僻地医療の自爆燃料を語る68

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116卵の名無しさん
毎日新聞 2015年 6月19日朝刊 特集 医療再生〜救急医療は蘇るか?

「それは本当ですか! ……わかりました。ご冥福をお祈りします。今までありがとうございました」
 兵庫県東部、N市、一本の電話を受けて、医師会長の播磨七士医師は天を仰いだ。
 2015年2月、梅が咲き始め、春の訪れが感じられる小春日和の日にかかってきた電話は、小児科開業医Y医師の訃報だった。、
 そして輪番制で行っている地域の夜間休日診療の訃報を意味する電話でもあった。
 大阪に近く高級住宅も多いこの市は、開業医もまた多いはずだった。
 だが、小児一次救急を開業医の輪番でまわす制度は、わずか7年で崩壊した。
 播磨医師は崩壊の原因をこう語る。
「もともと開業医は休日夜間診療を行っていなくても、予防接種や検診、学校医といった地域奉仕をしていたのです。
 しかし、厚生労働省と中医協による開業医への無理な休日夜間診療の押しつけが、引き金となってしまったのです。
 最近の開業する医師は、自由と逃避のために開業を行っています。ですから医師会に所属せず、輪番制に応じません。
 応じたのは当時で既に50歳以上の医師ばかりでした。
 そこから7年、60になれば、いくら熱意のある医師だって無理は利きません。様々な病気にかかり働けなくなる医師も多数でました。
 その結果、輪番辞退が続出し、輪番態勢も崩壊したのです」
 さらに休日や夜間の診療で働くことの出来る看護師や医療事務の数は数少なく、勢い雑務が輪番担当医にかかる。
 しかも休日に診療した患者が自院の患者になる率も低く、一昨年、診療看護師導入の影で休日夜間の診療報酬がさらに下げられた。
 Y医師は、亡くなる1日前に休日夜間診療で150人の患者を診療し、当日も午前中に60人にも及ぶ患者を診療した。
 そして午後4時、検診に訪れないことを連絡された夫人が、診療所を訪れ、ソファーの上で亡くなっているY医師を発見した。
「夫は、白衣も脱がず、聴診器もポケットに入れたまま、眠るように息を引き取っていました」
 夫人はY医師を最初に見つけたときの様子をそう語る。