産科医絶滅史36巻〜助けた女医にも提訴され〜

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808卵の名無しさん
法律を医療に合わせるべき
 「社会的共通資本」の提唱者である宇沢弘文東京大学名誉教授が、2007年
4月6日、第27回日本医学会総会で特別講演をされ、その中で「経済に医療
を合わせるのでなく、医療に経済を合わせること」を強調された。経済学者で
ある宇沢氏は、その著書「社会的共通資本」(岩波新書)で「医療を経済に合
わせるのでなく、経済を医療に合わせるのが、社会的共通資本としての医療を
考えるときの基本的視点である。このような視点に立つとき、他の条件にして
等しければ、国民医療費の割合が高ければ高いほど望ましいという結論が導き
出されるのである。(170ページ)」と述べておられる。

 この考え方は経済だけでなく、法律についても応用されるべきであろう。
つまり、「医療を法律に合わせるのでなく、法律を医療に合わせる」べきなの
である。法律の中でもその筆頭は、特に刑法であると思う。

医療過誤での逮捕拘留は不当
 近年、医療過誤を理由とし業務上過失致死罪(刑法第211条第1項前段)
で医師を逮捕拘留する事例が相次いだ。慈恵医大青戸病院の泌尿器科医、
福島県立大野病院の産科医などが、特にマスコミで大きく取り上げられ、
それら医師の社会的信用などが決定的に傷つけられた。このままでは、
医療界に萎縮的・保身的傾向がもっと強まり、完全な医療崩壊の現象が
生じてしまうかもしれない。
 自動車事故を典型とする業務上過失致死罪を医療事故にも適用するという
発想は、まさに「医療を法律(特に、刑法)に合わせた」典型であろう。
そうでなく「法律(特に、刑法)を医療に合わせた」視点に立てば、つまり、
医療の特質に鑑みたなら、業務上過失致死罪の適用も、医師の逮捕拘留も
あってはならない。

医療者の善意と勇気で危険性減少・消滅
 法律の世界ではよく、医療事故と自動車事故が並び称せられる。それらの共
通点として挙げられるのが、危険責任(または危険性)という概念だ。しかし
、これは誤った対比である。
809卵の名無しさん :2007/06/22(金) 22:01:22 ID:42l+6h8I0
法律を医療に合わせるべき
 「社会的共通資本」の提唱者である宇沢弘文東京大学名誉教授が、2007年
4月6日、第27回日本医学会総会で特別講演をされ、その中で「経済に医療
を合わせるのでなく、医療に経済を合わせること」を強調された。経済学者で
ある宇沢氏は、その著書「社会的共通資本」(岩波新書)で「医療を経済に合
わせるのでなく、経済を医療に合わせるのが、社会的共通資本としての医療を
考えるときの基本的視点である。このような視点に立つとき、他の条件にして
等しければ、国民医療費の割合が高ければ高いほど望ましいという結論が導き
出されるのである。(170ページ)」と述べておられる。

 この考え方は経済だけでなく、法律についても応用されるべきであろう。
つまり、「医療を法律に合わせるのでなく、法律を医療に合わせる」べきなの
である。法律の中でもその筆頭は、特に刑法であると思う。

医療過誤での逮捕拘留は不当
 近年、医療過誤を理由とし業務上過失致死罪(刑法第211条第1項前段)
で医師を逮捕拘留する事例が相次いだ。慈恵医大青戸病院の泌尿器科医、
福島県立大野病院の産科医などが、特にマスコミで大きく取り上げられ、
それら医師の社会的信用などが決定的に傷つけられた。このままでは、
医療界に萎縮的・保身的傾向がもっと強まり、完全な医療崩壊の現象が
生じてしまうかもしれない。
 自動車事故を典型とする業務上過失致死罪を医療事故にも適用するという
発想は、まさに「医療を法律(特に、刑法)に合わせた」典型であろう。
そうでなく「法律(特に、刑法)を医療に合わせた」視点に立てば、つまり、
医療の特質に鑑みたなら、業務上過失致死罪の適用も、医師の逮捕拘留も
あってはならない。

医療者の善意と勇気で危険性減少・消滅
 法律の世界ではよく、医療事故と自動車事故が並び称せられる。それらの共
通点として挙げられるのが、危険責任(または危険性)という概念だ。しかし
、これは誤った対比である。
810卵の名無しさん :2007/06/22(金) 22:02:06 ID:42l+6h8I0
 自動車運転はもともと人の生命を侵す危険性が高い自発的ないとなみである
から、その危険性の発現として交通事故により人を死亡させたなら、刑事事件
に問われるのは当然であろう。しかし、医療は異なる。治療を求めて来院する
患者には疾病があり、その疾病はそれ自体が生命に対する危険性であり、治療
を施さなければ疾病という危険性の発現として死亡してしまうかもしれない。
つまり、医療は患者がもともと有していた危険性を減少・消滅させる試みであ
り、その試みは医療者の善意と勇気でなされている。運転しなければ死亡の危
険性を生じさせない自動車運転と、危険性の意味が異なっているのは明瞭であ
ろう。
 このような医療者の試みに対して、これが奏功しなかったら刑事責任を追及
するというのでは、刑事責任のおそれから回避するため、医療は萎縮し保身に
走らざるを得ない。