>>279続き
ウチの母親は、押し紙をさばく為に東京医大病院に営業に回って
病棟内と医局とかのの戸別配達を近所のよしみで許してもらって、何百部もの新聞を抱えて院内を
配達してた。昔は休刊日なんて正月以外ほとんど無かったから、馬車馬のように働いて、
長年重い新聞の束を抱えていたために今は骨が変形して左足の長さが10センチも違う。
新聞屋を辞める数年前のスポニチの担当者は、そんな母を気遣ってカートを用意してくれたんだが、
毎日は、数十年の間に一切無かった。あまつさえ、押し紙が減ったことを知ると、配送部数を一気に増やし続けてきた。
後日、なぜ押し紙を本社が把握していたのかを知った。毎日の担当者は押し紙を引き取る古紙回収業者に数量情報を
聞き出していたんだ。涙を見せたことが無かった母親が悔しさに流した涙を初めて見た。
漏れは子供ながら卑怯だと思った。卑怯者に怒りを覚えた最初の事件だった。
毎日新聞創立100年の記念品が届いた。
天板に毎日の社章が彫刻された立派テーブルなものだった。
「たまには本社もまともな対応をする」と思っていたら、翌月の請求書にしっかりテーブル代が
入ってた・・・。怒りを超えると笑ってしまう不思議な感情を知った。
毎日よ不二家の加盟店への愛情を見習え。 そして消えろ。