廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手
に取る如く、明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大
音寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社
の角をまがりてより是れぞと見ゆる大廈もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十
軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形に紙
を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂みるやう、裏にはりたる串のさま
もをかし、一軒ならず二軒ならず、朝日に干して夕日に仕舞ふ手當ことごとし
く、一家内これにかかりて夫れは何ぞと問ふに、知らずや霜月酉の日例の神社
に欲深樣のかつぎ給ふ是れぞ熊手の下ごしらへといふ、正月門松とりすつるよ
りかゝりて、一年うち通しの夫れは誠の商賣人、片手わざにも夏より手足を色
どりて、新年着の支度もこれをば當てぞかし、南無や大鳥大明神、買ふ人にさ
へ大福をあたへ給へば製造もとの我等萬倍の利益をと人ごとに言ふめれど、さ
りとは思ひのほかなるもの、此あたりに大長者のうわさも聞かざりき、住む人
の多くは廓者にて良人は小格子の何とやら、下足札そろへてがらんがらんの音
もいそがしや夕暮より羽織引かけて立出れば、うしろに切火打かくる女房の顏
もこれが見納めか十人ぎりの側杖無理情死のしそこね、恨みはかゝる身のはて
危ふく、すはと言はゞ命がけの勤めに遊山らしく見ゆるもをかし、娘は大籬の
下新造とやら、七軒の何屋が客廻しとやら、提燈さげてちよこちよこ走りの修
業、卒業して何にかなる、
あぼーん
多くの中に龍華寺の信如とて、千筋となづる黒髮も今いく歳のさかりにか
、やがては墨染にかへぬべき袖の色、發心は腹からか、坊は親ゆづりの勉強も
のあり、性來をとなしきを友達いぶせく思ひて、さまざまの惡戲をしかけ、猫
の死骸を繩にくゝりてお役目なれば引導をたのみますと投げつけし事も有りし
が、それは昔、今は校内一の人とて假にも侮りての處業はなかりき、歳は十五
、並背にていが栗の頭髮も思ひなしか俗とは變りて、藤本信如と訓にてすませ
ど、何處やら釋といひたげの素振なり。
あぼーん
己れの爲る事は亂暴だと人がいふ、亂暴かも知れないが口惜しい事は口惜しい
や、なあ聞いとくれ信さん、去年も己れが處の末弟の奴と正太郎組の短小野郎
と萬燈のたゝき合ひから始まつて、夫れといふと奴の中間がばらばらと飛出し
やあがつて、どうだらう小さな者の萬燈を打こわしちまつて、胴揚にしやがつ
て、見やがれ横町のざまをと一人がいふと、間拔に背の高い大人のやうな面を
して居る團子屋の頓馬が、頭もあるものか尻尾だ尻尾だ、豚の尻尾だなんて惡
口を言つたとさ、己らあ其時千束樣へねり込んで居たもんだから、あとで聞い
た時に直樣仕かへしに行かうと言つたら、親父さんに頭から小言を喰つて其時
も泣寐入、一昨年はそらね、お前も知つてる通り筆屋の店へ表町の若衆が寄合
て茶番か何かやつたらう、あの時己れが見に行つたら、横町は横町の趣向があ
りませうなんて、おつな事を言ひやがつて、正太ばかり客にしたのも胸にある
わな、いくら金が有るとつて質屋のくづれの高利貸が何たら樣だ、彼んな奴を
生して置くより擲きころす方が世間のためだ、己らあ今度のまつりには如何し
ても亂暴に仕掛て取かへしを付けようと思ふよ、だから信さん友達がひに、そ
れはお前が嫌やだといふのも知れてるけれども何卒我れの肩を持つて、横町組
の恥をすゝぐのだから、ね、おい、本家本元の唱歌だなんて威張りおる正太郎
を取ちめて呉れないか、我れが私立の寐ぼけ生徒といはれゝばお前の事も同然
だから、後生だ、どうぞ、助けると思つて大萬燈を振廻しておくれ、己れは心
から底から口惜しくつて、今度負けたら長吉の立端は無いと無茶にくやしがつ
て大幅の肩をゆすりぬ。だつて僕は弱いもの。弱くても宜いよ。萬燈は振廻せ
ないよ。振廻さなくても宜いよ。僕が這入ると負けるが宜いかへ。負けても宜
いのさ、夫れは仕方が無いと諦めるから、お前は何も爲ないで宜いから唯横町
の組だといふ名で、威張つてさへ呉れると豪氣に人氣がつくからね、己れは此
樣な無學漢だのにお前は學が出來るからね、向ふの奴が漢語か何かで冷語でも
言つたら、此方も漢語で仕かへしておくれ、あゝ好い心持ださつぱりしたお前
が承知をしてくれゝば最う千人力だ、信さん難有がたうと常に無い優しき言葉
も出るものなり。