もう一つの失言が、医師たちの激しい怒りを買ったばかりだったのだ。
 11月10日、二階俊博経済産業相は、舛添要一厚生労働相と会談したさい「何よりも医師のモラルの問題だと思いますよ。
忙しいだの、人が足りないだのというのは言い訳に過ぎない」と発言した。この発言に対して日本医師会など多くの医師団体から
批判が相次ぎ、二階氏は発言を撤回、陳謝している(11月13日付共同通信)。
 なぜコレほどまでに医療にまつわる「失言」が続くのだろうか。この文章が新聞に掲載されることを意識しつつ述べるなら、
マスコミの偏向報道が最大の要因である。
140卵の名無しさん:2008/11/23(日) 20:06:46 ID:wZzbx8tY0
>>139続き

 失言に見られる「医師の非常識」「医師のモラル低下」などのイメージは、ほぼ確実にマスコミによる医療バッシングの影響下にある。
彼らが麻生氏や二階氏の発言を批判するとしたら、無定見のそしりはまぬがれないだろう。これらの失言は、マスコミによる
イメージ操作に忠実に従った結果なのだから。
 報道の偏向ぶりはまず言葉にあらわれる。このところ続いた「医療事故」にまつわる言葉をみてみよう。「たらい回し」
「受け入れ拒否」「診療拒否」といった誤った言葉が、いまだに流通していることに驚かされる(正しくは「受け入れ不能」)。
こうした誤用を改めずにいるマスコミは、果たして政治家の失言を嗤(わら)えるだろうか。
 これらの言葉がいかに先入観と偏見に満ちたものであるかは、一線で働く医師に丁寧な取材を繰り返せば容易にわかることだ。
こころみに、医師のブログや掲示板をのぞいてみるだけでもよい。労働基準法など無視が当たり前のような過酷な労働環境で、
献身的に働く無名の医師たちの姿がそこにある。
 精神科医の中井久夫は次のように述べている。
 「日本では有名な人は大したことがない。無名の人が偉いのだ。めだたないところで、勤勉と工夫で日本を支えている無名の人が偉いのだ。
この人たちが心理的に征服された時、太平洋戦争が始まった」
 いまや私たちは、新たに記することになるのだろうか。「この人たちの心が折られた時、医療崩壊が始まった」と。
141卵の名無しさん:2008/11/23(日) 20:07:20 ID:wZzbx8tY0
>>140続き

 医師が守るべき倫理を説いた「ヒポクラテスの誓い」の末尾にはこうある。
 「私がこの誓いを守りつづける限り、私は人生と医療にたずさわる歓びと、すべての人々からの尊敬を、不断に与えられるであろう」と。
 そう、倫理とは決して無償ではない。それは「人生の喜び」と「人々からの尊敬」とひきかえに守られるべきものなのだ。
医師全員に、常人以上の高い「モラル」を求めるのなら、彼らの仕事に一定の敬意を払い、彼らが人生を楽しむことを批判すべきではない。
そのためには、救急搬送システムの構築などよりも、まず医師や医療への誤解と偏見こそが、まっさきに取り除かれなければならない。
 2000年にWHO(世界保健機構)は各国の医療を比較検討し、そこで日本の医療は総合1位と評価された。低いコストで世界一の健康寿命を達成し、
国民が自由に医療機関を選ぶことができ、費用の負担も公平である点などが高く評価されたのである。欧米に比べれば
はるかに低い報酬と比較にならないほど過酷な労働環境で、患者の命を救うことを第一に考えている医師たちによって、この偉業はなしとげられた。
 今、その偉業はゆっくりと、過去のものになろうとしている。それらについて何か思うところがあるならば、声を上げるチャンスは
おそらく「今」しかないはずだ。