今日の訴訟ニュース その5

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48産經抄
平成16(2004)年5月27日[木]

 昨日の紙面で、天皇陛下が田植えをされている写真を拝見した。恒例の行事だが、皇太子さまのご発言など何かと皇室が話題となる中で、粛々と苗を植えられる姿にうたれた。そして改めて、米づくりと日本の歴史の関係について考えさせられた。

 ▼その格好の教科書となるのが、立正大教授の富山和子さんが毎年作っている「日本の米カレンダー」(サン制作)である。毎月「米」にちなんだ写真が使われているのだが、今月のは奈良盆地の古墳だった。
周囲には満々と水をたたえる濠(ほり)がめぐらされている。

 ▼富山さんはそのキャプションで、こうした古墳を見るたびに「米作りに養われた水の技術の巧みさを思う」という。さらに「溜池を作り、水路を開き、水田を開いてきたその技術が、それによって富を集めた王者を育て、その墓を築かせたのだ」とも書いている。

 ▼稲作という営みと、その技術とが日本の社会をつくってきたというのだろう。天皇陛下自らが早苗を植え、秋には稲を刈られて、新穀を十一月の新嘗祭(にいなめさい)で神に捧げられる。
その一連の行事も、そうした日本の社会の成り立ちを忘れず、受け継いでいくためのものに思えるのだ。

 ▼田植えといえば、蕪村に風変わりとも思える一句がある。「離別(さら)れたる身を踏込(ふんご)んで田植哉」。離婚して実家に帰ってきた女性だが、今日は隣近所総出の田植えである。
いっしょに田んぼに入ることで、健気(けなげ)に生きていくことを決断する。そんな意味であろうか。

 ▼この句もまた、米づくりと共同体の形成とが不可分なものであったことを教えてくれる。だが農業の機械化が進み、共同作業の田植えなど見たこともない人が増えた。水と稲穂の「瑞穂の国」も、相当に危ういものとなってきたようだ。