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卵の名無しさん:
和田心臓移植事件:日本の心臓移植第一号
日本での心臓移植は、これまで一例だけです。
それは、世界初の心臓移植が行なわれた翌年、一九六八年(昭和四十三年)八月に、北海道で行なわれ、世界では三十例目のことでした。
当時の北海道・札幌医科大学の和田壽郎教授がこの移植手術を行ないました。
心臓を提供した(ドナー)、というよりとられたのは、山口義政さんという当時二十一歳の青年でした。
山口さんは、海で溺れて意識不明になり、札幌医大に搬送されてきました。この直後に診察をした麻酔科助手の内藤医師は「自発呼吸もあり心音もしっかりし、血色もよかった」と確認しています。
一方、心臓をもらった(レシピエント)のは宮崎信夫さん(当時十八歳)でした。当初、彼の担当をした心臓内科の宮原教授は、
「内科的治療のみで経過をみても三年間は大丈夫で、人工弁置換術をすればあと十年はしっかり生きられる」という考えのもとに心臓外科へ転棟させていたのでした。
つまり、ドナーはしっかりと生きていて、レシピエントも心臓移植の必要はなかったのです。
それなのに、和田教授は山口さんを「脳死」と判定し、宮崎さんは心臓移植が必要と強引に診断し、山口さんの心臓を宮崎さんに移植したのでした。
前記の宮原教授も宮崎さんの心臓移植のことは事後に知らされ、たいへん驚いたそうです。