497 :
文春12月号:
(後半)
次なる主戦場は健康保険
郵政民営化法案が成立した今、事情を知る者は次なる主戦場を凝視している。
それは公務員数の削減でも、政府系金融機関の統廃合でもない。それらは真の
葛藤から国民の注意をそらす当て馬に過ぎないのだ。この国には米国の手垢に
まみれていない、もうひとつの官営保険が存在することを忘れてはならない。
それは健康保険である。国民生活に与える衝撃は、簡易保険の比ではない。
「民にできることは民にやらせろ」という主張がまかり通れぱ、健康保険も
例外ではいられない。既に第三分野(医療・疾病・傷害保険)は外資系保険会社に
とって、日本の保険市場を席巻する橋頭堡になっている。
498 :
& ◆TAExMRY5OI :2005/11/20(日) 22:12:18 ID:K5ATbOAN0
日米間には「日米投資イニシアティブ」という交渉チャンネルが存在する。二〇〇一年の
小泉・ブッシュ首脳会談で設置されたもので、詳しい説明は外務省ホームページに譲るが、
対日直接投資を拡大するという大義名分のもとに、外資の日本企業に対するM&Aを容易に
するために日本の法律や制度の「改革」を推進してきた原動力である。毎年報告書が作成
されており、経済産業省のホームページで閲覧することができる。二〇〇四年版の『日米投資
イニシアティブ報告書』に、米国側関心事項として次のような記述がある。
499 :
文春12月号:2005/11/20(日) 22:13:38 ID:K5ATbOAN0
《米国政府は、日本における人口動態の変化により、今後、教育及ぴ医療サービス分野に
おける投資が重要になってくることを指摘した。そして、これらの分野において米国企業が
その得意分野を活かした様々な質の高いサービスを提供できること、またそうした新たな
サービスの提供が日本の消費者利益の増大に資するものであることを指摘した。米国政府は
これらの分野における投資を促進するため、日本政府に対し、当該分野における投資を可能と
するための規制改革を要請した。》
その具体的な要望事項のひとつとして、米国政府は混合診療の解禁を挙げている。また二〇〇四年
三月十二日の日本経済新聞も、米国務省のラーソン次官が日本の医療分野への外国資本の参入
拡大を期待する意向を表明し、混合診療の解禁を求めたと伝えている。
500 :
& ◆TAExMRY5OI :2005/11/20(日) 22:14:58 ID:K5ATbOAN0
米国が日本に解禁を求める混合診療とは、保険が利く「保険診療」と、保険が利かない、
つまり厚生労働省が認めていない「保険外診療」(自由診療とも言う)を同一の患者に行う
ことである。現在は認められていないため、日本で未承認の薬などを使うと、本来保険が
利く診察代や入院費などにも保険が適用されず、かかった費用全額が自己負担になって
しまう。しかし混合診療が解禁されると、厚生労働省が認めていない部分のみは自己負担だが、
診察代や入院費など通常の経費は保険でカバーされるため、日本で未承認の新薬や治療法を
より利用しやすくなる。患者にとってはけっこうな話に聞こえる。
501 :
文春12月号:2005/11/20(日) 22:16:51 ID:K5ATbOAN0
しかし米国がなぜ日本に混合診療の解禁を熱心に要求しているかといえぱ、厚生労働省が
認めていない薬や治療法を使う「自由診療」については、製薬会社や病院などが値段を自由に
決められるため、収益性が高いからである。保険が利く「保険診療」のほうは、診療報酬の単価や
薬の価格を政府が統制しており、高騰しないよう抑制されているのだ。
混合診療が日本で解禁されれぱ、日本で未承認の米国の「世界最先端」の新薬や治療法がどっと
参入してくるだろうが、それは米国側が自由に価格を設定できるため、日本の医療費の水準とはまったく
異なる価格で提供されるようになる。利用できるかどうかは、患者の病状よりも所得水準によることになる。
医療保険制度研究会編集『目で見る医療保険白書』(平成十七年版)によって日米の医療費を比ぺてみると
次の通りである。
一人当たり医療費総医療費の対GDP比
米国 五九一、七三〇円 一三・九%
日本 三一〇、八七四円 七・八%
米国は、一人当たり医療費でも、総医療費の対GDP比率でも世界一であり、その「世界最先端」医療は、
同時に世界で最も高価な医療でもある。政府が「社会主義的」な価格統制を行っている日本より、市場
経済にゆだねている米国の方が医療費が高いのだ。
502 :
& ◆TAExMRY5OI :2005/11/20(日) 22:18:47 ID:K5ATbOAN0
このため、混合診療が解禁されて米国の新薬や治療法が入ってきても、何らかの保険でカバーしない限り
高くて受診できない、ということになりかねない。そこで、混合診療が解禁されると、民間保険会社にとって
自由診療向け医療保険という、新たなビジネス・チャンスが発生するのである。つまり、公的医療保険が
カバーしない領域が拡大するということは、民間保険会社にとっては新たな市場の創出にほかならないのだ。
ここに、米国の製薬業界、医療サービス関連業界、そしてかの保険業界が三位一体となって、日本に対して
公的医療保険を抑制しろと圧力をかけてくるという構図が成立するのだ。
敵の出方を読むには、公的医療保険制度が日米両国でいかに違っているか、その径庭を知悉しておくことが
重要である。私は米国に行ったことがないが、過去数年、様々な文献を学んできて最近思うことは、日本と米国とが、
いかに懸け離れた価値観に基づいて運営されている国か、ということだ。彼此の懸隔を最も酷薄に思い知らされる
機会は、恐らくかの国において訴訟に巻き込まれたときと、病気に罹ったときではないか、と想像する。
503 :
文春12月号:2005/11/20(日) 22:21:17 ID:K5ATbOAN0
日本は国民皆保険といって、すべての国民が公的保険でカバーされている。大企業に勤める人は会社ごとにある
健康保険組合、中小企業に勤める人は国が直接運営する政府管掌健康保険、自営業者や退職者などは各市町村が
運営する国民健康保険など、働き口によって手続きが分かれてはいるが、すべての国民が公的保険に加入できるように
なっている。このため、誰でも保険証一枚あれぱ、どこの医療機関でも費用のことはあまり気にせずに安心して診察を
受けることができる。これは、ひとの命にかかわる医療は、貧富の格差にかかわらず、すべての国民が平等にアクセス
できなけれぱならない、という価値観に基づいた制度である。ただしこれは高負担・高福祉、つまり「大きな政府」を前提と
している。
米国には、国民皆保険制度は存在しない。公的保険制度には加入制限があり、高齢者・障害者限定のメディケアと
低所得者限定のメディケイドの二種類しかない。伊原和人・荒木謙共著『揺れ動く米国の医療』(じほう)によると、
米国民のうちメディケアで約一三%、メディケイドで約一一%しかカバーされていない。しかもメディケアは薬代をカバー
していないため、高齢者は民間保険にも重複して入らなけれぱならない。このため国民の約七〇%は民間保険会社の
医療保険に加入しているという。医療に関しても、文字通り「小さな政府」、「民にできることは民にやらせろ」という
米国流の市場原理主義的イデオロギーが貫徹されているのだ。
504 :
文春12月号:2005/11/20(日) 22:23:27 ID:K5ATbOAN0
民間保険会社の保険料は、もちろん市場原理が貫徹される。例えぱ大企業の社員は、会社が一括して
保険会社と契約するので、大口顧客として保険会社に値引き圧力をかけることができるため保険料が割安と
なり、低負担で「世界最先端」の医療を受けられる。
一方、保険会社は大口契約で削られたマージンを小口契約で補填しようとするため、自営業者、退職者など
個人で保険に入ろうとする人などには割高な保険料を請求する。その結果、所得の低い人ほど保険料が重く
なるという負担の逆進性が常態化している。「小さな政府」で個人の自己負担が小さくなるわけではなく、むしろ
逆なのである。
このため、メディケイドでカバーされている低所得者層と、民間保険会社の保険料を負担しうる富裕層との中間に、
公的保険にも民間保険にも入れない無保険者層があって、二〇〇二年にはそれが四四〇〇万人、国民の約一五%にも
なっているという。無保険者は費用を心配するあまり、よほどの重症にでもならない限り病院にも行けず、行ったところで
診察を拒否されたり、診察代を払いきれなかったり、といったトラブルに陥る。米国では医療費負担にともなう個人の
自己破産が、クレジットカード破産に次いで多いとも聞く。病気に罹ることはまさに人生の破局に直結する。
505 :
文春12月号:2005/11/20(日) 22:25:32 ID:K5ATbOAN0
長生きしたけれぱもっとカネを払え
こうした事情の帰結なのか、0ECDの調査によれぱ、米国は世界最高の医療費を費やしながら、平均寿命、
乳児死亡率、いずれも先進国で最低であり、WHOの二〇〇〇年の報告でも米国の医療制度の評価は世界
第十五位と悲惨である。米国医療の実態は、「小さな政府」が国民経済全体的には高負担・低福祉をもたらす
ことを示唆している。一方、日本の医療制度は米国より安い医療費で、WH0から世界第一位の評価を得て
いるのだ。この歴然たる事実は、市場原理の導入による医療の効率化を喧伝する「改革」論者を顔色なから
しめるものがあるはずだ。
にもかかわらずその日本で、来年の通常国会に向け医療制度「改革」が推し進められている。昨年九月、
小泉総理は唐突に、混合診療の解禁について年内に結論を出すよう関係閣僚に指示した。竹中大臣が
仕切る経済財政諮問会議と、オリックスの宮内義彦会長が議長である規制改革・民間開放推進会議が
連携して推し進めたものの、日本医師会と厚生労働省が激しく抵抗したため、昨年は本格的な解禁が
先送りとなった。
506 :
文春12月号:2005/11/20(日) 22:27:24 ID:K5ATbOAN0
今年、経済財政諮問会議は戦術を変え、医療費総額の伸ぴ率に数値目標を導入し、公的医療費を抑制する仕掛けを
作ろうと画策している。そうなると公的保険の給付範囲をせぱめる必要が出てくる。つまり、政府が価格や報酬を抑制して
いる公的医療保険が利く分野が減らされ、外資を含む製薬会社や民間医療サービス業者が自由に価格や報酬を決められる
「保険外診療(自由診療)」の分野が拡大されることにつながる。公的医療保険に代わって保険外診療分野をカバーする
民間医療保険への二ーズも発生する。それは日本の医療制度に市場原理を導入し、公的医療保険を「民」すなわち米国の
製薬業界、医療関連業界、そして保険業界に対して市場として開放することにほかならない。米国政府は初年度九四年以来
一貫して、医薬品と医療機器分野を『年次改革要望書』の重点項目に位置づけているのだ。
「長生きしたけれぱもっとカネを払え。払えない年寄りは早く死ね」。ホリエモンは「人の心はカネで買える」と言い放ったが、
「人のいのちもカネで買える」時代がまさに到来するのだ。
507 :
文春12月号:2005/11/20(日) 22:28:53 ID:K5ATbOAN0
かくも重大なテーマであるにもかかわらず、先の総選挙ではどの政党も医療制度問題をまともな争点にせず、逃げをうった。
小泉圧勝を受け、経済財政諮問会議や規制改革・民間開放推進会議などの「改革」推進勢力はいよいよ居丈高となり、今や
破竹の勢いである。すべては「民意」の名の下に正当化され、もはや誰にも止めることはできそうもない。その結果がどう降り
かかろうと、決定を下した我々国民の自己責任というわけだ。
『年次改革要望書』は今年で十二冊目を数える。すでに十年以上の長きにわたって、既成事実を積み重ねてきた。たとえ
来年、小泉総理が退陣したとしても、『年次改革要望書』とその受け皿である経済財政諮問会議や規制改革・民間開放推進
会議が命脈を保つ限り、米国による日本改造は未来永劫進行する。それを阻止できるものがあるとすればそれは、草の根から
澎湃と湧き起こり、燎原の火の如く広がる日本国民の声のみである。
508 :
& ◆TAExMRY5OI :2005/11/20(日) 22:30:33 ID:K5ATbOAN0